2016年1月10日日曜日

転職とSNSの役割について

ブログを持っている事を思い出し、約2年ぶりに投稿してみる。きっかけは転職。2015年末に3年勤めた外資から別な外資に転職した。3年前に15年勤めた日系企業から転職した際、LinkedInの活用も含めて似た話を投稿したが今回もきっかけはLinkedInで先方のリクルーターがコンタクトしてきた事。前職には満足していたのでヘッドハンターに対しては定型文で断っていたが、そこは前々から興味のあった会社。新しいキャリアを踏み出す機会を得る事が出来て非常に嬉しく思っている。

LinkedInの良さはFacebookで繋がるほど親しくなくても、今後のプロとしてのネットワークを維持しておきたい時に非常に便利と言う事は以前も書いた通り。前職はLinkedInもFacebookも活用率が非常に高かったのでネットワークは一気に増えたが、日系企業の関係者と繋がる事が多かったかと言えばそこは疑問。むしろ名刺交換アプリのEightを使う事が多かった。日本はとにかく名刺文化。たまってしまってどうにも収拾がつかなくなってきたので同僚に紹介してもらったのがきっかけだ。スキャナーを使って取り組んだ所、4桁に。3年でずいぶんと名刺交換をしていたものである。その内、先方も使っていて繋がっているケースは3桁。ネットワーク数としてはFacebook>LinkedIn>Eightである。

今回の転職についてそれぞれで情報共有した所、伝達率は次の通りだった。判断基準はイイネ数。

Facebook: 20%
LinkedIn: 7%
Eight: 3%

Facebookが圧倒的だが、これは仕事仲間と言うより友人の数ベース。LinkedInでの反応には日系企業時代(日本とNY時代の双方)があったのが特徴的だった。Eightは興味半分で新しい名刺をアップロードした所、イイネがついていた次第。驚いたのはEight経由で大手日系企業の役員からメールをもらっていた事か。なかなか気は抜けない。

新しい仕事の方はまだ当面、外に出ると言うより新しい知識の吸収と社内ネットワークの構築だが、国内/国外、社内/社外とそれぞれの業務比率がそのままFacebook/LinkedIn/Eightに反映されていくと想像する。

引き続き、どのような変化が生じるのか楽しみである。

2014年2月18日火曜日

ふたりめ会議

Twitterで流れてきて朝の通勤電車の中で見たのが先週だっただろうか。なかなか面白いCMだった。


我が家は既に2人子供がいるのでこの会議自体は無いのだが、前半のこの夫婦の会話のシビアさが個人的には結構ツボ。特に子育ての所で「手伝うって何よ、他人事のように」と言う奥さんのセリフは突き刺さった。私は3人兄弟で育ったので子供が3人いても良いかなと思うけど、自分の年齢や収入を考えると躊躇する所。3人を産んで育ててくれた両親には素直に感謝である。自分が親になってみないと何気ない一つ一つの事で親のありがたみが実感し難い。前半のやり取りで膝を打ち、後半でほろりとさせる良い出来だ。

後半はこのCMの捻りとTamaHomeの名前が出てきて納得。ただし家の事は背景にさらりと出すだけであくまで2人目の子供を持つか否かの家族会議にフォーカスしている所に好感が持てる。うがった見方をすればブランド配信と言った所か。家族が増えれば住む場所も変わるかもしれないし、そこで物件探しとなれば賃貸か持ち家かと言う別な会議も出て来るのかもしれない。

そんな私は育ちが引っ越し族だった事もあってかマイホーム願望と言うのは無いのだが、ちょうど先日、一軒家の賃貸物件があり少し心が揺れた。今住んでいる所は夫婦共々満足しているのだが、子供が大きくなると手狭だしと考えていた所に駅により近い物件が出て来た次第。一軒家で暮らした経験は子供時代の数年しか無いし住む場所もそろそろ次のステップに変えるべきかと数日間悩んだが、結果として見送る事に。まだ今の所で気に入って生活出来ているなら家賃も少し高くなる所に急いで越す事も無いだろうと言う判断だ。NYから戻ってきて今の所に入った時は子供もいなかったし2、3年で出て行くと思っていたのに人生とは分からない。

そんな平日の今日はいつもより早くの帰宅。子供達をお風呂に入れる事が出来た。寝る前に2人に絵本を読み聞かせながら1人より2人の方が子供も楽しそうだなと幸福感。いつまでこんなに可愛く感じられるのだろうと改めて思う。

