2011年2月28日月曜日

成長

 手元の記録をチェックする度に驚くのだが、子供が初めてつかまり立ちをしたのはまだ一ヶ月前の事。それから間も無くハイハイをするようになり、日々、子供の行動範囲は広がって行った。前にも書いたが、彼の身体機能の発展を見ていると、武道の技と一緒で一度出来るようになれば、それは当たり前となり、出来る事がどんどん増え、世界が広がっているのだろうなと感じる。

今、住んでいる所は両家の両親共にそれほど遠く無い。だからだろう。初孫の新たな達成を知るとそれぞれ遊びに来てくれる。微妙に人見知りをする年頃だった子供も最近はすっかり祖父母の存在に馴れ親しんでいるようだ。最近の大ヒットは名前を呼ぶと笑顔で手を上げる事。分っているのかいないのか、かなりの確率で名前を呼ぶと手を上げる。これが両家共に大ヒットで、定期的に子供の名前が連呼されている。

週末は家族と両親と小旅行、仕事の一部を持ち運ぶ破目になったが久しぶりにのんびりとしていた。特に何をする訳でも無く、ぶらぶらと。週明けにそのツケを払う事になるとは言え、たまにはこのような贅沢な時間も大切だ。そんな中、旅先で子供が階段でつかまり立ちをしているなと思っていたらハイハイで登り出した。


ち ょ っ と 待 て


上の階に母親がいたからだと思うのですが、あまりに予定外で皆、茫然

(何だか子供の中の時間が日に日に早くなっている氣が、振り落とされてしまいそう)

2011年2月23日水曜日

メイキング オブ リトル ベイダー

先日、紹介したアメリカのスーパーボウルで流れたダース・ベイダーを使ったフォルクスワーゲンのCMだが、改めてチェックしてみたら再生回数が3,175万回以上と言う軽く理解を超える回数になっていた。



それはそれとして、もう一つ見つけたのが、こちら。メイキングだ。




制作者の苦労と工夫がしのばれます


締めを見ると本当にメイキングだったのかと勘ぐってしまったり


(こっちの再生回数も186万回以上、少なくともCMへの投資代は回収した事でしょう)

2011年2月21日月曜日

電子書籍

 私が携帯電話に長い事、関心を持っていなかった事は過去に何度も話題にしている事だが、日本の満員列車の苦しみと2年半前の帰国の際、何よりも楽しみにしていたアメリカのテレビシリーズ、「BattleStar Galactica」、が最終シーズンの途中だったと言う苦しみが無かったら私がここまでiPod Touchを重宝している事もあり得なかった。そんな今は会社からiPhoneとGalaxy Sの端末を支給されており、本当、人生、どこで変化が生じるか分らない。

その延長にあるのが電子書籍。正確に言うとアマゾンのKindleアプリである。キンドル自体は友人が持っているのを見た事はあったが特に購買意欲を駆られた事は無かった。では何故アプリかと言えば、例によってStar Warsである。

最新シリーズは「The Fate of the Jedi」と言う。私が大学生の頃に出たThe Thrawn Triologyの頃は各小説が互いの設定を否定するようなバラバラな宇宙観に新刊を買っては失望したものだが、その後、1999年に始まったThe New Jedi Orderシリーズから大河ドラマ的な面白さを備えるようになった。ただ、その後2006年から始まった、「The Legacy of the Force」、シリーズは個人的に微妙な出来。特にメインキャラの一人であるJacen Soloが何故ダークサイドの道を選び、堕ちて行ったのか、その過程の描き方が物足りなかった。

だからと言う訳でも無いのだが、2009年から始まった最新シリーズについては今まで静観していた。理由の一つはハードカバー。高いし、場所を取るので、面白ければ良いが、そうで無い場合のコストパフォーマンスの悪さは耐え難い。が、ある日、本屋に行ったら最初の3作がペーパーバックで出ていた。戯れに一作目だけ買ったが、残りの2冊を買いに戻るのに大して時間はかからなかった。

そして電子書籍。

Outcast」、「Omen」、「Abyss」、と読んでその勢いで続編をと思ったらそこにハードカバーの壁があった。そこで検索してみるとKindle版が出ている。価格は半分以下。買わざるを得ない。

