2011年11月30日水曜日

インターネットビジネス15年の変遷

Twitterでも呟いたのだが、今日、目にした記事で最も印象に残ったのがインターネットビジネス15年の変遷だった(原文はこちら。スマートフォン、SNSなどへの言及など、もう少し詳しい)。

5年前、FacebookやTwitterは存在していなかった。なるほど、これらは比較的最近のサービスであると自分でも認識している。が、10年前YouTube、Wikipedia、Gmail、Firefoxが存在しなかったと改めて読むとちょっと待ったと言いたくなる。もう長い事、使っている氣がするのだが、10年前には無かった?2001年は自分にとってついこの間、同時多発テロの年だ。あの時、私は20代終わり。頭では分かっていても信じ難い。

遡って15年前にはGoogleが存在せず、iPodは無い。ブラウザーはNetscape Navigator。これは私の中でも腑に落ちる。大学時代前半、私の論文は手書きだった。でも卒論はパソコン。大学院に入った頃、図書館にパソコンが置かれるようになり、ダイヤルアップの為、とんでも無くゆっくりとYahoo!と表示されたページを見ながら、これをどう活用するのだろうと迷った記憶がある。初期の検索用語はStar Warsだった。特別編が公開される頃で1枚のショットが表示されるのを延々と待ったものである。そしてiPod。その前にMP3プレーヤーがあったのだろう。当時ハワイに住んでいた師の元に稽古兼居候しに行った頃、盛んにMP3の話を聞いた。当時、日本ではMDプレーヤーが流行っていた頃でMP3とは何ぞやと思ったものである。

自分が関わっている仕事の分野でもインターネットが大きく既存のビジネスモデルを変えてしまった事を実感する。正確には私が入社して仕事を始めた時が黎明期だったので過去のビジネスモデルに対する懐かしみなどは無いのだが、それでも不思議だ。元々、観ていなかったがテレビはほぼ観ない。社会人になってから新聞も取っていない。それでも生活に不自由を感じた事は無い。情報へのアクセス、正誤判断、スピードが益々早くなるだろう。周りの同世代のコメントを聞くと何も教えていない子供が自然にスマートフォンを使いこなす姿に呆然すると言う。デジタル時代の子供達。我が家でも恐らくそう遠くない日の出来事だろう。


さて5年後は一体?


その頃には子供に最新サービスについて説明してもらっているのだろうか・・・

(取り敢えず、骨董品と化しつつある自宅のPCを買い換えようかなと思います)

2011年11月28日月曜日

型の発見と楽しみ

土曜日、久しぶりに他流儀の自主稽古会に参加した。色々と用事が重なってしまい数週間ぶり。参加開始時刻には間に合わなかったのだが、到着すると既に皆で打撃力の検証中だった。

少し前にFacebookで先輩に当たる人が身体操作方法について開眼、先生からお墨付きをもらっていた。一体、それはどんな内容なのだろうと質問する間も無く、防具越に打たれて悶絶する破目に。検証稽古の過程で打たれる事に多少馴れて来たとは言え、防具越しにこれはなかなか危険な香りがする。

ポイントは体軸を自分の前に置き、肘や拳は型通りに最短距離を移動する事。その軌跡を立体的に捉える事でコンタクトの瞬間に全身の体重を乗せる事だった。言葉で説明されると分かり難いが稽古の途中で肘打ちの軌跡を修正されてもらった瞬間に腑に落ちた。なるほど、この動きか。これだと確かに体重が乗るし、何と言っても早い。動きの拍子が変わったとでも言うべきか。

お陰で私の肘打ちの動きと打撃力は稽古前と稽古後で各段にアップした。防具越に受ける相手が顔を歪めて後退するぐらい。面白いもので敢えて不自然かつ不自由な型通りの動きの方が威力が増す。姿勢を微調整し、特定の軌跡で肘を投げ出すように動かす事で、結果として引っ張られるように身体の重みが加わる。皮肉なのは見た目は全く力が入っているように見えない事。突きも同じ要領だと教わったのだが、こちらについては自分の中で再現性を確立させるだけの把握が出来なかった。

