2011年12月28日水曜日

個人PCの思い出

我が家に初めてパソコンが来たのは母親が買ったWindows 3.1だったと記憶している。私の主な利用法はStar WarsのPCゲームを遊ぶ事とマインスイーパーぐらいだっただろうか。学生時代、下宿先で自分用に買ったのはWindows 95のデスクトップ。こちらの主な利用法はStar Warsのゲームと論文作成だった。まだ自宅でインターネットと言う発想が無かった時代だろうか。メールをするにも大学でやっていたような記憶がある。

社会人になってNYに赴任する事になり、持参するパソコンとしてSharpのメビウスのWindows 95を買った。スーツケースの他、家具も何も無い住まいの部屋で電話線をパソコンに繋いで日本の家族にNYに到着したと連絡した事を漠然と思いだす。インターネットはまだモデム回線の時代。自宅でも事務所でもメールやネットをしたい時は電話線を付け変えてピーガラガラと言う音と共に接続を確認していた。

2台目のノート型を買ったのがいつだったのか正確には覚えていないのだが一時帰国していた時の事だった。Windows XP。お店でメモリーをマックスに増設しNYに持ち帰った。価格は20何万と言った所だろうか。パソコンを買うと言うのは結構な出費になると毎度の事ながら思ったものである。

2008年帰国。ネットブックが格安で手に入ったので持ち運び用に一台買ったものの、自宅のメインPCは依然として同じノート型だった。さすがにメモリーが追い付かないので外付けメモリーにファイルの大半を移動(iPodとiTunesを使い始めた途端に一氣にメモリーがアウトに)。動作が遅いなどと言った不満はあったものの、自宅での作業には問題無いかと思っていた。たとえ子供にキーボードの一部を壊されても。

こうして振り返ると最も長く使ってきたモデルは3台目だが、ついに新しいPCに買い替える事にした。ここ一ヶ月ほど定期的に情報を収集、先日、仕事の帰りに家電製品店でDynabookを買った。Windows 7、価格は11万弱。値段は昔と比べると半分、機能やメモリーは比較にならないぐらい上。セットアップしYouTubeの動画をチェックした瞬間に機能の差を思い知った。これは良い。これからどれだけ使って行くか未知数だが、これは楽しみである。


当面は3台目と併用しそうですが


買って一週間以上経つのにまだ片手で数える程度にしか触れていません

(初日はiTunesのダウンロードとYouTubeで終わってしまいました)

2011年12月26日月曜日

薪割り

クリスマスの3連休は両親のいるプチ田舎で過ごした。父親が孫へのプレゼント他、様々な企画を用意してくれていて、非常に楽しい時間を過ごす事が出来た。その前の週は嫁さんのお義父さんが孫を水族館に連れて行ってくれたし、付添の親は子供をダシに美味しい思いをすると言うイベント続きである。

居候代わりに薪割りを頼まれた。庭先で30分ほど斧を振って良い汗をかく。久しぶりに手にした斧の重みにびっくりしたものの淡々と。剣を握る要領で斧を持ち、薪への軌跡をイメージしながら振り降ろす。余計な力は加えず斧自体の重みに仕事をしてもらうような氣持ち。一部の例外を除いてきれいに割れた。取り敢えずしばらくは大丈夫だろう。

Twitterでも呟いたが、Facebookにも書き込む。元々、英語でしかやっていなかったが最近は日本人の知り合いも増えてきたので2ヶ国語で。下手な素振りより薪割りの方が良い汗をかけると言った内容だ。イイネボタンが適宜押され、幾つかコメントをもらった。「クリスマスに実家に帰ってトレーニングするのはお前ぐらいだ」(NY時代の後輩)、「ボクサー誕生か?」(友人)、「ロッキーがシベリアでやってたよね」(NY事務所の元同僚)。


薪割りだけじゃなくて水も運べよ(NY道場後輩)


少林寺の修行僧かいな・・・

薪割り=ボクサーの構図がお約束のようです、私的にははじめの一歩の猫田とか

2011年12月15日木曜日

The Expendables 2

80年代のアクション映画ファンにはたまらない魅力を発揮していた「The Expendables」。メインの主役はシルベスター・スタローンにジェット・リー、ジェイソン・ステイサムの3人だったが、それ以外にもミッキー・ロークやドルフ・ラングレンと言ったアクション映画の大御所が揃う映画だった。何よりもスタローン、ブルース・ウィルス、アーノルド・シュワルツェネッガーが一同の会すシーンは圧巻だった。そんな映画の第二段の予告編が遂に登場。



もうメンツが濃過ぎ


チャック・ノリスにヴァン・ダムも参戦ですか、欠けているのはシガールぐらい?

