2012年2月28日火曜日

ドラゴン・タトゥーの女/The Girl with the Dragon Tattoo

David Fincher監督の作品は1992年の「エイリアン3」から昨年の「Social Network」までどれも観ている。未見なのは2007年の「Zodiac」のみ。1999年の「Fight Club」は衝撃的な映画だった。あの映画の良さを誤解を招かないように伝えるのは本当に難しいのだがDVDでも持っている。2002年の「Panic Room」はマンハッタンの映画館で嫁さんと観た記憶がある。あれは仕事の帰りだったろうか、その辺りは曖昧だ。

昨夜、ツイッターでも呟いたが、仕事の後に観て来た。予告編は自分のiPod Touchで何度か観ていたが正直どんな映画を期待していたのかは分らない。結論から言うと久しぶりにパンチの効いた映画を観たと言う所。2時間40分の上映時間なんてあっと言う間だった。物語は雑誌「ミレニアム」の責任者の一人である主人公ミカエルが、大富豪の依頼で40年前に失踪した少女ハリエットの行方を追う。その過程で捜査に協力するのがドラゴン・タトゥーの女、天才ハッカーのリズベットだ。万人向けだとは思わないが、ジャンルはミステリーサスペンスか。映画のタイトルクレジットはこんな感じ



この出だしを007のようだと描写していた友人もいたが、個人的にはそれ以上にこの映画が描く暴力を象徴している氣がする。映画はレイトショーを観に行くのがほとんどなので観客層や年齢層を氣にした事は無いが、この映画はR15指定。そうだろう。映画を観ていて、「自分の子供には(大きくなるまでは)見せたくないな」、と感じたのは初めての経験だった。そう言えばフィンチャー監督の、「Se7en」、も暴力溢れる映画だった事を途中で思い出したりもした。


 万人に勧められないが語りたい氣にもなる映画でした


小説やスウェーデン版のオリジナルも氣になりますし

(ちなみにSW Episode 1 3Dの予告編もありました、こちらの大スクリーンも久しぶり)

2012年2月22日水曜日

スターウォーズに見る師弟関係

「Darth Plagueis(ダース・プレイガス)」を読み終えた。今回はその内容と、そこに見られる武術世界の師弟関係の類似性について述べたい。Darth PlagueisはEpisode 3でPalpatine(パルパティーン)がAnakin(アナキン)をフォースの暗黒面にそれとなく誘惑する際に言及される人物だ。



フォースを使って命を操れるだけの力を持つ事で、Darth Plagueis the Wise(賢者プレイガス)とまで呼ばれていながら、最終的に寝ている最中に弟子に殺されてしまった悲劇として語られるが、パルパティーンの表情から彼が自分の師の話をしている事が伺えるシーンだ。そんなダース・プレイガスと弟子のダース・シディアス(パルパティーン)の物語がこの本。





スターウォーズの小説は無数にあるが、その中でもこれはダントツの出来。何が面白いのかと言えばスターウォーズの宇宙を舞台にしながら、基本はポリティカル・スリラーに近いからではないかと思う。映画の新三部作は少年アナキンがジェダイとなり、最終的にフォースの暗黒面の誘惑に負けてダース・ベイダーとなってジェダイを滅ぼす物語だが、同時に惑星ナブー出身の共和国元老院議員パルパティーンが権力の座に上り詰める物語でもある(Episode 1でSupreme Chancellor、元老院最高議長。Episode 3で皇帝を名乗るまで)。小説では17歳のパルパティーンがプレイガスにその才能を見出されてシスの教えに弟子入りし、裏でその修行を積む傍ら、表の社会で議員となり、どんどん政治家として力を身に付けて行く過程を描く。そう言う意味ではタイトルこそ、ダース・プレイガスだが、実質はパルパティーンの物語と言っても良い。

映画で言及されているようにプレイガスはシディアスに睡眠中に殺される。よって物語もプレイガスの死から始り、そこから遡って、プレイガスの死で終わる。ここで付け加える必要があるのが、シスの教えは常に師1名、弟子1名のRule of Twoと言う教えに基づいており、弟子は師を超えた段階で師を倒して、自分が改めて師となると言う流れ。ジェダイが常に多数のグループを作っているのに対し、シスはベースが利己主義な為、同じように多数いては仲間内で潰し合ってしまうので敢えて師弟2名と言う状態を保っていると言う設定だ。小説も最初の段階でプレイガスが自分の師を殺害する描写がある。そこから弟子となる候補を探していく過程でパルパティーンに巡り合う。

ジェダイもシスもフォースの担い手でないとなれない。ジェダイは幼児の頃から世俗的な物事に執着しないようジェダイの寺院で鍛えられ、シスは才能を認められた段階で入門が許されると言う流れ。Episode 3でアナキンがシディアスに弟子入りする場面があるが、跪いて教えを請い、そこで新しい名前を与えられて入門式が完了する。これは中国武術の拝師に感覚的に良く似ている(名前が変わる事は無いと思うが)。中国武術の場合、一般の生徒と弟子、そして後継者となる弟子とでは教えの内容が異なるのだが、その選ばれる過程で接する教義や技が変わって行く。小説でシスの教えについて、一口にフォースの暗黒面と言っても理解のレベルは様々であるとプレイガスが語る箇所があるが、最初に連想したのが武術の世界だった。教えと言う意味ではなかなか良い事を言うなと思ったのが次の箇所である。

But holocrons contain knowledge specific and idiosyncratic to each Sith who constructed them. Real knowledge is passed by Master to apprentice in sessions such at this, where nothing is codified or recorded - diluted and thus it cannot be forgotten. There will come  a time when you may wish to consult the  holocrons of past Masters, but until then you would better not be influenced by them. You must discover the dark side in your own way, and perfect your power in your own fashion. All I can do in the meantime is help to keep you from losing your way while we hide in plain sight from the prying eyes of our enemies