で、これが便利。

最初の頃こそちょっと違和感があったものの、個人的に重宝しているのはセットで付いてくるOxfordの英英辞典。今までだったら軽く読み飛ばしていた単語も軽いタッチで意味がチェック出来る。これは紙の本には無い便利さである。持ち運びの軽さは言うまでも無い。で、氣が付けば「Backlash」、と、「Allies」、を読み終え、次なる目標は昨年11月に刊行されたばかりの新作、「Vortex」、かと言う辺り。


落ち着け、自分


The Facebook Effect」とか読みたい本は他にもあるだろうに、Vortexを読んでしまったら5月の次回作まで待つしかないのだぞ・・・・

(ネットで検索したらこの方の記事ぐらいしか見つからなった訳ですが、日本国内ではほとんど誰も読んでいないのかも・・・)

2011年2月18日金曜日

身体で覚える

 子供がつかまり立ちをしたのは1月の終わり。あれから約2週間半。氣が付けば子供はハイハイするようになり、何事も無かったかのように家中を動きまわれるようになった。初めて本格的なハイハイで部屋の中を移動した時は明らかに本人も驚いている様子だったのに、翌日になればもう当たり前のように行っている。身体で覚えると言うのはこう言う事なのだろう。稽古である日、技が出来るようになるのと似ているかもしれない。出来るその瞬間までは難しいのだが、一回出来てしまえば、昔から当然のように出来ていた氣がするようなものだろうか。

帰宅すると子供はまだ起きていた。部屋でスーツから着替えていると居間の方から音が。廊下を見ると突き当たりの居間の所から子供が顔を出してこっちを見ている。目が合うとニコっと笑い廊下をバタバタと私の方に向かって来た。驚いている内に着替えている部屋の私の足元まで。こんな事は初めてである。


とろけるね


日々、出来る事の範囲が広がっているのが見ていて飽きません

 (私の足元に来た後、そのまま部屋の本棚に直行して本で遊びだしたのはご愛嬌)

2011年2月17日木曜日

マナー

 朝、満員列車に乗ってiPodでサントラを聞きながらStar Warsの新作の電子書籍を読んでいると、どこからともなくオペラの音楽が聞こえてきた。右隣の女性だろうか。私が聞いている音楽を凌駕するような音響で電車内で聞いているとは大したものである。騒々しい曲でないだけマシかと思って手元の本に意識を戻すと左から肩を触れられた。

見ると不機嫌そうな表情の年配サラリーマン男性が盛んに自分の耳に触れるジェスチャーをしている。イヤホンを外し、私の機械から音楽が漏れている訳では無いですよと簡単に説明した。一瞬きょとんとした表情の相手に多分、私の隣では無いですかと告げる。意味が伝わったのだろうか、サラリーマンは憮然とした表情のまま手にしていた紙の本に視線を戻した。そんなやり取りを察したのか、隣の女性はボリュームを下げているようだった。それでも音は相変わらず漏れていたのだけど。

そんな形で始まった一日、何かずっと腑に落ちないなと感じたまま一日が終わろうとしている。


オッサン、一言、私に謝っても良かったのではないかい?


降りる時に何も言わずに突き飛ばす人々は多いし、「日本人は礼儀正しい」、と言うイメージも誤解なのではと思う今日この頃

2011年2月15日火曜日

交流

事の出だしは暁さんに声をかけて頂いた事に始まる。暁さんとは過去に一時帰国した時に合氣道の稽古をしたり、帰国後に打撃主体の稽古会に呼んで頂いたり定期的に声をかけて頂いている。最後に一緒に稽古をしてからしばらく経っていたが、またネット仲間で集って稽古をしようと言う誘いに早速予定表をチェックした。空いていそうだ。

稽古内容は相撲。

相撲か・・・これは敷居が高い。相撲なんて子供の頃に父親と取って以来である。とは言え体育館は4時間取ってあるとの事、きっと他にも稽古内容は広がる事だろう。雪が延々と降る3連休の初日、道着をカバンに入れ家を出た。