(このメンバーならストーリーは二の次で映画館に駆け付けそうです)

2011年12月14日水曜日

稽古納め(合氣道)

帰国以来、自主稽古と言う形で世話になっているセミプロの友人との稽古納めが先日あった。稽古納めと書くほど頻繁に合氣道の稽古をしている訳では無いが予定表を見る限り年内はもう厳しいだろう。今回はゲストとしてNYで合氣道を学び、帰任となって友人の道場に所属する事になった方にも声をかけた。その人は私が2008年に帰国となった後にNYに赴任、道場に入門し、私の日本人の黒帯後輩に鍛えられた方。会社のトップとして赴任していながら地元の道場に通う辺り、とんでもないバイタリティだ。私もNYを訪問した際に何度か稽古をした記憶がある。日本に帰国されてから何度か時間を調整して会おうとしたのだが、今回が初めてとなった。

有段者2名と級保持者1名の3名だったので稽古は基本に忠実に穏やかに。場所は新宿スポーツセンターだったのだが、毎度の事ながらここは武道系の人達の人種の坩堝である。ダンサーが混ざっているのは微妙だが、彼等のアクロバティックな動きを見たら畳のある場所で練習するのは理に叶っていると言わざるを得ない。そんな賑やかな場所の片隅で2時間ほど稽古をした。久しぶりに友人以外の人間と組む事が出来て私も新鮮だった。

夕方に稽古が終わり忘年会に。しかし17時前と言う時間帯故ほとんどの店が開いていない。結局、駅前を放浪した挙句、一軒のお店に落ち着いた。 セミプロの友人は酒が強く、後輩の方も酒豪。氣が付いたら焼酎のボトルがテーブルにあった。話題は稽古の話からNY道場の話に。NYは友人も3度来ている。話題に挙がるメンバーはそれぞれが知っている人達だ。師や奥様を始め、先輩や後輩達の話題で大いに盛り上がった。


店の滞在時間4時間


帰宅後、酔い潰れて意識を失っていました・・・・

2011年12月12日月曜日

ポスター

来年公開のBatmanシリーズ完結編、The Dark Knight Risesの最新ポスターが解禁となったと呟いたのは日中の事。ほとんど同じタイミングで同じく来年公開のリブートされた最新スパイダーマンシリーズ、The Amazing Spidermanのポスターが解禁となっていた。ネットで掲載されていた二つのポスターを並べたものがこれ。





取り敢えずダークなのはよく分りました

ポスターのインパクトはBatmanが上でしょうか、The legend endsの言葉に重みを感じます

最近の人生ペースだと来年夏もあっと言う間に来る予感

2011年12月2日金曜日

マニア向け

友人がFacebookに投稿していた。





深い

SWファンでないと分からないかもしれないが、この台詞はObi Wanが第一作目(時系列で言う4作目)でストームトルーパーを相手に言うもの。まさかiPhoneとAndroidにかけるとはね。

2011年11月30日水曜日

インターネットビジネス15年の変遷

Twitterでも呟いたのだが、今日、目にした記事で最も印象に残ったのがインターネットビジネス15年の変遷だった(原文はこちら。スマートフォン、SNSなどへの言及など、もう少し詳しい)。

5年前、FacebookやTwitterは存在していなかった。なるほど、これらは比較的最近のサービスであると自分でも認識している。が、10年前YouTube、Wikipedia、Gmail、Firefoxが存在しなかったと改めて読むとちょっと待ったと言いたくなる。もう長い事、使っている氣がするのだが、10年前には無かった?2001年は自分にとってついこの間、同時多発テロの年だ。あの時、私は20代終わり。頭では分かっていても信じ難い。