突きはもう少し練り込む必要がありそうだが、肘打ちはかなり明らかになった。感触を失わないようにと帰宅後も適宜腕を振る。朝、起きて顔を洗っても最初に軌跡を確認。肘打ちを集中的にやっていた為か、型を通してやってみたら突きも感じが変わり始めていた。この調子で練れば次回の自主稽古会の検証でもう少しまともな突きが出来るかもしれない。出来るようになった事が嬉しくてちょっとした機会に肘を動かす。


肩と肩甲骨にかけて延々と筋肉痛が・・・


なるほど、この辺りを集中的に使っていたのかと納得

しばらく飽きるまでやっていそうです

2011年11月25日金曜日

忘年会

Facebookを見ていたらNY時代の合氣道道場の日本人後輩が師と飲み屋で楽しんでいる写真がアップされていた。師も後輩も笑顔、写真から楽しそうな空氣が漂っていた。その場にいない事に軽い嫉妬を覚える。その後、後輩からメールが届き、私の後に入門し、今年になってから帰任となった別な日本人後輩が仕事でNYを訪れており、その際に皆で集まって飲んだとの事だった。NYの道場は私にとってのホーム。5月の訪問時、師を始め道場仲間に歓待してもらった事を思い出した。

忘年会、新年会の数はNY時代より帰国後の方が多い氣がする。日本の風物詩か。社内でも部の忘年会をとの声が若い社員から挙がり、皆の予定を調整するのが大変だからと日程だけは調整した。後は適当に店探し。社内の飲み会には基本的に関心の無い私が関わっているのは成り行き。半年前、部内の初の飲み会を企画したのが私だったのが原因だろうか。あの時も若い社員の声が無ければ企画さえ無かった可能性は大だけど。

道場のホリデーパーティーは金曜日の稽古後に行われる。外のレストランで行った事もあったが、回数的には道場内で持ち寄りが多かった。私は主に日本酒担当。日系スーパーで大量に日本酒を買って車で事前に道場に届けていた。稽古からパーティーの終わりまでいる人間もいれば、途中から来て先に帰る人間もいる。一人での参加、家族連れ、その辺りがフリーダムなのが道場パーティーの良い所。道場だと氣軽に床にも座れるし、酔い潰れてもOK、酔って稽古を始めるのもありである。「今年は16日ですよ、来ないんですか?」、と言うのが後輩のメールの締め。


行きたいよ


帰国して3年、パーティーの話や写真を見ると望郷の念に駆られます

(取り敢えずGoogleカレンダーの予定表には書き込んでおきました、せめて氣持ちだけでも)

2011年11月24日木曜日

ホリデーカード

日本で言う所の年賀状に該当するもの。私の記憶では大体、Thanksgivingが過ぎた辺りから届き始め、投函を始める。クリスマスや新年に言及した内容もあるが、宗教的に分からない相手もいるので、祭日(Holiday)でまとめているものも多い。NY時代は絵柄を選んで事務所のメンバー全員の名前を載せ、そこに各自がサインしてから送付していた。届いたカードは事務所の壁に新年まで貼っていたりしたものである。

私の今の仕事でもアメリカの取引先と定期的にやり取りをするので今年もカードを一定部数取り揃えた。アメリカは今日がThanksgivingだからタイミング的にはちょうど良いだろう。余談だが、日本とアメリカは祭日が微妙にずれるので(日本の勤労感謝の日の翌日がアメリカの感謝祭、そしてThe Day After Thanksgivingと続く)、今週や12月のクリスマスシーズンは仕事の効率が落ちる。

そんな訳で用意してあったホリデーカードにチーム内でサインをする事にした。私も含め、各自さっさと済ませる。若い社員から挙がった質問、「コピーするので私の名前を筆記体で書いて下さい」。


