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2013年9月25日水曜日

半沢直樹に見る懐かしさ

連休中に驚異的視聴率を誇ると言う「半沢直樹」を観る機会があった。と言っても最終回だけ。取り敢えずの感想としては。


  1. ドラマを最初から観ようとは思わないが、話は面白い。原作の続き「ロスジェネの逆襲」は気になる
  2. 社内の人間ドラマ模様が前職の日系企業をちょっとだけ思い出させた
  3. 自分は銀行員は無理
  4. 剣道シーン、武道的には色々と疑問あり(ドラマ的には良いのだろうけど)

「出向」と言う制度、「常務」、「次長」、と言った肩書きなどが懐かしかった。私が10年、NYで仕事をしたのは出向扱いだったが、希望を出して海外で働いていたのでドラマで描かれているような「出向 = サラリーマンとして敗北宣言」のような状態では無かった。肩書きは部署によって気にする所もあれば、気にしない場所もあったな、と言う感じ。今の職場に移ってきた時、メールでもお互いの呼びかけが役職に関係無く「〜さん」で統一されていたのは新鮮だった。今ではすっかり馴れてしまい、以前の役職付きでの呼びかけが遠い過去のように感じられる次第。

先日、前職で親しかった人達と数名で食事をしたのだが、色々と驚きの人事があったそうだ。聞いていて唖然としたが、残っていたらどれかに関わる事はあったのだろうかと思わなくも無い。外資の今は異動を気に病むより、明日以降も自分の仕事(席)があるのかの方が気になる。それなりに人の出入りは多いので、皆に頼りにされていた人がすっと次のキャリアパスで惜しまれて転職するケースもあれば、試用期間で正社員になれずに終わってしまう人もいる。最初の頃は結構驚いていたが、だんだん感覚が麻痺してきた。今の所、自分は一年は勤めていられそうだが、外資の環境で仕事を続けるには「仕事が出来る」と言う当たり前の事以上に色々な要素が絡むのだなと言う事は今も現在進行形で学習中だ。長く勤めている人は10年以上いるが、短い人はそれこそ数ヶ月の使用期間で終わってしまうし。

半沢直樹を観て思い出したのは「こう言う世界は無理」と言う気持ちだった。でもこれは「出向」があるとは言え、やはり終身雇用が前提の社会での話だろう。これからの日本の会社はその辺りも含めてどうなるのだろう。ドラマを観て、前職を思い出しながらそんな気持ちになった連休だった。

取り敢えず自分としては40にして迷わず。

2013年6月5日水曜日

趣味と仕事と家族と

今朝方の通勤時にGunosyで届いた記事で「家庭、仕事、趣味の両立の難しさを痛感。仕事・趣味男の弱点」、と言うものがあり読まずにはいられず呟いた。家庭、仕事、趣味を全て成立されるのは不可能では無いかと言うのが私の実感。

私の趣味と言えば武術と映画鑑賞。読書も加えたい所だが最近は村上春樹の新作を読んだぐらいでほとんど本を読む機会が無いので微妙な所。武術については以前も述べたが、NY時代と今では全くと言う程状況が違う。以前は週6日は道場にいるのが普通だったのが今はほぼ皆無。早朝に家族が起きてくる前に身体を動かす程度。サイトも以前は毎日のように更新していたが最近は月一ぐらいの頻度か。映画鑑賞は何とか映画館に時々通い、週に一回は夫婦でDVDを観るようにしている。

結婚したぐらいでは趣味の時間が消える事は無かった。が、子供が出来たら無理がある。我が家は長男が3歳、次男が6ヶ月。平日、嫁さんに任せっきりである以上、週末に気軽に稽古に行く訳にもいかない。行くに当たっては事前に要相談だ。映画館は妻子が寝た後に行く事が出来ない事も無い。睡眠時間をどんどん削っていけば良いのだが、削り過ぎると仕事に弊害が出る。バランス維持が至上命題。

仲間と稽古が出来ない事について罪悪感が無いと言えば嘘になる。とは言え、家族より優先度が高い事は無い。長男に毎朝、「お父さん、今日は会社行かない?」、と聞かれて週に5回は、「今日は仕事なんだよ」、と言って家を出ている身としては週末ぐらいは子供と過ごして喜ばせたいのである。稽古に行けばそれはそれで非常に楽しいが、子供と過ごせる時間がその分減ると言う事実は胸が痛い。ジレンマ。これまで自分の周りで当たり前のように起きていた事であるが、自分にも起きるとはちょっと不思議な感じである。

趣味の時間は今でももちろん大切だが、今は自分の中の優先順位として子供と過ごす時間の方が少し高めなのだろう。子供が可愛らしく「お父さん」と慕ってくれる期間だってそう長くは無いはず。外の世界に出て憎まれ口を叩きながら自分の世界を築き始めるまでは子供の事を優先的に考えても良いか、と。

そんな長男も明日は初登園日。明日は仕事を終えたら何とか子供が寝る前に帰って話を聞いてあげたい。

映画館にも行きたいのだけど。


2013年3月25日月曜日

生活習慣

 外資で仕事を開始して約4ヶ月が経とうとしている。今の所は順調。色々と書きたい事はあるのだが、なかなかまとまらないので今日は大体同じタイミングで始めた習慣について書きたい。

朝早く起きて身体を動かす事。

私の場合、身体を動かすと言うのはジョギングや筋トレでは無く武芸の稽古を指す。元々、高校時代に中国武術、大学時代に合氣道と始め、社会人になって一瞬途絶えそうになったものの、20代半ばでNYに赴任してからは合氣道の町道場に所属していた。一時期はJKDもやり、最終的には合氣道道場の運営までやっていた。サラリーマンとは別に週6日は道場にいるのが普通の生活だった。なかなか駐在でこんな人間はいないと思う。

 変化は30代半ばで10年のNY生活を終えて帰国してから始まった。日本での会社勤めと家庭。NY時代と比べると仕事の自由は利かなくなり拘束時間が長くなった。長男が生まれてからは週末、家族を置いて稽古に出かけるのも少々難しくなった。こうして日常的な稽古から徐々に遠ざかった。