特にどのぐらいの人が集まるかは聞いていなかったのだが、蓋を開けてみれば道場には9人、後の飲み会には更に2人加わっての総数11人に。ポニヨさんや、今回、初めて会う機会を得たらかんさんなど賑やかだった。皆、武道のバックグラウンドが異なるのでルールを決めての相撲は怪我をしないで楽しむにはちょうど良い。参加者の半分以上は既婚者だし、私を含め、子供がいる方もいる。盛り上がって暴走するのは避けるに越した事は無い。駅で皆と合流、早速、体育館へと向かった。4年前の一時帰国の際、ここで稽古をしたのだが、その事を指摘されるまですっかり忘れていた。着替えて道場へと足を踏み入れる。

寒い。

足の裏が痛くなるような寒さ。最近の都内の稽古では暖房が効いていたのもあり、すっかり油断していた。ここは外より氣持ち暖かい程度。そんな外は雪が降りしきり、まるで寒稽古である。周りの皆さんは道着の下にシャツなどを着ているが賢明だ。あまりの寒さに思わず靴下をまた履いてしまったが、途中で脱いで稽古を始めた。

稽古の前半は相撲ネタ。小さな土俵でバランスと駆け引きを中心とした練習をしたり、タオルを使った練習をしたり、最後には勝ち抜き戦で4対5に分かれたりして楽しんだ。後半は自由に。私は寝技をやったり、推手をしたり、打撃のスパーをしたり、合氣道の稽古をしたり盛りだくさんだった。なかなか一回の稽古でこれら全てをカバーするのは難しい。私が色々な事に首を突っ込んでいただけと言う話もあるけれど。寒さの関係で汗をかくと言う事は無かったが楽しい時間を過ごす事が出来た。


左足の指が二本、変色していましたけど


何だか痛いなーと思っていたのですが、帰宅してびっくりです

(「前はいつもそんな感じだったよね」、と言う嫁さんの指摘の他、筋肉痛と共に週末は過ごしていました)

2011年2月10日木曜日

スーパーボウル

NYに10年住んでいながらアメフトにはまる事はついに無かった私だが、アメリカ人との話題の際、スーパーボウルぐらいは分かっているに越した事は無い。その年のハーフタイムは誰が歌ったのか、あるいはCMで何が流れたかである。30秒、300万ドルと言う金額は伊達じゃない。

そんな中、この動画はとても面白い。今年のスーパーボウルで流れた61のCMを2分強にまとめたもの。




なかなか


先日、紹介したベイダーや後半になると映画が増えるのも面白いところ


(ついつい一つ一つをチェックしたくなります)

2011年2月9日水曜日

合氣道

 先日、セミプロの友人に誘われて久しぶりに合氣道の自主稽古に参加した。どのぐらい久しぶりかと言うと前回、稽古をしたのがいつだったのか正確に思い出せないぐらい。以前の自分の生活からはまるで考えられない状態だ。あの頃は一時帰国などで一週間、稽古が出来ない状態が続くとそれだけで氣分が悪くなるぐらい身体を定期的に動かすのが当たり前の状態だったが、今となっては昔の話である。

稽古のコンセプトは身体を動かしつつもマニアックに。友人の発見をベースに細かい身体操作を練って行った。人間の身体は細かな感覚の集合体として成立している。よって、接点の圧力を変える事無く身体の内面の方向性を変えると、傍目には自分から倒れてしまっているように見えたり、よく分らないような現象も生じる。身体を動かす事に関してはかかり方を指定しての自由技。NY時代の茶目っ氣を加えたのはそれを座技でもやった辺りか。以前は自身の鍛練も兼ねて若い後輩達とやっていたのだが、やはりしんどい。とは言え良い汗をかく事が出来た。

帰国以来、正式に道場に所属していないので、稽古をするとなると公共の体育館を使う事がほとんどなのだが、個人解放の時間帯に稽古をすると様々な流儀の人達が色々な稽古をしていて面白い。先日も空手、柔道、総合格闘技などのメジャー系はもちろん、大きな集団としてはカポエイラがいて、ここは女性が多い事もあって遠目にもアクロバティックに華やかだった。服装もカジュアルだし、ダンサーの集団のようにも見えるぐらい。もう一つ近くにいたがっしりとした男性の集団で、準備体操は延々と受身を取っていた。