そして家族皆が寝た後は、お父さん、仕事を頑張るよ。

2013年10月25日金曜日

グローバルマッチョ論と教育論

少し前にTwitterで内田樹の租税回避する人、海外に出てゆく人たちの「これから」についてについて呟いた。自分自身が帰国子女で小学校時代をヨーロッパで過ごし、社会人になってから10年、アメリカで仕事をしてきた経験に基づいて言うと、動機付けは異なるが、私もまた子供を海外で学ばせたいと考える親になっている。ただし、それは最近ネットで話題になっているグローバルマッチョ論とも少し違うのでそれについて書きたい。

端的に言うと、子供に外の世界に接して欲しいのは、日本の外には言語も習慣も宗教も、そして考え方も全く異なる人達がいると言う事を肌身を持って実感して欲しいから。その上で、「相手と自分は異なる価値観だが、それでも共存するにはどうしたら良いか?」、を自然に考えられるようになって欲しいからだ。日本は世界でも類を見ないハイコンテキストの文化、「あうんの呼吸」、を良しとする。これが素晴らしいのは間違い無いが、一歩間違えれば異質なものを集団で排除するする事を無意識に行うようになってしまう。自分の常識は相手の常識だと考えるような思考回路は個人的には非常に違和感がある。

ちょうどアメリカ時代からの合氣道仲間であるアメリカ人の友人夫妻が来日しており、家族同士で会う機会があった。彼等は4人の子持ちで一番下の子供が大学に入ったばかり。初めて出会った頃はその子供が今の自分の長男ぐらいだったと言う事を思うと色々と感慨深い。

様々な話題で盛り上がったのだが、その内の一つが子育て。親が子供にしてあげられる事は限られており、そしてその時間も短いと言う話だった。ティーンエージャーになる前までが大事と。彼等が重要視していたのは順不同で1.言語/外の世界との接点、2.Financial Literacy(お金に関する知識)、3.子供が付き合う友人仲間、そして4.道徳観念だった。なるほどである。これを実行するには相当、自分がしっかりしていなくてはならない。真面目にやろうとすれば子育てはなかなか大変だ。2.について、友人夫妻の所では子供が16歳になったら皆、自分でバイトして稼ぐ事をルールとしていたと聞いてへぇーと思った。そう言えば自分がバイトをするようになったのは高校生ぐらいからだったかと思い出す。

海外生活経験があり、英語も話して外資で仕事をしていると言ったら、諸条件的には私もグローバルマッチョに該当するのかもしれない。が、それは結果に過ぎないし、そもそも私は一部の同僚達が持っているような猛烈な肉食と言う空気感は持ち合わせていない。たまたまそのように育ってきて、今度は自分が育てる側にまわると、やはり子供達には処世術の一環として言語やその他、色々と基本的なサバイバルスキルは身に付けて欲しいと考える訳だ。これ、自分の育ちが違っていたら考え方も変わっていたのだろうか。

色々と書いてみたが、答えが出ないと言う事だけがよく分かった。





2013年10月15日火曜日

そして父になる

親子ものを描いた映画が涙腺を刺激するようになったのは30歳を過ぎた辺りではないかと思う。それも父と息子ものに弱い。オーソドックスなものだと「Field of Dreams」とか、Pixarの「Finding Nemo」もなかなかである。


そして父になる」、「6年間育てた息子は、他人の子でした」、このキャッチフレーズに全てが集約されている。福山雅治演じる大企業エリートの野々宮一家とリリー・フランキー演じる町の電気屋さんの斎木一家、それぞれの家の長男が取り違えられていた事から生じるドラマ。それぞれの家の事情が細かく描かれているのだが基本は福山雅治目線。彼なりに子供思いの良い父親で旦那なのだが、嫌なヤツでもある。そんな彼が物語が進む過程で何故そのような考え方でいるのかも分かる仕掛けとなっている。それぞれの母親の事情や子供の目線、リリー・フランキーの立場もあるだろうに何故に彼目線と思いながら劇中、「そして父になる」と言うタイトルに思い当たった。他の3人と比べると彼だけが(父)親であるけど、まだ親でなかったのだなと。

私自身、2人の息子がいる立場として観ていたので、終始、子供達の顔が思い浮かんでいた。今だからこそ、作中の小さな設定(それぞれの家の事情、ママ友感覚、父親と母親の感性の違い)などが非常に強く伝わってきた。それぞれの親キャラに対しても身近にいるなーと言う親近感をもって観ていた感じ。

この夏は色々と観たい映画が目白押しで「Pacific Rim」、「Star Trek Into Darkness」、「Man of Steel」、「Elysium」、など一時期、毎週のように映画館に行ったが、最終的にこうして感想を残したいと思ったのはこの映画だった。日本映画も悪くない。

レイトショー鑑賞後、帰宅して最初にしたのは子供の寝顔を確認する事。自分が子煩悩になるなんて上の子を初めて抱っこするまで思いもしなかったが、蓋を開けてみればそんなものである。不思議。