もちろん今でも稽古はしているのだが、夜型の稽古を主としていたのを、転職に合わせて朝型に変えた。主なメリット。

  • 妻子が起きる前なので邪魔されずに集中して行える
  • 酒や食事の影響に左右される事が無い
  • 稽古の過程で頭が冴え渡りその日の予定が明確になる

 思い付くデメリット。

  • 朝が早い、冬場は太陽が昇っていない

 正直デメリットはほとんど無い。起床時間に合わせて就寝時間も前倒しにすれば良い。この習慣を変えるのがコミットメントと言えばコミットメントだったが、4ヶ月経って新習慣として身に付きつつある氣がする。稽古時間は30分強、時間があればもう少し長めに行う。メニューは型中心だが、基本動作や鍛錬を行う事もある。

稽古を終えて朝食を作り始めていると妻子が起きて来る。家族と朝食を共にし、仕事に出かける。今の所、心身共に調子は良い。もっと以前からやっていれば良かったと思うぐらいだ。敢えてデメリットを付け加えるとしたら夜遅いのが辛くなったと言うぐらいか。週末、子供達を寝かし付けながら一緒に落ちて朝を迎えたりするとちょっと茫然とする。


そんな訳で今夜も遅くなってきたので寝るとしよう。



2012年3月30日金曜日

武道の必修化に思う事 - 其の二

私自身の武道の義務化についての思いはこちらで書いた通り。基本的に素人に毛が生えたような「何ちゃって黒帯」に自分の子供を預けるのはごめんこうむりたい。礼儀精神云々と言うのも実に眉唾ものだと言う所に尽きる。

「大外刈り」禁止 中学柔道指針 試合は座った状態でと言うニュースを見た。最初の反応は、オチは何だろう?と言うものだったがどうやら真面目なニュースらしい。笑ったら良いのか呆れたら良いのか、少し呟いてしまった。

ま、この指針の氣持ちは分かる。私が最初に反対した理由も、多くの死人や怪我人を出していると言う点に立脚しているので、そこを回避したいのであろう。大体、中学1、2年で計約20時間、選択制の3年でプラス10時間の計30時間では出来る事にも限りがあるだろう。そこで試合は座った状態で、1、2年生については「投げ技は互いに約束した動きの中で行うだけで、乱取りなどは行わない」、と言う結論に至ったのだと思う。しかしこれって、柔道と言うよりは古流の柔術。あるいは合氣道と言っても良い。

別にそれはそれで良いのだけど、座った状態から乱取をすると勝敗はどうやってつけるのだろう。投げるのは難しいだろうから、寝技か?すると関節技や絞め技の登場になるが、これは指導者がきちんと監督していないとタップのタイミングを誤ったりしてやはり怪我につながる危険性がある。体力は消耗するから良い運動にはなるが、高専柔道やブラジリアン柔術の分野だろう。だんだん教育の名の元に何を目指しているのか外からは分り難いと言うのが正直な所だ。

取り敢えずネットを見まわした限りではこのニュースについて肯定的な捉え方をしている所は少ない様子。「武道」必修化 アナクロニズムそのものなんて記事もあった。締めはこんな文章むしろ、サッカーやバレー、バスケットなどの団体球技を増やし、大震災でクローズアップされた「絆」の大切さをボール一つ、チームプレーで体感させた方が、より教育的ではないか。


あぁ、こう言うのもとても苦手


球技とグループスポーツのエリアであまり楽しい記憶が無いのでこちらも賛同し辛い

子供には自分の身は自分で守れるように教えないとなぁー

2012年3月28日水曜日

組手にまつわるエトセトラ

ここ一年弱、私が主に顔を出している稽古会はNY時代にネットで知りあった古流の流儀の方のものだ。正確には関東の自主稽古会と言った方が良い。10人に満たない少人数で楽しく稽古させてもらっている。最近は一部の間でスパーリングが流行っており、グローブと頭部用の防具で何人かが稽古している。組手は私も好きだが防具を買うのは少しためらわれるなと言うのが私の第一印象。

思い出した。

考えてみると我が家にも防具があった。NY時代に数年間、合氣道と同時にJKDを学んでいた時にフェイスマスクとフィンガーグローブは買っていた。自宅で棚を探すと案の定、出て来た。それを持ってウキウキと週末の稽古へ。通常の稽古の後に数年ぶりかにマスクをして組手をする機会があった。

ルールは手のみのライトコンタクト。防具を付けていると距離感がやはり異なる。後半歩踏み込まないと当たらない距離でも顔面に当てる事が出来る。そして打たれる事に対する恐怖が半減した所に蹴り無しなので、積極的に前に出て打ち合う事が出来た。時間にして5分程度だろうか。久しぶりに遊んだ感じ。右手を見たら、人差し指の所に血豆が出来て腫れていた。フィンガーグローブで鉄面を殴ったら仕方無い。

翌日、起きたら首が少し筋肉痛だった。打たれたからだろう。身体の他の部位の筋肉痛については良い稽古の思い出とする。子供に朝食をあげていたら、私の右手の血豆と腫れた後を見て、「トウサン、イタイ」、と盛んに言っていた。子供でも見て分かるものなのかと感心しながら、「そうだね、痛いね」、と相槌を打っていると、「トウサン、イタイ」、と言いながらグリグリっと人の痣を押す息子。


痛ぇよ


そんな息子はとても嬉しそうでした、コイツ、楽しんでいるな?