サインは何だって良いから


で筆記体で書いたら、「読めない」、と・・・どうしろと

(氣が付いたら投函されていたのでどんなサインがされたのか不明です)

2011年11月21日月曜日

Moneyball

マネーボール。ブラッド・ピットとフィリップ・シーモア・ホフマンの実話を元にした最新作。題材は野球。まずは予告編から。




この予告編から受ける印象は何だろうか?大リーグを舞台にしたスポーツの感動物?その印象に対する回答はイエスであり、ノーである。イエス、映画の中でゲームの展開で物語が盛り上がる箇所はある。ノー、映画の主題はあくまで野球をビジネスとして捉えた上で、どのようにしたら最弱の予算で優勝を目指せるかと言う内容だから。

主人公はオークランド・アスレチックスのビリー・ビーンGM。彼は自分のチームの主力選手が他のチームに引き抜かれて行く中、どのようにして限られた予算内で試合に勝てるチームを編成するかで頭を悩ませる。その結果、既存のスカウトシステムとは全く異なる方法で勝負を挑むのだが、映画で描かれるビジネスとしての野球のシビアさは凄い。選手は取引用の資産に過ぎない位置付。年俸やパフォーマンスで情け容赦無く、他球団と交渉してトレードしたり、クビにしたりする。その徹底ぶりはさすがは外資と言う所だろうか。情けと言う言葉は全く無い。目標を達成する為に組織をまとめあげる事のタフさ、既成の価値観に挑戦する事のタフさは思い切り味わえる。

映画自体は非常に評判が良いのだが(Rotten Tomatoesで95%の高評価なんてまず見られない)、私自身は映画の後、モヤモヤした氣分だった。多分、予告編から抱いていたイメージと本編の間のギャップが原因だったのかもしれない。もっと鑑賞後に爽快感を味わえるものを求めていたのか。帰宅後、しばらくして、この映画はとてもアメリカンである事に思い当った。自分の信じる道を行け、結果は後から付いてくる。そう考えれば納得か。



ちなみに映画中盤までチームの監督がフィリップ・シーモア・ホフマンだと言う事に氣付かずに観ていました。

2011年11月15日火曜日

氣配り文化

私が現在、担当している社内のチームのメンバーに営業現場出身の若い女性社員がいる。向上心のある社員で一緒に仕事をする機会が定期的にあるのだが、面白いのが社内文化の差。営業現場でお客さんと直に接する機会が多かった為か、私にとっては異文化のような氣配りを示す事がある。

例えば部屋に入る時は最後に入る、エレベーターのドアは押さえている、部署内のメンバーとは一緒に飲んだ後の方が打ち解け易い、上司に荷物は持たせないようにする等々。初めて聞く度に私の方が固まってしまう。アメリカ生活が長かったせいか、私もエレベーターのドアなどは押さえてしまう派。そうするとお互いに先に進まなかったりする。

遥か昔の学生時代、一応、体育会系に所属していたのでお酒の注ぎ方などは色々と教わった。社会人になってそのスキルが活きると思いきやそんな事も無く、NYに行った後は日系の取引先と飲むので無ければ全く無用のスキルと化した。武道の世界なら厳しく言われる事もあったのかもしれないが、合氣道の師を含め、アメリカで出会った武道の先生のほとんどは手酌、マイペースにお酒を飲む人達だった。帰国後、他流儀の師と飲んだ時、ジョッキが空になる前に弟子が率先しておかわりを注文する姿を見て呆然としたものである。

氣配りの度合いもバランスが難しい。昔教わった、「氣を遣っていると相手に感じさせてしまったらアウト」、と言う更に難しいレベルの問題もある。取り敢えず、一緒に働いているチームの人間には余計な氣配りは不要だと冗談交じりに伝えている。


評価対象じゃないから・・・多分


氣配りが査定対象だったらマイペース、マイウェイな自分は転げ落ちて行きそうな予感

2011年11月10日木曜日

Jobs






噴いた


こう言うものを作る人のセンス、素晴らしいです(元ネタはFacebookより)