子供の歳が違えばまた違った感想を持ったのかもしれないが、この映画は今のタイミングで観る事が出来て良かった。

2013年9月25日水曜日

半沢直樹に見る懐かしさ

連休中に驚異的視聴率を誇ると言う「半沢直樹」を観る機会があった。と言っても最終回だけ。取り敢えずの感想としては。


  1. ドラマを最初から観ようとは思わないが、話は面白い。原作の続き「ロスジェネの逆襲」は気になる
  2. 社内の人間ドラマ模様が前職の日系企業をちょっとだけ思い出させた
  3. 自分は銀行員は無理
  4. 剣道シーン、武道的には色々と疑問あり(ドラマ的には良いのだろうけど)

「出向」と言う制度、「常務」、「次長」、と言った肩書きなどが懐かしかった。私が10年、NYで仕事をしたのは出向扱いだったが、希望を出して海外で働いていたのでドラマで描かれているような「出向 = サラリーマンとして敗北宣言」のような状態では無かった。肩書きは部署によって気にする所もあれば、気にしない場所もあったな、と言う感じ。今の職場に移ってきた時、メールでもお互いの呼びかけが役職に関係無く「〜さん」で統一されていたのは新鮮だった。今ではすっかり馴れてしまい、以前の役職付きでの呼びかけが遠い過去のように感じられる次第。

先日、前職で親しかった人達と数名で食事をしたのだが、色々と驚きの人事があったそうだ。聞いていて唖然としたが、残っていたらどれかに関わる事はあったのだろうかと思わなくも無い。外資の今は異動を気に病むより、明日以降も自分の仕事(席)があるのかの方が気になる。それなりに人の出入りは多いので、皆に頼りにされていた人がすっと次のキャリアパスで惜しまれて転職するケースもあれば、試用期間で正社員になれずに終わってしまう人もいる。最初の頃は結構驚いていたが、だんだん感覚が麻痺してきた。今の所、自分は一年は勤めていられそうだが、外資の環境で仕事を続けるには「仕事が出来る」と言う当たり前の事以上に色々な要素が絡むのだなと言う事は今も現在進行形で学習中だ。長く勤めている人は10年以上いるが、短い人はそれこそ数ヶ月の使用期間で終わってしまうし。

半沢直樹を観て思い出したのは「こう言う世界は無理」と言う気持ちだった。でもこれは「出向」があるとは言え、やはり終身雇用が前提の社会での話だろう。これからの日本の会社はその辺りも含めてどうなるのだろう。ドラマを観て、前職を思い出しながらそんな気持ちになった連休だった。

取り敢えず自分としては40にして迷わず。

2013年7月28日日曜日

日系企業と外資の比較

15年勤めた日系企業から外資に転職して約8ヶ月。自分なりに両者の違いについてここに述べてみたい。もちろんこれは一般論では無く私自身のケース。前職と現職は業界も異なるので私の備忘録程度かもしれない。

1. 転職について後悔の有無
後悔は皆無。前職の人達とはたまに会ったりする事もあるが、戻りたいと言う気持ちになった事は全く無い。

2. 仕事の大変さ
現職の外資の方が前職と比べてずっとタフ。仕事をしている時間も長い気がする。気がすると言うのは会社に拘束される時間はずっと少ないが、たとえば早めに帰宅して家族と夕食を楽しみ、家族が寝た後にまた仕事を開始すると言うのは日常茶飯事。酔った帰り道、業務メールを読みながら酔いが醒めるなんて事もある。この文章を書いているのは日曜夜だが、業務メールがちょこちょこと入って来ている。

3.人/勤労意識
労働環境は現職の方がずっと気持ち良く仕事が出来る。前職では仕事に不満を持っていない人を見つけるのは至難の業だった。飲み会と言えば最終的には愚痴のオンパレード(だからあまり参加しなかった)。現職の場合、仕事に対する不満は適度にあるのだろうが、それが飲み会で噴出する事は無い。アメリカ本社からの無茶ぶりに対しても「いかにそれをクリアするか」と言う所にフォーカスが置かれる。また全員が中途採用なので、キャリアが幅広く、濃いキャラの持ち主が多い。
これは終身雇用制と中途採用制の違いが大きく関わっていると思われる。終身雇用制の場合、何年入社か、後はおおむね自分の年齢と役職で30半ばにもなれば自分が社内でどの辺りまで出世するか見えて来る。中途採用制の外資の場合、上司が年下、部下が年上と言うのは普通にあり得る話。そもそも歳なんて聞かなければ分からない。嫌なら辞めれば良いと言う気持ちと共に、自分のポジションが全く保証されていないと言う現実がある。10年以上勤めている人もいれば試用期間の内にいなくなってしまう人もいる。
終身雇用が保障されている環境の場合「使えない人材」の処理に困る。それは出世レースを外れた人かもしれないし、嘱託で勝手気ままに仕事をしている人かもしれない。いずれにせよチームの足を引っ張りかねない人材と遭遇する可能性は高い。現職では毎年、下位約10%はレイオフらしい。使えない人は自然といなくなるのである。後はそれが自分で無い事を祈るのみ。成果を出す事は当然として周りと上手く仕事をして行くのも必須スキルである。