プロレスでした


なるほどねーと思いつつ畳の上で観るプロレスは妙に新鮮でした

(取り敢えず合氣道はカポエイラの華やかさやプロレスの派手さは持ち合わせていない事はよく分りました)

2011年2月7日月曜日

Social Network (ソーシャル・ネットワーク)

土曜日にSocial Networkを観た。元々、特に観ようと思っていた作品ではなかったのだが、仕事柄、SNS的な面にも多少首を突っ込んでいる事もあり観た。結果は二日経った今も映画の事を思うとある種の興奮感が胸の辺りにうずき、関連本を買って読むべきか迷っている状態。私の中ではかなりヒットした映画だった。

物語はFacebookの創立者Mark Zuckerbergがいかにして世界最大規模のSNSを立ち上げたかと言うもの。共同創立者のEduardo Saverin、そしてNapsterのSean Parkerを中心に物語は進む。とにかく会話量が多い映画だが、そこに加えて見事な編集でMarkのキャラを特徴付ける最初の会話のシーンからラストまでぐいぐいと引っ張る。



映画の見方は人それぞれだと思うが、この映画に共鳴出来るか否かは、アメリカ人の若者が持つ起業精神が何となく分かるかどうか、そして後半から役割が大きくなるNapsterのSean Parkerをどう捉えるかによって変わってくるのかと思う。他にもハーバード大学の持つ伝統とエリートの空氣や東海岸の空氣、それに対する西海岸の空氣の違いなども大きいだろう。

個人的にとても面白かったのはMarkのパートナーで共同創立者のEduardoが会社のCFOとして利益を上げる事の重要性を説いたり、ハーバードの学長が「ハーバードの卒業生は就職する側ではなく、仕事を作りだす側である」、と説く辺りがとてもツボだった。日本のトップ大学の卒業生は官僚-就職-起業の順番で社会に出て行くのに対し、アメリカのトップ大学の卒業生は起業-就職-官僚の順で社会に出るそうだが、映画の中のセリフは見事にその事を言っていたと思う。他にも訴訟で負けた事を指摘されたSeanが、「で、君はTower RecordでCD買うの?」、と切り返したり、ニヤッとさせられるやり取りには事欠かない。

いずれにせよ映画はアメリカの学生のパーティー(就職前にハワイの親友宅に居候していた時に誘われて行った事がある)や、NY時代の稽古仲間の持つ空氣(アーティストや手に職系の人がほとんどでさらりーまんは限り無く皆無)、を思い出させてくれて、そのような意味でも面白かった。

ちなみに会社のおエライさんも先日、この映画を観たそうで、飲み会の席で一緒になった時にFacebookについて色々と質問された。社内でFacebookをやっている人は少ないし、説明するのはやぶさかでは無い。質問に一つ一つ応えた。


とんでもなく時間がかかりました


SNSのネットワークが持つ価値やマーケティングなど、全く知らない人に説明するのは色々と大変です


(Sean Parkerもかなりドラマチックな人生を歩んで来たのだなぁーとこちらの記事を読んで思いました)

2011年2月4日金曜日

リトル・ベイダー

夜、帰宅すると息子がハイハイ出来るようになっていた。最近、わずかな距離なら何となく移動していたのだが、風呂上りに着替えさせた後、いきなり1メートル近く離れた所に転がっていたお氣に入りのオモチャを取りに動いたのである。本人も動ける事に氣が付いたのか、その後は大興奮で遊び続け、いつもなら寝る時間になっても上機嫌だった。

 昨日出来なかった事が今日出来る。子供の成長は本当に早い。こんな日もきっとすぐだろう。




なごむね

ちょっとこのCMを観てグッと来るものがありました

 (車のCMだと後半にならないと分からない辺りが実に素敵です)