遡って15年前にはGoogleが存在せず、iPodは無い。ブラウザーはNetscape Navigator。これは私の中でも腑に落ちる。大学時代前半、私の論文は手書きだった。でも卒論はパソコン。大学院に入った頃、図書館にパソコンが置かれるようになり、ダイヤルアップの為、とんでも無くゆっくりとYahoo!と表示されたページを見ながら、これをどう活用するのだろうと迷った記憶がある。初期の検索用語はStar Warsだった。特別編が公開される頃で1枚のショットが表示されるのを延々と待ったものである。そしてiPod。その前にMP3プレーヤーがあったのだろう。当時ハワイに住んでいた師の元に稽古兼居候しに行った頃、盛んにMP3の話を聞いた。当時、日本ではMDプレーヤーが流行っていた頃でMP3とは何ぞやと思ったものである。

自分が関わっている仕事の分野でもインターネットが大きく既存のビジネスモデルを変えてしまった事を実感する。正確には私が入社して仕事を始めた時が黎明期だったので過去のビジネスモデルに対する懐かしみなどは無いのだが、それでも不思議だ。元々、観ていなかったがテレビはほぼ観ない。社会人になってから新聞も取っていない。それでも生活に不自由を感じた事は無い。情報へのアクセス、正誤判断、スピードが益々早くなるだろう。周りの同世代のコメントを聞くと何も教えていない子供が自然にスマートフォンを使いこなす姿に呆然すると言う。デジタル時代の子供達。我が家でも恐らくそう遠くない日の出来事だろう。


さて5年後は一体?


その頃には子供に最新サービスについて説明してもらっているのだろうか・・・

(取り敢えず、骨董品と化しつつある自宅のPCを買い換えようかなと思います)

2011年11月28日月曜日

型の発見と楽しみ

土曜日、久しぶりに他流儀の自主稽古会に参加した。色々と用事が重なってしまい数週間ぶり。参加開始時刻には間に合わなかったのだが、到着すると既に皆で打撃力の検証中だった。

少し前にFacebookで先輩に当たる人が身体操作方法について開眼、先生からお墨付きをもらっていた。一体、それはどんな内容なのだろうと質問する間も無く、防具越に打たれて悶絶する破目に。検証稽古の過程で打たれる事に多少馴れて来たとは言え、防具越しにこれはなかなか危険な香りがする。

ポイントは体軸を自分の前に置き、肘や拳は型通りに最短距離を移動する事。その軌跡を立体的に捉える事でコンタクトの瞬間に全身の体重を乗せる事だった。言葉で説明されると分かり難いが稽古の途中で肘打ちの軌跡を修正されてもらった瞬間に腑に落ちた。なるほど、この動きか。これだと確かに体重が乗るし、何と言っても早い。動きの拍子が変わったとでも言うべきか。

お陰で私の肘打ちの動きと打撃力は稽古前と稽古後で各段にアップした。防具越に受ける相手が顔を歪めて後退するぐらい。面白いもので敢えて不自然かつ不自由な型通りの動きの方が威力が増す。姿勢を微調整し、特定の軌跡で肘を投げ出すように動かす事で、結果として引っ張られるように身体の重みが加わる。皮肉なのは見た目は全く力が入っているように見えない事。突きも同じ要領だと教わったのだが、こちらについては自分の中で再現性を確立させるだけの把握が出来なかった。

突きはもう少し練り込む必要がありそうだが、肘打ちはかなり明らかになった。感触を失わないようにと帰宅後も適宜腕を振る。朝、起きて顔を洗っても最初に軌跡を確認。肘打ちを集中的にやっていた為か、型を通してやってみたら突きも感じが変わり始めていた。この調子で練れば次回の自主稽古会の検証でもう少しまともな突きが出来るかもしれない。出来るようになった事が嬉しくてちょっとした機会に肘を動かす。


