2011年5月28日土曜日

古巣

 NYに戻って来た。前日まで追い立てられるように仕事をし、睡眠時間はわずか。朝の5時に起き、寝たままの子供を連れて夫婦共々バスに乗り空港へ。13時間近いフライトを経て、一年ぶりに馴れ親しんだ土地に舞い戻る。

NY。

10年住んだ街だ。ここに戻ってこの街の空氣に触れないと身体の中で軸がぶれてしまう。空港で今回、居候させてもらう友人夫妻に迎えに来てもらい、まずは一呼吸。夜はマンハッタンの道場へと向かった。金曜の夜は上級者稽古。時差ぼけでどれだけ頭がクラクラしようと、これに出ないで私のNYは始まらない。

稽古はとんでもない賑わいぶりだった。聞くと皆、私が一年ぶりに参加するとの事で顔を出してくれたらしい。そんな全員と組んで稽古をする事が出来なかったのが心残りと言えば心残りである、稽古後のディナーはいつもの行き付けの場所。先輩が手配してくれていたのは知っていたが師が夫婦で参加されるのは知らなかった。


感動


稽古をして酒を飲んで、送ってもらって帰宅。この充足感は何にも変えられません。

 手に身に覚えのない痣があるのもお約束と言う事で

2011年5月24日火曜日

近況

 過去ログをチェックすると久しく書いていなかった事に氣付く。帰国してから生活がかなり変わり、稽古の量からサイトの更新までその影響を被っている訳だが、別に存在を忘れている訳では無い。日々、様々なイベントがあり、スケジュール表は程よく予定で一杯だ。お陰で時間が経つのも早く、セミプロの友人に合氣道の稽古を付けてもらったのもずいぶんと前の事だと感じつつ、2週間前である。

その間の事は適宜Twitterで呟いていた訳だが、端的に言うと、会社で昨年から関わっていた新規プロジェクトがついに正式に始まる事になり、プロモーションを担当している身としては右へ左へと走りまわっていた次第。柄にも無くじゃぱにーずさらりーまんのような立ち振舞いをしていたのである。本来なら昨年秋から始まるはずが肩透かしを喰らい、諸々の事情を経て今回開始。サービス開始前日、私はプロモーション会場の設営で終電を逃したのだが、聞けば本社にいたグループも全員午前様。一人は最初から泊まる前提で来ていたらしい。

そんな訳で先週はプロモーション会場で結構な時間を過ごした。実際のサービス以上にその場の空氣とダイナミックスを味わう事は大切だろうと思ったのである。社内、社外、お客さん、数えきれないほどの人達と話せたのでは考える。会場でのアテンドはチームのメンバーのシフトを組んで対応。ドタバタしていた。

そんな中、印象に残ったのが同僚のコメント、「昔、赴任してきた時は"アメリカの人なんだな"と言う印象だったけど最近はすっかり馴染んでいますよ」。うーんと首を捻りたくなる所に若い社員からも、「昔、初めて仕事でご一緒した時、何かの言動で"あ、向うの人なんだなー"って思ったのですけど、最近は全然無いですね」との追い打ちが。



全く心外であります

どうもじゃぱにーずさらりーまんのウィルスに最近汚染されたようで対応に四苦八苦しています

(部下を置いてでも帰る、これこそがアメリカ式スタイルだったのに)

2011年5月15日日曜日

Star Wars DVDカバー

 今更と言う声もあるかもしれないが、Twitterで教えてもらったニュース。今年9月発売予定のStar Wars、ブルーレイ版のカバーイメージが発表されたらしい。










泣ける


特にComplete SetでAnakinとLukeが一緒に写っている絵はグッと来ます


(そんな訳で9月が楽しみです、予約はしていませんが)

2011年5月6日金曜日

チューバッカ

NY時代のアメリカ人の同僚からメールが届いた。件名は、「お前の犬かい?」。添付されていたのはこんな写真。


素敵過ぎる

誰の犬だか知りませんが、持ち主のセンスの素晴らしさに脱帽です

ちなみに昔はこんな形で本物と写真を撮る機会がありました。6年前と言う事実に呆然


2011年5月3日火曜日

一年

 君に出会って一年。カレンダーには印を付けていたのだけど、一年と思うと改めてびっくりだ。この日を迎えるまで現実味が無かったのかもしれない。前日まで嫁さんと映画館に行っていた事、病院の待合室で嫁さんのご家族と待ち続けた事、廊下の向こうから泣き声が聞こえてきた事、一つ一つが今、振り返るとフラッシュバックのように蘇る。

GWだった事もあり、病院にはずいぶんと通ったし、仕事の後に嫁さんの実家にもずいぶんと頻繁に通った。私が久しぶりの一人暮らしをしても問題無いようにと嫁さんが大量におかずを作って冷凍してくれていたのに、蓋を開ければ嫁さんの実家でずっとご馳走になっていた。目も見えず、首も据わらず、ミルクとオシメがエンドレス。それが今や、伝え歩きをして、大人が食べるものを食べたがり、色々と自己主張。いつの間にと思うけれど、朝、起きた時に君が全身から発散させるエネルギーと楽しさはまるで見飽きる事が無い。

生まれて来てくれてありがとう。色々と頭をよぎる事はあるのだけど、シンプルにまとめればこれかな。

そして誕生日おめでとう。

これからも数えきれないぐらい、家族で楽しい経験を積んで人生を歩んで行けたらと思う。バトンは君の手にあるのだから。









(今回の話に特にオチはありません・・・子供を寝かしつけていたら一緒に落ちてしまって氣が付いたらこんな時間だったと言うのはここだけの話)