2011年11月7日月曜日

蟷螂の斧

 週末は久しぶりに両親の元に孫を連れて遊びに行っていた。両家にとって初孫なので、どっちの実家に遊びに行っても子供はスター扱い。最近は少しずつ単語が言えるようになってきたので注目度は更に高い、数日毎に単語が増えている氣がしなくもない。

今回驚いたのは外でバッタを掴まえていた事。季節柄、バッタも元氣全開では無いのだろうが、それでも足元にいるバッタを何の抵抗も無くも掴まえるとはびっくりである。葉っぱは破って遊んでいるのに、虫についてはきちんと柔らかく持っていた。力加減も分かっているらしい。逃がしては掴まえ、逃がしては掴まえの繰り返しだったので遊ばれているバッタはたまったものでは無かっただろうが。

仕事中にメールがあった。どうやら日中、外で散歩中にカマキリがいたらしい。バッタ同様、臆する事無く、突っついて遊んでいたら威嚇されてびっくりしたとの内容。不覚にも笑った。


カマキリをベースにした蟷螂拳なんて武術もあるしね


あ、でもバッタがベースと言えば仮面ライダーか。虫、侮り難し。


 (20年以上も前に蟷螂拳から私の武術ライフが始まったと言う事を懐かしく思い出しました)

2011年11月1日火曜日

Mentor

 氣が付けばこのブログも始めてから一年以上経つのだが、元々はHTMLを使ったホームページだった。コンセプトはNYで日本の企業に勤める武道好きの日々。日々の出来事を色々と書いていたのだが、当時、よく登場していたのが私のNY時代の上司だった。

NY時代の上司は、私と歳はそれほど変わらないのだが、とにかく頭が切れる人だ。物静かな外見の下にマグマのようなパッションを持つ人で、自分にも他人にも厳しい。フェアでありながら切り捨てる時は全く情け容赦が無い。20代半ばで赴任してから10年間、鍛えられた。罵倒された回数は数知れず、褒められた記憶は無い。帰国後、上司が本社宛ての月報で私の事を褒めていたと他部署の同僚から聞いて笑い飛ばしたぐらいである。

上司はファミリーマン、私は武道と、仕事後に飲みに行くなんて事も日本人サラリーマンにしては驚くほど少なかったが、家に呼んでもらった事もあるし、同時多発テロを始め、色々な経験を共にさせてもらった。3月の地震直後に出張で上司が日本に来た時は飲みに行ったし、5月末にNYに遊びに行った時は家族で挨拶を兼ねて事務所を訪れた。武道用語で言えば師に当たる人だが、ビジネス用語で言えばメンターが相応しいだろうか。面と向かっては絶対に言わないけれど。

ビジネスツールとして使っているLinkedIn。NY時代の人脈を中心に、Facebookをやっていない、あるいはFacebookで繋がる程では無いが人脈として維持したい人々とネットワークが一通り出来上がった。転職ツールとして知られているが、用途はそれだけでは無い。欧米のように人の出入りが激しい世界でビジネスの人脈管理に非常に役に立つ。ビジネスツールなので写真や自分の職歴などもきちんと記載しておく。他の人達のプロフィールと比べて足りないのがRecommendation、推薦文だった。大きく活躍している人は大抵、数名が推薦文を寄せている。

自分のプロフィールを充実させる為に推薦文を誰に書いてもらうのが適切かと考えて、無謀にもNY時代の上司に依頼する事にした。黙殺されるかと思いきや、添削が出来るようにとメールでレスが届き、内容は読んでいて赤面するような推薦文だった。自分の知らない英単語が入っている辺りにさりげなく実力の差を思い知らされつつ、内容に感動。褒めない人にこれだけ書いてもらえたら充分である。


無謀にも追加で一部表現を更に加えてもらいましたが


お陰で推薦文を読むと何か凄い活躍をしていた氣にさせられます

(上司からは「効果があったら知らせるように」とコメントが、さてどうなる事やら)