2012年2月22日水曜日

スターウォーズに見る師弟関係

「Darth Plagueis(ダース・プレイガス)」を読み終えた。今回はその内容と、そこに見られる武術世界の師弟関係の類似性について述べたい。Darth PlagueisはEpisode 3でPalpatine(パルパティーン)がAnakin(アナキン)をフォースの暗黒面にそれとなく誘惑する際に言及される人物だ。



フォースを使って命を操れるだけの力を持つ事で、Darth Plagueis the Wise(賢者プレイガス)とまで呼ばれていながら、最終的に寝ている最中に弟子に殺されてしまった悲劇として語られるが、パルパティーンの表情から彼が自分の師の話をしている事が伺えるシーンだ。そんなダース・プレイガスと弟子のダース・シディアス(パルパティーン)の物語がこの本。





スターウォーズの小説は無数にあるが、その中でもこれはダントツの出来。何が面白いのかと言えばスターウォーズの宇宙を舞台にしながら、基本はポリティカル・スリラーに近いからではないかと思う。映画の新三部作は少年アナキンがジェダイとなり、最終的にフォースの暗黒面の誘惑に負けてダース・ベイダーとなってジェダイを滅ぼす物語だが、同時に惑星ナブー出身の共和国元老院議員パルパティーンが権力の座に上り詰める物語でもある(Episode 1でSupreme Chancellor、元老院最高議長。Episode 3で皇帝を名乗るまで)。小説では17歳のパルパティーンがプレイガスにその才能を見出されてシスの教えに弟子入りし、裏でその修行を積む傍ら、表の社会で議員となり、どんどん政治家として力を身に付けて行く過程を描く。そう言う意味ではタイトルこそ、ダース・プレイガスだが、実質はパルパティーンの物語と言っても良い。

映画で言及されているようにプレイガスはシディアスに睡眠中に殺される。よって物語もプレイガスの死から始り、そこから遡って、プレイガスの死で終わる。ここで付け加える必要があるのが、シスの教えは常に師1名、弟子1名のRule of Twoと言う教えに基づいており、弟子は師を超えた段階で師を倒して、自分が改めて師となると言う流れ。ジェダイが常に多数のグループを作っているのに対し、シスはベースが利己主義な為、同じように多数いては仲間内で潰し合ってしまうので敢えて師弟2名と言う状態を保っていると言う設定だ。小説も最初の段階でプレイガスが自分の師を殺害する描写がある。そこから弟子となる候補を探していく過程でパルパティーンに巡り合う。

ジェダイもシスもフォースの担い手でないとなれない。ジェダイは幼児の頃から世俗的な物事に執着しないようジェダイの寺院で鍛えられ、シスは才能を認められた段階で入門が許されると言う流れ。Episode 3でアナキンがシディアスに弟子入りする場面があるが、跪いて教えを請い、そこで新しい名前を与えられて入門式が完了する。これは中国武術の拝師に感覚的に良く似ている(名前が変わる事は無いと思うが)。中国武術の場合、一般の生徒と弟子、そして後継者となる弟子とでは教えの内容が異なるのだが、その選ばれる過程で接する教義や技が変わって行く。小説でシスの教えについて、一口にフォースの暗黒面と言っても理解のレベルは様々であるとプレイガスが語る箇所があるが、最初に連想したのが武術の世界だった。教えと言う意味ではなかなか良い事を言うなと思ったのが次の箇所である。

But holocrons contain knowledge specific and idiosyncratic to each Sith who constructed them. Real knowledge is passed by Master to apprentice in sessions such at this, where nothing is codified or recorded - diluted and thus it cannot be forgotten. There will come  a time when you may wish to consult the  holocrons of past Masters, but until then you would better not be influenced by them. You must discover the dark side in your own way, and perfect your power in your own fashion. All I can do in the meantime is help to keep you from losing your way while we hide in plain sight from the prying eyes of our enemies

(拙訳: しかしホロクロンはそれを作ったシス個人、特有の知識が蓄えられている。本当の知識とは師から弟子にこのようなセッションを通して伝授されるものだ。明文化もされず、記録もされない、よって薄められる事もないので失われる事もない。いずれは過去のマスター達のホロクロンを参照したくなる時も来るだろう、だがそれまでは影響を受けない方が良い。暗黒面を自分の方法で発見し、その自分に合った形でその力を自分のものにしなくてはならない。当面、私に出来る事と言えば、我々が敵から隠れて過ごす間、お前が道を見失わないよう手伝う事ぐらいだ)

ここで述べられている師弟関係の教えの伝授についての記述はしびれた。武芸においても道場の中で体術を練っていれば良いと言うものでは無い。一般の生徒はそれで良いが、弟子ともなれば師と過ごす一時、一時の中でそれとなく伝わる空氣のような教えにも耳を澄まさなくてはならない。これは武芸の世界でもよく言われる事だ。また他の箇所でシディアスがプレイガスに一人前のシスになるのにどのぐらいかかるのかと尋ねて、「最低10年」、と言われる箇所も実に興味深い。技を伝え、心を伝え、様々な知識を伝える。この辺りの時間のかけ方が読んでいて実にリアルに感じられるのがこの本の魅力だ。

この他にもスター・ウォーズの映画や小説から様々なキャラクターが登場し、物語を盛り上げて行く。方々に好きな人間にはたまらないキャラ同士の会話などが入って実に面白い。これを読んだ後にEpisode 1を観たら、映画の表で描かれていない様々なドラマに思いを馳せてしまう事だろう。Episode 1はシリーズの中で最も微妙な出来であるが、この小説を読んだ後なら3Dと久しぶりの大画面を求めて映画館に足を運んでも良いかと思わなくもない。


 取り敢えず小説を再読しながら来月の映画公開を待つとします

2012年1月18日水曜日

武道の必修化に思う事

私は高校時代に中国武術に出会い、大学で合氣道を始め、色々と稽古を続けて来たので単純な武道歴で言うと20年以上になる。武芸は私がかなり熱くなる分野だし、子供にも教えたいと思う。

とは言うものの、まるで狙ったかのように2日続けて、愛知の柔道教員、6日で黒帯…30年間全員合格や、中高生114人、柔道で死亡していた…名大調査なんてニュースに触れると正直、氣が滅入る。前者についてはきちんと読めば6日と言うのは1年目に2日の講習、2年目に4日の講習を受けて愛知県の中学・高校の体育教員が黒帯をもらうと言う事なので厳密には1年の期間があっての6日だが、それでも何だかなと思う。そこに追い打ちをかけるように後者のニュース。114名の統計は1983~2010年の28年間の合計だが、半数以上が1年生、死亡原因の大半は頭部外傷と読めば言葉を失ってしまう。