肩と肩甲骨にかけて延々と筋肉痛が・・・


なるほど、この辺りを集中的に使っていたのかと納得

しばらく飽きるまでやっていそうです

2011年11月25日金曜日

忘年会

Facebookを見ていたらNY時代の合氣道道場の日本人後輩が師と飲み屋で楽しんでいる写真がアップされていた。師も後輩も笑顔、写真から楽しそうな空氣が漂っていた。その場にいない事に軽い嫉妬を覚える。その後、後輩からメールが届き、私の後に入門し、今年になってから帰任となった別な日本人後輩が仕事でNYを訪れており、その際に皆で集まって飲んだとの事だった。NYの道場は私にとってのホーム。5月の訪問時、師を始め道場仲間に歓待してもらった事を思い出した。

忘年会、新年会の数はNY時代より帰国後の方が多い氣がする。日本の風物詩か。社内でも部の忘年会をとの声が若い社員から挙がり、皆の予定を調整するのが大変だからと日程だけは調整した。後は適当に店探し。社内の飲み会には基本的に関心の無い私が関わっているのは成り行き。半年前、部内の初の飲み会を企画したのが私だったのが原因だろうか。あの時も若い社員の声が無ければ企画さえ無かった可能性は大だけど。

道場のホリデーパーティーは金曜日の稽古後に行われる。外のレストランで行った事もあったが、回数的には道場内で持ち寄りが多かった。私は主に日本酒担当。日系スーパーで大量に日本酒を買って車で事前に道場に届けていた。稽古からパーティーの終わりまでいる人間もいれば、途中から来て先に帰る人間もいる。一人での参加、家族連れ、その辺りがフリーダムなのが道場パーティーの良い所。道場だと氣軽に床にも座れるし、酔い潰れてもOK、酔って稽古を始めるのもありである。「今年は16日ですよ、来ないんですか?」、と言うのが後輩のメールの締め。


行きたいよ


帰国して3年、パーティーの話や写真を見ると望郷の念に駆られます

(取り敢えずGoogleカレンダーの予定表には書き込んでおきました、せめて氣持ちだけでも)

2011年11月24日木曜日

ホリデーカード

日本で言う所の年賀状に該当するもの。私の記憶では大体、Thanksgivingが過ぎた辺りから届き始め、投函を始める。クリスマスや新年に言及した内容もあるが、宗教的に分からない相手もいるので、祭日(Holiday)でまとめているものも多い。NY時代は絵柄を選んで事務所のメンバー全員の名前を載せ、そこに各自がサインしてから送付していた。届いたカードは事務所の壁に新年まで貼っていたりしたものである。

私の今の仕事でもアメリカの取引先と定期的にやり取りをするので今年もカードを一定部数取り揃えた。アメリカは今日がThanksgivingだからタイミング的にはちょうど良いだろう。余談だが、日本とアメリカは祭日が微妙にずれるので(日本の勤労感謝の日の翌日がアメリカの感謝祭、そしてThe Day After Thanksgivingと続く)、今週や12月のクリスマスシーズンは仕事の効率が落ちる。

そんな訳で用意してあったホリデーカードにチーム内でサインをする事にした。私も含め、各自さっさと済ませる。若い社員から挙がった質問、「コピーするので私の名前を筆記体で書いて下さい」。


サインは何だって良いから


で筆記体で書いたら、「読めない」、と・・・どうしろと

(氣が付いたら投函されていたのでどんなサインがされたのか不明です)

2011年11月21日月曜日

Moneyball

マネーボール。ブラッド・ピットとフィリップ・シーモア・ホフマンの実話を元にした最新作。題材は野球。まずは予告編から。




この予告編から受ける印象は何だろうか?大リーグを舞台にしたスポーツの感動物?その印象に対する回答はイエスであり、ノーである。イエス、映画の中でゲームの展開で物語が盛り上がる箇所はある。ノー、映画の主題はあくまで野球をビジネスとして捉えた上で、どのようにしたら最弱の予算で優勝を目指せるかと言う内容だから。