(拙訳: しかしホロクロンはそれを作ったシス個人、特有の知識が蓄えられている。本当の知識とは師から弟子にこのようなセッションを通して伝授されるものだ。明文化もされず、記録もされない、よって薄められる事もないので失われる事もない。いずれは過去のマスター達のホロクロンを参照したくなる時も来るだろう、だがそれまでは影響を受けない方が良い。暗黒面を自分の方法で発見し、その自分に合った形でその力を自分のものにしなくてはならない。当面、私に出来る事と言えば、我々が敵から隠れて過ごす間、お前が道を見失わないよう手伝う事ぐらいだ)

ここで述べられている師弟関係の教えの伝授についての記述はしびれた。武芸においても道場の中で体術を練っていれば良いと言うものでは無い。一般の生徒はそれで良いが、弟子ともなれば師と過ごす一時、一時の中でそれとなく伝わる空氣のような教えにも耳を澄まさなくてはならない。これは武芸の世界でもよく言われる事だ。また他の箇所でシディアスがプレイガスに一人前のシスになるのにどのぐらいかかるのかと尋ねて、「最低10年」、と言われる箇所も実に興味深い。技を伝え、心を伝え、様々な知識を伝える。この辺りの時間のかけ方が読んでいて実にリアルに感じられるのがこの本の魅力だ。

この他にもスター・ウォーズの映画や小説から様々なキャラクターが登場し、物語を盛り上げて行く。方々に好きな人間にはたまらないキャラ同士の会話などが入って実に面白い。これを読んだ後にEpisode 1を観たら、映画の表で描かれていない様々なドラマに思いを馳せてしまう事だろう。Episode 1はシリーズの中で最も微妙な出来であるが、この小説を読んだ後なら3Dと久しぶりの大画面を求めて映画館に足を運んでも良いかと思わなくもない。


 取り敢えず小説を再読しながら来月の映画公開を待つとします

2012年2月15日水曜日

遭遇

数週間前の事、他部署を仕事で訪れていた時にそこの人間からNY時代の上司が一時帰国するとの噂を聞いた。NY時代の上司は10年一緒に仕事をした人。昨年、出張で戻って来ていた時は他のNY仲間と一緒に飲んだし、春過ぎに家族を連れてNYに行った時は事務所に寄って挨拶をした。また戻って来るのかと思いつつ、本人に真偽を確認する事をすっかり失念。氣が付けば社内にいるらしいと言う噂を偶然、ランチで一緒になったNY時代の同僚とする始末。

日本中に散らばっている関連部署のトップが集う集会があり、それに合わせた社長の訓示があるとの事で、管理職として集会場に顔を出した。10分前に着くと会場の席の大半は埋まっている。毎度の事ながら他の管理職達の時間厳守精神の高さを感じる。NY時代の上司もこの群衆の中のどこかにいるのかもと思ったが、探す氣も失せて会場の最後列、中央の席に着いた。スーツ姿のアジア人の群衆の後ろ姿が目前に広がる。こんな人混みの中で見つけ出すのは無理だと右の方に目をやると奥に見馴れたNY時代の上司が。こんな近くにいたのかと何人かの前をまたいで、挨拶に行った。こんな後ろの目立たない席にいると言う事実が笑える。


「早く着き過ぎじゃってさ」、とのコメント


 うん、海外に出張すると色々と読めなくて、そんな事もある

(こんな偶然にフォースの導きを感じなくもありません)

2012年2月7日火曜日

新スパイダーマン/予告編

帰りの電車の中で予告編が遂に出た事を知って、帰宅早々PCの前。うん、この予告編は出来が良い。前のスパイダーマンとはまた違ったタッチ。スパイダーマンのウィットが予告編の中でも味わえるのが良い。今年はアメコミのスーパーヒーローものはたくさん出るけれど(AvengersにDark Knight)、やはりこれも外せない。


2012年2月2日木曜日

The Dog Strikes Back

昨日、スーパーボウルとフォールクスワーゲンのCMの話を書いたが、今年のCMは既にアップされていたようだ。郊外の家を舞台に、自然と車を馴染ませるコンセプトは昨年と一緒。最後のスターウォーズへの流れは若干強引な感じがしなくも無いが、あの舞台設定が40年近く経った今も古びれずにCMの舞台として使われている事実が驚きだ。



さて、再生回数はどこまで行く事やら

2012年2月1日水曜日

スーパーボウルとCM

スーパーボウルと言えばアメリカ国民にとってはスポーツ祭典の一つの究極点。アメフトのルールをきちんと把握していない人間にとってはオンエアされるCMが一つの注目点だ。昨年はこちらで紹介したダース・ベイダーとフォールクスワーゲンのCMが注目を集めた。

Twitterでも呟いたが、最近はCMのCMが流行りなのか、この夏のアメコミヒーロー勢揃いものである「The Avengers」の30秒CMのそのまたCMが放送されているようだ。半年後にはこんなCMがあった事すらすっかり忘れているような氣がするのだが、ネットを使って観客の興味を引くマーケティング手法として、今の時代は当然なのだろう。Avengersを楽しみにしている身としてもここで紹介せざるを得ない。





しかしCMのCMと言えば、昨年のフォールクスワーゲンが出しているこちらのクオリティには敵わないだろう。犬の吠え声で流れる帝国軍のマーチ。どのように撮影したのか分らないが見事である。





本家のCMがこれを超えるインパクトを持つのか不安に思うぐらい

来週の今頃は今年のスーパーボウルのCMで一通り盛り上がりそうな予感

(ちなみに肝心のゲームの方はよく分りません、10年アメリカに住んでいましたけど)