こちらの記事によると2010年度に柔道で黒帯を取得した人数は男女合わせて約2万3600人との事。さすがは講道館、大組織である。武芸によって黒帯の難易度は異なるし、身も蓋も無い事を言えば昇級、昇段審査は道場にとって売上に貢献する大きな所なので、別にどの流儀にどれだけの黒帯がいるかは個人的には問わない。そもそも今の時代に黒帯と言うものにどれだけの価値が置かれているのか分からないが、親としては自分の子供が学校の体育の授業で、運動神経だけで受身が取れて黒帯を締める事になったかもしれない人間に武道を教えられるのはごめんこうむりたいと言うだけである。

武道の話になると礼儀や人格形成が話題に挙がる事もある。我が身を振り返れば確かにそれは有効だったと言えなくもない。が、それは結果であって、目的では無い。それを目的に子供に武道を学ばせたいと言う親がいたら個人的には反対だ。最近のニュースを見ていれば、アマ、プロを問わず試合の勝敗が全ての評価基準のベースとなった結果、人間的に問題ありな人達がチヤホヤされ挙句の果てにトラブルを起こしたと言うケースも目に付く。心身を鍛えて身を守れるようになるメリットは計り知れないが、その過程で道を踏み外しては本末転倒甚だしい。

今まではこの種のニュースに触れても基本的に他人事だったのだが、自分に子供が出来ると反応が変わると言うのは一つの発見。どうしたものかなと思う。


取り敢えず学校教育が始まる前に一通り仕込むとか


そもそもどこで育てるかなど、色々と考え込みます

2011年12月14日水曜日

稽古納め(合氣道)

帰国以来、自主稽古と言う形で世話になっているセミプロの友人との稽古納めが先日あった。稽古納めと書くほど頻繁に合氣道の稽古をしている訳では無いが予定表を見る限り年内はもう厳しいだろう。今回はゲストとしてNYで合氣道を学び、帰任となって友人の道場に所属する事になった方にも声をかけた。その人は私が2008年に帰国となった後にNYに赴任、道場に入門し、私の日本人の黒帯後輩に鍛えられた方。会社のトップとして赴任していながら地元の道場に通う辺り、とんでもないバイタリティだ。私もNYを訪問した際に何度か稽古をした記憶がある。日本に帰国されてから何度か時間を調整して会おうとしたのだが、今回が初めてとなった。

有段者2名と級保持者1名の3名だったので稽古は基本に忠実に穏やかに。場所は新宿スポーツセンターだったのだが、毎度の事ながらここは武道系の人達の人種の坩堝である。ダンサーが混ざっているのは微妙だが、彼等のアクロバティックな動きを見たら畳のある場所で練習するのは理に叶っていると言わざるを得ない。そんな賑やかな場所の片隅で2時間ほど稽古をした。久しぶりに友人以外の人間と組む事が出来て私も新鮮だった。

夕方に稽古が終わり忘年会に。しかし17時前と言う時間帯故ほとんどの店が開いていない。結局、駅前を放浪した挙句、一軒のお店に落ち着いた。 セミプロの友人は酒が強く、後輩の方も酒豪。氣が付いたら焼酎のボトルがテーブルにあった。話題は稽古の話からNY道場の話に。NYは友人も3度来ている。話題に挙がるメンバーはそれぞれが知っている人達だ。師や奥様を始め、先輩や後輩達の話題で大いに盛り上がった。


店の滞在時間4時間


帰宅後、酔い潰れて意識を失っていました・・・・

2011年11月28日月曜日

型の発見と楽しみ

土曜日、久しぶりに他流儀の自主稽古会に参加した。色々と用事が重なってしまい数週間ぶり。参加開始時刻には間に合わなかったのだが、到着すると既に皆で打撃力の検証中だった。

少し前にFacebookで先輩に当たる人が身体操作方法について開眼、先生からお墨付きをもらっていた。一体、それはどんな内容なのだろうと質問する間も無く、防具越に打たれて悶絶する破目に。検証稽古の過程で打たれる事に多少馴れて来たとは言え、防具越しにこれはなかなか危険な香りがする。

ポイントは体軸を自分の前に置き、肘や拳は型通りに最短距離を移動する事。その軌跡を立体的に捉える事でコンタクトの瞬間に全身の体重を乗せる事だった。言葉で説明されると分かり難いが稽古の途中で肘打ちの軌跡を修正されてもらった瞬間に腑に落ちた。なるほど、この動きか。これだと確かに体重が乗るし、何と言っても早い。動きの拍子が変わったとでも言うべきか。

お陰で私の肘打ちの動きと打撃力は稽古前と稽古後で各段にアップした。防具越に受ける相手が顔を歪めて後退するぐらい。面白いもので敢えて不自然かつ不自由な型通りの動きの方が威力が増す。姿勢を微調整し、特定の軌跡で肘を投げ出すように動かす事で、結果として引っ張られるように身体の重みが加わる。皮肉なのは見た目は全く力が入っているように見えない事。突きも同じ要領だと教わったのだが、こちらについては自分の中で再現性を確立させるだけの把握が出来なかった。

突きはもう少し練り込む必要がありそうだが、肘打ちはかなり明らかになった。感触を失わないようにと帰宅後も適宜腕を振る。朝、起きて顔を洗っても最初に軌跡を確認。肘打ちを集中的にやっていた為か、型を通してやってみたら突きも感じが変わり始めていた。この調子で練れば次回の自主稽古会の検証でもう少しまともな突きが出来るかもしれない。出来るようになった事が嬉しくてちょっとした機会に肘を動かす。


肩と肩甲骨にかけて延々と筋肉痛が・・・


なるほど、この辺りを集中的に使っていたのかと納得

しばらく飽きるまでやっていそうです

2011年10月11日火曜日

実りのある稽古

 私が情熱を燃やす趣味と言えば武芸な訳だが、では具体的に何かと問われると真面目に答えるのが難しい。習慣的に合氣道と答えているが帰国以来、道場に属していないので、あまり定期的に稽古をしているとは言い難い。セミプロの友人との自主稽古と、NYを訪れる際に昔の古巣である道場に顔を出すぐらいだろうか。最近では道着に袴姿になるのは月一程度。これで果たして趣味として成立しているのか突っ込まれれば微妙な所である。