4.会社の雰囲気
前職は業界的に毎年前年比割れの成長率、現職は業界的に二桁成長が前提とされる。社内の空気は全く違う。現職の雰囲気は、個々人は与えられた目標数値に対し呆然としながらも、基本は常に前向き。ただしドロップアウトあり。

5.スピード
現職のスピード感は圧倒的。面接の時から言われていたが、物事の変化のスピードが凄まじい。その是非はともかく、取引先と話していると、先方の時間が止まっているのでは?と思う事がある。2週間ぐらい前の出来事だと思ったら数日前だったとか。朝の出来事が午後になると昨日の出来事のように感じられる事はチーム内でも定期的にある。

6.飴と鞭
現職の外資は徹底して飴と鞭。数字その他、達成した時の会社の褒め方は凄い。パーティーなども本格的だし、「楽しむ時は徹底して楽しめ」、と言う文化。鞭はもちろんレイオフ。能力が足りずにレイオフされる事もあれば、プロジェクトの廃止に伴い、異動出来ない関係者が去る事もある。何となく来るのが分かっている時もあれば、青天の霹靂でクビになる事もある。そこは諦観して仕事をするしか無い。
この現職の空気と比べると前職は緩いぬるま湯空気。どっちが良いかは向き不向きがあるだろう。心身共に打たれ強い内は外資が面白いだろう。でも50を過ぎたら、60を過ぎたらそんな環境で仕事をしていられるかどうか。こう書くと以前10年住んでいたNYにも相通ずるものがある。若い内はとにかく面白い。老後を過ごすには日本が良いと言って帰国する人も結構いた。

何となく思うままに書いてみたが、突き詰めると現職は「タフだけど楽しい」。何故楽しく感じられるのかはまだ上手く言葉に出来ないが、いずれその辺りもまとめる事が出来たらと思う。






2013年6月5日水曜日

趣味と仕事と家族と

今朝方の通勤時にGunosyで届いた記事で「家庭、仕事、趣味の両立の難しさを痛感。仕事・趣味男の弱点」、と言うものがあり読まずにはいられず呟いた。家庭、仕事、趣味を全て成立されるのは不可能では無いかと言うのが私の実感。

私の趣味と言えば武術と映画鑑賞。読書も加えたい所だが最近は村上春樹の新作を読んだぐらいでほとんど本を読む機会が無いので微妙な所。武術については以前も述べたが、NY時代と今では全くと言う程状況が違う。以前は週6日は道場にいるのが普通だったのが今はほぼ皆無。早朝に家族が起きてくる前に身体を動かす程度。サイトも以前は毎日のように更新していたが最近は月一ぐらいの頻度か。映画鑑賞は何とか映画館に時々通い、週に一回は夫婦でDVDを観るようにしている。

結婚したぐらいでは趣味の時間が消える事は無かった。が、子供が出来たら無理がある。我が家は長男が3歳、次男が6ヶ月。平日、嫁さんに任せっきりである以上、週末に気軽に稽古に行く訳にもいかない。行くに当たっては事前に要相談だ。映画館は妻子が寝た後に行く事が出来ない事も無い。睡眠時間をどんどん削っていけば良いのだが、削り過ぎると仕事に弊害が出る。バランス維持が至上命題。

仲間と稽古が出来ない事について罪悪感が無いと言えば嘘になる。とは言え、家族より優先度が高い事は無い。長男に毎朝、「お父さん、今日は会社行かない?」、と聞かれて週に5回は、「今日は仕事なんだよ」、と言って家を出ている身としては週末ぐらいは子供と過ごして喜ばせたいのである。稽古に行けばそれはそれで非常に楽しいが、子供と過ごせる時間がその分減ると言う事実は胸が痛い。ジレンマ。これまで自分の周りで当たり前のように起きていた事であるが、自分にも起きるとはちょっと不思議な感じである。

趣味の時間は今でももちろん大切だが、今は自分の中の優先順位として子供と過ごす時間の方が少し高めなのだろう。子供が可愛らしく「お父さん」と慕ってくれる期間だってそう長くは無いはず。外の世界に出て憎まれ口を叩きながら自分の世界を築き始めるまでは子供の事を優先的に考えても良いか、と。

そんな長男も明日は初登園日。明日は仕事を終えたら何とか子供が寝る前に帰って話を聞いてあげたい。

映画館にも行きたいのだけど。