2011年2月1日火曜日

The Karate Kid

方々で評判が良いので映画館で上映時に観損ねたジャッキー・チェンの「The Karate Kid」、をDVDで観た。オリジナルは1984年の作品。映画館で観た記憶があるし、実家を探せば当時のプログラムも出て来るような氣がするが、ロードショーでは無く、名画座で2本立てで上映されているのを観たと記憶している。2、3作目はロードショーで押さえ、4作目は未見。続編の出来はともかく、1作目は青春映画として良く出来ているし、武道を志す者への良い道標になっていると思う。多少、ファンタジーが入っていると思うけど。



リメイクは主人公を高校生から小学生(12歳だから中学生か?)にし、舞台を北京にしているが、物語の骨子は全く一緒である。ベースとなるのは新しい場所で馴染もうと努力する主人公の少年。氣になる女の子。イジメ。そしてアパートの管理人でもある師との出会いとその交流だ。クライマックスはトーナメントだが、その盛り上げ方まで一緒だったのは妙に懐かしかった。舞台がただの体育館では無く雷台だったのは中国故か、子供のトーナメントとは思えないマニアックぶりである。



主人公を師の故郷、異文化に置くと言う意味では新作はオリジナルの1、2をミックスさせているとも言える。主人公が通う学校は皆、英語を話しているから想像するに北京のインターナショナルスクール。主人公のDreがジャッキー・チェンに連れられて訪れる寺は道教色が全開だが、彼の練習方法は内家拳と言うよりは外家拳系である。オリジナルの「ワックスオン、ワックスオフ」、に該当する、「ジャケットを脱ぐ、着る、かける」、は良く出来ているなと思った他、2本の竹を使った練習方法の一部は推手っぽく面白かった。オリジナルのKarate Kidは空手を志す人達をたくさん生みだしたと聞くが、今度の作品は中国武術を志す人達を同じように生みだすのだろうか。ジャッキー・チェンがどこかのインタビューで以前の自分は生徒の立場だったのに今や師匠の立場で映画に出ているのが感慨深いと言っていたのも納得。


私もずいぶんと遠くへ来た感が


子供がいると自分の感情移入も少年から周りの大人へとシフトしている氣が

(映画を観ながら自分の過去の稽古や後輩の指導、色々とフラッシュバックがありました)

履歴書とレジュメ

 先日、軽く呟いたが、海外経験のある同僚が1月一杯で転職する。転職先は有名な大手外資、私のいる業界からは初めてではないだろうか。私の個人的な思い込みだが、私のいる会社では海外経験者の多くが転職しているので、その人が転職する事はあまり驚きでは無い。また一人、去って行くのかと言う感じである。そんな私はNY時代の上司から帰任したら一年以内で辞めると言われ続けていたが、氣が付けば2年半在籍。我ながら驚きである。当時の上司はもっと驚いている可能性大だけど。

履歴書について日本ではきちんとしたフォームがあってそれを埋めるのが今でも一般的だと思うのだが、アメリカではその限りでは無い。通常だとA4一枚程度に自身の目的、学歴、職歴、スキルなどを簡潔にまとめて提出する。とは言え、履歴書が会社にとっての第一印象に当たるのはどこもも一緒。NY時代は仕事柄、人の採用にも携わっていたのでレジュメは山のように見たし、面接もずいぶんとやったが、レジュメがいい加減な相手とはそもそも会わなかったし、やはりレジュメが第一歩である。

何でこんな話をしているかと言うと、数奇な縁で身近な知り合いのレジュメを添削する機会があったから。外資の人材派遣会社からコンタクトがあり、興味のありそうな内容だったらしいのだが、レジュメを送ってくれと言う箇所で相談があった。きっと日本の履歴書だと駄目だろう。コンセプトを説明したが、メールでメモ書きのようなレジュメをもらい、どこから添削したら良いのか一瞬考えた。自分の過去のレジュメを引っ張り出し、これを参考に何をどう書き変えるべきか細かく指導。どのような結果になるか今後の動向が楽しみである。

そんな同僚の転職先の話を聞きながら、直属の上司が一言。


 「トウヤ君ならヨダレが出そうなオファーじゃないの?」


 ・・・うーん、でもそこってかなり厳しいって話を聞いているしなぁー

(とは言うものの、久しぶりにレジュメ内容をアップデートするのも良いかもしれません)