以前にも述べたが今年の3月、震災の直前にネットでNY時代から親しくさせて頂いていた沖縄の手の使い手の方の一般講習会に参加させてもらう機会があった。それまでは文章と動画だけでの接点だったが、実際に稽古に触れて、古流の教えが脈々と生きている武芸がきちんと現存している事を嬉しく思った。最近は週末、月に数回の割合でそちらの自主稽古会に出席している。先日は沖縄出張があったのを良い事に沖縄で仕事後に稽古をする楽しみもあった。

節操が無いと言われればそれまでなのだが、私がこれまで縁があり師と仰がせてもらっている方々からは一様に広く学ぶようにと言われてきた。武芸の世界では珍しい事だが、「他流に首を突っ込んだら破門」と言う扱いを受けた事は無い。もちろんだからと言って大々的に他流を学んでいる事をアナウンスするのはNG。そこは嗜みと言うものである。

この3連休は関東講習会だった。当初は1日のみの参加予定が嫁さんの厚意で急遽2日参加出来る事に。弟子向け、会員向け、一般参加者向けとあったが私は後者2つに参加した。立ち方、押し合い、投げ合い、武器、ミット打ちに約束組手、あっと言う間に数時間が過ぎる。このカリキュラムの密度の濃さは本当に大したものだ。訊くと弟子向けの稽古はさらに濃いらしい。面白そうだ。2日間、実に楽しい時間を過ごした。


審査も受けてしまったり


全くそのつもりは無かったのですが、成り行きで、お陰様で初級です

(帰国以来、黒帯より白帯を締めている回数の方が圧倒的に多い氣がします)

2011年8月8日月曜日

打ち合い

 週末の土曜日に久しぶりに今年に入ってから縁の出来た他流儀の古流の自主稽古会に参加させてもらった。自主稽古会は毎週末開催されているのだが、さすがに毎週の参加は難しい。午前中は私が子供の面倒を見て嫁さんが外出、午後は代わりに私の時間と言う事で道着をカバンに詰めて家を出た。

体育館に着くと先に来ていたのは先輩が2人のみ。3人で稽古を始めている内に他の人達も集まってきた。稽古は押し合いや相撲のような内容もあれば、互いに組んで特定の個所を鍛える鍛練法もあるし、打撃に投げ、武器もある。初心者としては軽く消化不良を覚える量だが、そこはコツコツと。

個人的にはこの稽古体系は非常に理に叶っていて面白いと思う。キツイ稽古方法は打ち合いだ。一定の型でどの程度の打撃力が出来ているのか互いに打ち合って確認すると言うもの。打つ場所は腹。私が過去に経験した中国武術などでは、試し合いの打ち合いの際は危険なので打つ場所を変えると言う事がされていた。ロシアのシステマでも互いに浸透する打撃で試し合う事はされている。結局の所、技として効く打撃を練る為にはどこかで打たれる、打つ経験は必須。そして人間、誰もすき好んで打たれる人はいない。ここがジレンマ。組手で殴られるのと、自分の意志で立っている状態で打ち込まれるのとではずいぶんと印象が違うものだ。一概には言えないかも知れないが個人的には前者の方が楽。

そんな打ち合いの稽古も今回が2回目。今回は人数も集まっているので様々な人と組んで、稽古する。上手い人の動きは無駄が無く、打撃もズシンと浸透する。軽く悶絶しながらタイムアウトをお願いするぐらい。

そんな稽古を土曜の午後に行ったお陰で久しぶりに体力は限界まで消耗。電車の中で坐ったら自分の駅で降りるのがキツイぐらいだった。シャワーを浴びると腹や腕に延々と痣がある。翌朝は筋肉痛で布団から出るのがしんどい。起きている子供を嫁さんが相手してくれている事に感謝である。そんな日曜日に嫁さんに前日の稽古の事を報告、腕の痣を見せる。


良かったねーと言う満面の笑み

前はいつもそうだったものね、との指摘にそうだっけと首を捻ったり

(まぁ合氣道だけではなかなかこうならないのは確か)




2011年7月11日月曜日

指導者講習会

 先月、NYを訪問した際、着いた初日に師を始めとする道場の仲間に歓迎会を開いてもらった。師がそのような場に顔を出すのは珍しい事なので夫婦で参加された時はびっくりした。お陰様で久しぶりにゆっくりとお話をする機会があったのだが、その際の話題の一つが7月の指導者講習会だった。

指導者講習会は初めての試みで稽古仲間の友人が師を何年もかけて口説いていた内容だった。道場での通常の指導や、支部でのセミナーだけでなく、有段者を対象に特別に専用のセミナーを行うと言うもの。場所もマンハッタンの道場では無く、友人の道場で金土日の週末を使って行うと言うものらしい。食事の席で、「皆の質問に答えられるように、稽古後の懇親会もいつものパーティーではなく、セミナーだよ」、と仰っていたのが記憶に新しい。

7月のいつだっけと思っていたら後輩がFacebookに写真をアップしていた。先週末だったか。多数の友人仲間が友人の道場に集っている。具体的にどのような稽古が行われたのか分らないが、ほんの一ヶ月前にいた場所に強い懐かしさを感じる。だからと言う訳でも無いのだが、日曜の夜は身体を動かした後、久しぶりにラスベガスのAiki ExpoのDVDを観返した。行ったのはついこの間のような氣がするが、あれはもう8年も前の事。現在、日本でお世話になっている他流儀の師と出会ったのもこの時だ。この時は師の合氣道の稽古を中心に、空いている時間、様々な他流儀のセミナーに顔を出して多大な刺激を受けた事が懐かしく思い出される。日本だったらあり得ないイベントだ。何だか珍しくNYの合氣道の事を考えた週末。