2011年4月27日水曜日

 誰にも邪魔される事無く、好きなだけ寝る。最後にこんな事があったのはいつだったろうか。NYにいた頃は週末、起きたら午後だったなんて事は珍しくなかったが、今となっては遠い昔の事だ。平日は目覚ましが、週末は子供が私を起こす。子供が比較的遅い時間まで寝ている事を幸運と思うべきかもしれない。

日曜日は沖縄古流の他流儀の稽古だった。先生とはミクシィで既に長い付き合い。先月、一般公開セミナーがあり参加して初めて挨拶をして稽古する事が出来た。その数日後に震災が起きたので既にあれも遠い昔の事に感じられる。

その先生がまた東京に寄ると言う情報を入手、稽古会に参加させてもらえる事になった。一般公開のセミナーは万人向けに柔らかい系の技をやったが、今度のは普通の生徒向けとの事。午後に稽古で夜は懇親会との事で楽しみにしていた。で、直前になってフライトの関係で稽古が早朝に。

正確には9時からなので早朝では無いが、家からの距離を考えると平日の通勤時よりも早い電車に乗らなくてはならない。平日のようにまだ寝ている妻子を残して家を後にした。

稽古は2時間半程度だったろうか。非常に充実していた。立ち方から始り、押し合い、投げ合い、型に約束組手と盛りだくさんだった。少人数だった事もあってか先生に何度も技をかけてもらえる
幸運もあった。なるほど、この稽古法は古く、そして合理的だ。一人で練る稽古の他、対人稽古もきちんと積めばきっと立ち方や姿勢が変わり、色々な変化が生じるのは分かった。短い時間で消化するには多過ぎるぐらいのカリキュラム、汗を流しながら稽古をしているとあっと言う間に終了となった。

稽古後は近所の定食屋でランチ。感想を問われたので、とても合理的だと思う旨、伝えると驚かれた。これは今後も時間を作ってぜひ稽古をしたいもの。合氣道他、また色々と兼ね合いが悩む所だが、機会が目の前に訪れたら手にするしかない。色々と必要に応じて調整しよう。

そんな充実した時間の後は家族の元へ。朝が早かった代わりに家族と過ごす時間がきちんとあるのは嬉しい。充実した稽古に家族との時間、実に満ち足りた日曜日だった。


筋肉痛と疲労感がとんでもないですが


稽古の最中は平氣だったのですが、帰り道辺りから全身がうずきだし今に到ります。

(この感触も懐かしいのですが、まさかここまで身体がなまっているとは不覚です)

2011年4月19日火曜日

師匠

 久しぶりに合氣道関係の友人と飲む機会があり、色々と盛り上がったのだがその内の話題の一つが師匠だった。武道を志す者にとって師の存在は避けては通れないものだ。師を持たないで一定以上のレベルに達するのは至難の業だと言って良い。武道の場に限らず、ビジネスの場における上司、様々な状況におけるメンターなど、教え導いてくれる存在としての師と言うのが話題の一つだった。

これが最初から最後まで一人の師の下で一つの武芸を学んできたと言うのであれば話は単純だ。が、友人も私も合氣道に限っても複数の師に学んでいる。私の場合、合氣道の師匠と言えばニューヨークで10年間お世話になった方だが、学生時代に基盤を築いてくれた先生は他に2名いる。片や先生、片や師匠、この違いは何なのか。

私が思うに師匠と呼ぶのはその人の教えが自身のコアとなる価値観にまで影響を及ぼすような人の事だ。そこには必然的に畏敬の念が生ずる。以前にも話題にした事だが、私の場合、師と呼ぶ人は3名。大学時代に私の武芸に対する考え方を根底から覆した中国武術の師、NY時代の合氣道の師、そして帰国する前に不思議な形で縁の出来た他武芸の師だ。他にも高校時代に初めて道場の扉をくぐり、蟷螂拳を教えてくれた街道場の先生や、アメリカ時代の数年間学んでいたJKDの先生もいらっしゃる。これに様々なセミナーで教えて頂いた回数を足したら収拾がつかないだろう。

あるレベルから先について師を持つ事の重要性は自身の基軸となる技や哲学に関わって来るのかなとも思った。自分はどの武芸の門人なのかと言う自覚と言っても良い。これが無いと技や流儀のコレクションになってしまい、コレクションとしての価値はともかく技の深さを体得するのは難しい。残念ながらこのようなコレクターの人達にも数多く会ってきた。

難しいのは友人のケースにせよ私のケースにせよ、コアとなる武芸のレベルを上げる為に他の武芸を研究する事は多々あると言う事。それが推奨されている事かと言うとまた難しい所だが、少なくても一つの道場で一つの価値観で純粋培養されるよりは良いかなと個人的には考える。先生との縁、相性、自身の時間や能力など、武芸を学んで行く過程で様々な要素が影響してくるし、何と言っても世界は広い。価値観も当然多様である。

友人は自身の合氣道の位置付けで色々と考える所がある様子。他の流儀に接する機会がある中で師匠と言うキーワードが氣になっている様子だった。私は基本が雑食。そしてこの話題は、こうして素面になってから考えなおしても「これが正解」と言う答えは無い。強いて言えば、私の場合、「天命に沿って歩む者は必要な時に必要な師に出会う」、と言う言葉を信条としている事か。これまで歩んできた自身の人生を振り返ってそう思う。



出展はマンガですけど


私が高校生の頃に読んでいた「拳児」で台湾の蘇崑崙が主人公に言うセリフでした

(そう言えばNYで蘇崑崙のモデルとなった先生の道場に行って稽古した事があったなぁーとここまで来て思い出したり)




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