夢にまで出ました


また近い内に稽古の機会を持たないとなぁー

(指導者講習会に出たいと思いつつ、今の自分では恥ずかしくて出席出来ない可能性も・・・)

2011年6月20日月曜日

歩く型

 子供が歩いたと嫁さんからメールで連絡があったのはちょうど一週間前、14日の事だった。この場合の歩くは自力で歩く事を指す。伝え歩きは結構やっていたし、NYへ向かう行きの飛行機の中では親の指を掴んで機内の通路を延々と歩いていた。あの行きのフライト、通路を何往復したかは記憶が曖昧である。

以前も書いたような氣がするのだが、子供の日々の進化を見るのは型稽古に通ずるものがある。毎日、毎日、何かを一生懸命に挑戦しつつ失敗する。ある日、何かをきっかけにそれが出来るようになる。最初の内はぎごちないその動きが徐々に洗練され、その内に、前から当たり前のように出来ていたかのように動きだす。物を掴む、ハイハイ、一つ一つが時間をかけて出来上がる。これは稽古で技を練るのと全く同じようなプロセスだなと思わなくもない。周りにその技が出来る人がいて、その姿を真似てコツを身に付けて行く過程で技が出来る。技が出来るようになれば、昔から出来ていたかのように見えるものである。兄弟のいる子供の方が早いのは身近に例がいるからだろう。

子供が初めて掴まり立ちをした時も、ハイハイをした時も、そして自分の足だけで立った時も幸いにその場に居合わせる事が出来た。「昨日まで出来なかったのに」、と思う間もなくその後は加速度的に上手くなっていく。実に面白い。

子供が歩く姿を目にする事無く、平日はあっという間に過ぎた。ヨチヨチ歩きをしているのなんて一瞬なんだからと言う親からのメールにちょっと焦燥感。そんな週末の日曜日は嫁さんが用事があり、私は久しぶりに子供と二人きりだった。母親が出かける姿を目にしていたせいか最初は散々泣かれ、そのパワーに一氣に憔悴するも、色々と氣を紛らわして場をもたす。

歩いた。

ほんの2、3歩だが確かに歩いた。感動。バランスを取りながら足を動かす。そんな当たり前の事が初めての時はとても難しいのだなと言う事が良く分かる。こっちが大喜びしているせいか、子供も嬉しそう。この小さな一歩がいずれは大きな一歩へとつながるのだろうと完全に親バカ全開。


仁王立ち姿でスティックも振るし


子供の近くで何となくカリスティックを振っていたらかなり刺激になってしまった様子

(取り敢えず棒系のものは何でも好きなようで、持った状態で転ばないで欲しいと思う親心、そう言えば子供が歩く姿を初めて見た日曜は父の日でした)

2011年4月27日水曜日

 誰にも邪魔される事無く、好きなだけ寝る。最後にこんな事があったのはいつだったろうか。NYにいた頃は週末、起きたら午後だったなんて事は珍しくなかったが、今となっては遠い昔の事だ。平日は目覚ましが、週末は子供が私を起こす。子供が比較的遅い時間まで寝ている事を幸運と思うべきかもしれない。

日曜日は沖縄古流の他流儀の稽古だった。先生とはミクシィで既に長い付き合い。先月、一般公開セミナーがあり参加して初めて挨拶をして稽古する事が出来た。その数日後に震災が起きたので既にあれも遠い昔の事に感じられる。

その先生がまた東京に寄ると言う情報を入手、稽古会に参加させてもらえる事になった。一般公開のセミナーは万人向けに柔らかい系の技をやったが、今度のは普通の生徒向けとの事。午後に稽古で夜は懇親会との事で楽しみにしていた。で、直前になってフライトの関係で稽古が早朝に。

正確には9時からなので早朝では無いが、家からの距離を考えると平日の通勤時よりも早い電車に乗らなくてはならない。平日のようにまだ寝ている妻子を残して家を後にした。

稽古は2時間半程度だったろうか。非常に充実していた。立ち方から始り、押し合い、投げ合い、型に約束組手と盛りだくさんだった。少人数だった事もあってか先生に何度も技をかけてもらえる
幸運もあった。なるほど、この稽古法は古く、そして合理的だ。一人で練る稽古の他、対人稽古もきちんと積めばきっと立ち方や姿勢が変わり、色々な変化が生じるのは分かった。短い時間で消化するには多過ぎるぐらいのカリキュラム、汗を流しながら稽古をしているとあっと言う間に終了となった。

稽古後は近所の定食屋でランチ。感想を問われたので、とても合理的だと思う旨、伝えると驚かれた。これは今後も時間を作ってぜひ稽古をしたいもの。合氣道他、また色々と兼ね合いが悩む所だが、機会が目の前に訪れたら手にするしかない。色々と必要に応じて調整しよう。

そんな充実した時間の後は家族の元へ。朝が早かった代わりに家族と過ごす時間がきちんとあるのは嬉しい。充実した稽古に家族との時間、実に満ち足りた日曜日だった。


筋肉痛と疲労感がとんでもないですが


稽古の最中は平氣だったのですが、帰り道辺りから全身がうずきだし今に到ります。

(この感触も懐かしいのですが、まさかここまで身体がなまっているとは不覚です)

2011年4月19日火曜日

師匠

 久しぶりに合氣道関係の友人と飲む機会があり、色々と盛り上がったのだがその内の話題の一つが師匠だった。武道を志す者にとって師の存在は避けては通れないものだ。師を持たないで一定以上のレベルに達するのは至難の業だと言って良い。武道の場に限らず、ビジネスの場における上司、様々な状況におけるメンターなど、教え導いてくれる存在としての師と言うのが話題の一つだった。

これが最初から最後まで一人の師の下で一つの武芸を学んできたと言うのであれば話は単純だ。が、友人も私も合氣道に限っても複数の師に学んでいる。私の場合、合氣道の師匠と言えばニューヨークで10年間お世話になった方だが、学生時代に基盤を築いてくれた先生は他に2名いる。片や先生、片や師匠、この違いは何なのか。

私が思うに師匠と呼ぶのはその人の教えが自身のコアとなる価値観にまで影響を及ぼすような人の事だ。そこには必然的に畏敬の念が生ずる。以前にも話題にした事だが、私の場合、師と呼ぶ人は3名。大学時代に私の武芸に対する考え方を根底から覆した中国武術の師、NY時代の合氣道の師、そして帰国する前に不思議な形で縁の出来た他武芸の師だ。他にも高校時代に初めて道場の扉をくぐり、蟷螂拳を教えてくれた街道場の先生や、アメリカ時代の数年間学んでいたJKDの先生もいらっしゃる。これに様々なセミナーで教えて頂いた回数を足したら収拾がつかないだろう。

あるレベルから先について師を持つ事の重要性は自身の基軸となる技や哲学に関わって来るのかなとも思った。自分はどの武芸の門人なのかと言う自覚と言っても良い。これが無いと技や流儀のコレクションになってしまい、コレクションとしての価値はともかく技の深さを体得するのは難しい。残念ながらこのようなコレクターの人達にも数多く会ってきた。

難しいのは友人のケースにせよ私のケースにせよ、コアとなる武芸のレベルを上げる為に他の武芸を研究する事は多々あると言う事。それが推奨されている事かと言うとまた難しい所だが、少なくても一つの道場で一つの価値観で純粋培養されるよりは良いかなと個人的には考える。先生との縁、相性、自身の時間や能力など、武芸を学んで行く過程で様々な要素が影響してくるし、何と言っても世界は広い。価値観も当然多様である。

友人は自身の合氣道の位置付けで色々と考える所がある様子。他の流儀に接する機会がある中で師匠と言うキーワードが氣になっている様子だった。私は基本が雑食。そしてこの話題は、こうして素面になってから考えなおしても「これが正解」と言う答えは無い。強いて言えば、私の場合、「天命に沿って歩む者は必要な時に必要な師に出会う」、と言う言葉を信条としている事か。これまで歩んできた自身の人生を振り返ってそう思う。



出展はマンガですけど


私が高校生の頃に読んでいた「拳児」で台湾の蘇崑崙が主人公に言うセリフでした

(そう言えばNYで蘇崑崙のモデルとなった先生の道場に行って稽古した事があったなぁーとここまで来て思い出したり)




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2011年3月7日月曜日

出会いと稽古

 私がインターネットで自ら情報発信をするようになったのは武道への思いを誰かと共有したいと言う氣持ちがあったからだが、そのお陰で今でも多数の方々と流儀に関係無く親しくさせて頂いている。こちらの方はその中でも最も古い付き合いだと言っても良い。初期の頃は武道系のサイトに投稿し、その後、自分でサイトを持ち、依然として続けているのだから我ながら懲りないものである。最近だと初めてお会いしたのはこちらの方か。縁とは面白いものである。

その後、ネット環境も変化しMixiやTwitter、そしてFacebookと色々と広がっているが、そんな中でも一人、機会があればずっとお会いしたいと思っていた方がいた。文章に触れたのはNY時代、Mixiで。日記を読んですぐに、あまりメインストリームに出て来ない本物の伝承者の人だろうと氣が付いた。言葉の節々にそのような人特有の空氣を感じたと言えば良いのだろうか。そんな方が東京に出て来て講習会をすると聞いたら予定を調整して参加するのも当然だ。流儀は私が学んでいるものと関係が無いのはご愛敬。

稽古は3時間。間合を主題に立ち方から始り、押し合い、投げ、そして型にその応用と体験出来るよう幅広いメニューだった。どの技でも先生が直に技をかけてくれた他、休憩時間にも更に体感させてもらえたのは非常な刺激となった。ケガをしないよう優しくゆっくりと技をかけてもらったが、身体が技をかけられている事に氣が付かない技法と言うのは非常に危ない。やられているのだが、いつやられているのか身体の反応が追い付かないのである。だから相手がその氣でやれば受身も取れない。普通の速度でかけられたら結構大変な事になるだろう。これだけ古いものが、稽古法と共に今の時代でも残っているのはちょっと感動である。様々な生徒の方々と組んで稽古をさせてもらった。これは面白い。家の事情があって懇親会には出ずに帰宅したのだが、技の一つ一つにワクワク感のある稽古会だった。





本日、筋肉痛なのはお約束


まぁ背中だけなんですが、右手は痣になっているし・・・いつついたのだろう

(手の痣がスーツのシャツ越に見えるのがチャームポイントです)

2011年2月15日火曜日

交流

事の出だしは暁さんに声をかけて頂いた事に始まる。暁さんとは過去に一時帰国した時に合氣道の稽古をしたり、帰国後に打撃主体の稽古会に呼んで頂いたり定期的に声をかけて頂いている。最後に一緒に稽古をしてからしばらく経っていたが、またネット仲間で集って稽古をしようと言う誘いに早速予定表をチェックした。空いていそうだ。

稽古内容は相撲。

相撲か・・・これは敷居が高い。相撲なんて子供の頃に父親と取って以来である。とは言え体育館は4時間取ってあるとの事、きっと他にも稽古内容は広がる事だろう。雪が延々と降る3連休の初日、道着をカバンに入れ家を出た。

特にどのぐらいの人が集まるかは聞いていなかったのだが、蓋を開けてみれば道場には9人、後の飲み会には更に2人加わっての総数11人に。ポニヨさんや、今回、初めて会う機会を得たらかんさんなど賑やかだった。皆、武道のバックグラウンドが異なるのでルールを決めての相撲は怪我をしないで楽しむにはちょうど良い。参加者の半分以上は既婚者だし、私を含め、子供がいる方もいる。盛り上がって暴走するのは避けるに越した事は無い。駅で皆と合流、早速、体育館へと向かった。4年前の一時帰国の際、ここで稽古をしたのだが、その事を指摘されるまですっかり忘れていた。着替えて道場へと足を踏み入れる。

寒い。

足の裏が痛くなるような寒さ。最近の都内の稽古では暖房が効いていたのもあり、すっかり油断していた。ここは外より氣持ち暖かい程度。そんな外は雪が降りしきり、まるで寒稽古である。周りの皆さんは道着の下にシャツなどを着ているが賢明だ。あまりの寒さに思わず靴下をまた履いてしまったが、途中で脱いで稽古を始めた。

稽古の前半は相撲ネタ。小さな土俵でバランスと駆け引きを中心とした練習をしたり、タオルを使った練習をしたり、最後には勝ち抜き戦で4対5に分かれたりして楽しんだ。後半は自由に。私は寝技をやったり、推手をしたり、打撃のスパーをしたり、合氣道の稽古をしたり盛りだくさんだった。なかなか一回の稽古でこれら全てをカバーするのは難しい。私が色々な事に首を突っ込んでいただけと言う話もあるけれど。寒さの関係で汗をかくと言う事は無かったが楽しい時間を過ごす事が出来た。


左足の指が二本、変色していましたけど


何だか痛いなーと思っていたのですが、帰宅してびっくりです

(「前はいつもそんな感じだったよね」、と言う嫁さんの指摘の他、筋肉痛と共に週末は過ごしていました)

2011年2月9日水曜日

合氣道

 先日、セミプロの友人に誘われて久しぶりに合氣道の自主稽古に参加した。どのぐらい久しぶりかと言うと前回、稽古をしたのがいつだったのか正確に思い出せないぐらい。以前の自分の生活からはまるで考えられない状態だ。あの頃は一時帰国などで一週間、稽古が出来ない状態が続くとそれだけで氣分が悪くなるぐらい身体を定期的に動かすのが当たり前の状態だったが、今となっては昔の話である。

稽古のコンセプトは身体を動かしつつもマニアックに。友人の発見をベースに細かい身体操作を練って行った。人間の身体は細かな感覚の集合体として成立している。よって、接点の圧力を変える事無く身体の内面の方向性を変えると、傍目には自分から倒れてしまっているように見えたり、よく分らないような現象も生じる。身体を動かす事に関してはかかり方を指定しての自由技。NY時代の茶目っ氣を加えたのはそれを座技でもやった辺りか。以前は自身の鍛練も兼ねて若い後輩達とやっていたのだが、やはりしんどい。とは言え良い汗をかく事が出来た。

帰国以来、正式に道場に所属していないので、稽古をするとなると公共の体育館を使う事がほとんどなのだが、個人解放の時間帯に稽古をすると様々な流儀の人達が色々な稽古をしていて面白い。先日も空手、柔道、総合格闘技などのメジャー系はもちろん、大きな集団としてはカポエイラがいて、ここは女性が多い事もあって遠目にもアクロバティックに華やかだった。服装もカジュアルだし、ダンサーの集団のようにも見えるぐらい。もう一つ近くにいたがっしりとした男性の集団で、準備体操は延々と受身を取っていた。


プロレスでした


なるほどねーと思いつつ畳の上で観るプロレスは妙に新鮮でした

(取り敢えず合氣道はカポエイラの華やかさやプロレスの派手さは持ち合わせていない事はよく分りました)

2011年2月1日火曜日

The Karate Kid

方々で評判が良いので映画館で上映時に観損ねたジャッキー・チェンの「The Karate Kid」、をDVDで観た。オリジナルは1984年の作品。映画館で観た記憶があるし、実家を探せば当時のプログラムも出て来るような氣がするが、ロードショーでは無く、名画座で2本立てで上映されているのを観たと記憶している。2、3作目はロードショーで押さえ、4作目は未見。続編の出来はともかく、1作目は青春映画として良く出来ているし、武道を志す者への良い道標になっていると思う。多少、ファンタジーが入っていると思うけど。



リメイクは主人公を高校生から小学生(12歳だから中学生か?)にし、舞台を北京にしているが、物語の骨子は全く一緒である。ベースとなるのは新しい場所で馴染もうと努力する主人公の少年。氣になる女の子。イジメ。そしてアパートの管理人でもある師との出会いとその交流だ。クライマックスはトーナメントだが、その盛り上げ方まで一緒だったのは妙に懐かしかった。舞台がただの体育館では無く雷台だったのは中国故か、子供のトーナメントとは思えないマニアックぶりである。



主人公を師の故郷、異文化に置くと言う意味では新作はオリジナルの1、2をミックスさせているとも言える。主人公が通う学校は皆、英語を話しているから想像するに北京のインターナショナルスクール。主人公のDreがジャッキー・チェンに連れられて訪れる寺は道教色が全開だが、彼の練習方法は内家拳と言うよりは外家拳系である。オリジナルの「ワックスオン、ワックスオフ」、に該当する、「ジャケットを脱ぐ、着る、かける」、は良く出来ているなと思った他、2本の竹を使った練習方法の一部は推手っぽく面白かった。オリジナルのKarate Kidは空手を志す人達をたくさん生みだしたと聞くが、今度の作品は中国武術を志す人達を同じように生みだすのだろうか。ジャッキー・チェンがどこかのインタビューで以前の自分は生徒の立場だったのに今や師匠の立場で映画に出ているのが感慨深いと言っていたのも納得。


私もずいぶんと遠くへ来た感が


子供がいると自分の感情移入も少年から周りの大人へとシフトしている氣が

(映画を観ながら自分の過去の稽古や後輩の指導、色々とフラッシュバックがありました)

2011年1月15日土曜日

古流の型

以前のサイトでは定期的に武器術について書いていた記憶があるが、木剣や杖を使った古流の対人型は正しく稽古すると実に面白い。攻撃して負ける打ち太刀側とそれに応じて勝つ仕太刀側に分かれて稽古を行う。私が所属していたNYの合氣道の流派は他流派と比較すると圧倒的に武器術の稽古が多いのが一つの特徴だった。形はシンプルでも意味が分かってきちんと練れる人と、いつまで経っても見た目の形をなぞるだけで型の型たる意味が全然浸透しない人と完全に別れてしまうのがまた面白い。


友人の一人が、「これお前じゃないの?」、と動画のリンクを送ってきてくれた。





噴いた


うーん、このマニア心をヒットする仕組み、なかなかです


(あ、もちろん作成者は私ではありません)