主人公はオークランド・アスレチックスのビリー・ビーンGM。彼は自分のチームの主力選手が他のチームに引き抜かれて行く中、どのようにして限られた予算内で試合に勝てるチームを編成するかで頭を悩ませる。その結果、既存のスカウトシステムとは全く異なる方法で勝負を挑むのだが、映画で描かれるビジネスとしての野球のシビアさは凄い。選手は取引用の資産に過ぎない位置付。年俸やパフォーマンスで情け容赦無く、他球団と交渉してトレードしたり、クビにしたりする。その徹底ぶりはさすがは外資と言う所だろうか。情けと言う言葉は全く無い。目標を達成する為に組織をまとめあげる事のタフさ、既成の価値観に挑戦する事のタフさは思い切り味わえる。

映画自体は非常に評判が良いのだが(Rotten Tomatoesで95%の高評価なんてまず見られない)、私自身は映画の後、モヤモヤした氣分だった。多分、予告編から抱いていたイメージと本編の間のギャップが原因だったのかもしれない。もっと鑑賞後に爽快感を味わえるものを求めていたのか。帰宅後、しばらくして、この映画はとてもアメリカンである事に思い当った。自分の信じる道を行け、結果は後から付いてくる。そう考えれば納得か。



ちなみに映画中盤までチームの監督がフィリップ・シーモア・ホフマンだと言う事に氣付かずに観ていました。

2011年11月15日火曜日

氣配り文化

私が現在、担当している社内のチームのメンバーに営業現場出身の若い女性社員がいる。向上心のある社員で一緒に仕事をする機会が定期的にあるのだが、面白いのが社内文化の差。営業現場でお客さんと直に接する機会が多かった為か、私にとっては異文化のような氣配りを示す事がある。

例えば部屋に入る時は最後に入る、エレベーターのドアは押さえている、部署内のメンバーとは一緒に飲んだ後の方が打ち解け易い、上司に荷物は持たせないようにする等々。初めて聞く度に私の方が固まってしまう。アメリカ生活が長かったせいか、私もエレベーターのドアなどは押さえてしまう派。そうするとお互いに先に進まなかったりする。

遥か昔の学生時代、一応、体育会系に所属していたのでお酒の注ぎ方などは色々と教わった。社会人になってそのスキルが活きると思いきやそんな事も無く、NYに行った後は日系の取引先と飲むので無ければ全く無用のスキルと化した。武道の世界なら厳しく言われる事もあったのかもしれないが、合氣道の師を含め、アメリカで出会った武道の先生のほとんどは手酌、マイペースにお酒を飲む人達だった。帰国後、他流儀の師と飲んだ時、ジョッキが空になる前に弟子が率先しておかわりを注文する姿を見て呆然としたものである。

氣配りの度合いもバランスが難しい。昔教わった、「氣を遣っていると相手に感じさせてしまったらアウト」、と言う更に難しいレベルの問題もある。取り敢えず、一緒に働いているチームの人間には余計な氣配りは不要だと冗談交じりに伝えている。


評価対象じゃないから・・・多分


氣配りが査定対象だったらマイペース、マイウェイな自分は転げ落ちて行きそうな予感

2011年11月10日木曜日

Jobs






噴いた


こう言うものを作る人のセンス、素晴らしいです(元ネタはFacebookより)

2011年11月7日月曜日

蟷螂の斧

 週末は久しぶりに両親の元に孫を連れて遊びに行っていた。両家にとって初孫なので、どっちの実家に遊びに行っても子供はスター扱い。最近は少しずつ単語が言えるようになってきたので注目度は更に高い、数日毎に単語が増えている氣がしなくもない。

今回驚いたのは外でバッタを掴まえていた事。季節柄、バッタも元氣全開では無いのだろうが、それでも足元にいるバッタを何の抵抗も無くも掴まえるとはびっくりである。葉っぱは破って遊んでいるのに、虫についてはきちんと柔らかく持っていた。力加減も分かっているらしい。逃がしては掴まえ、逃がしては掴まえの繰り返しだったので遊ばれているバッタはたまったものでは無かっただろうが。

仕事中にメールがあった。どうやら日中、外で散歩中にカマキリがいたらしい。バッタ同様、臆する事無く、突っついて遊んでいたら威嚇されてびっくりしたとの内容。不覚にも笑った。


カマキリをベースにした蟷螂拳なんて武術もあるしね


あ、でもバッタがベースと言えば仮面ライダーか。虫、侮り難し。


 (20年以上も前に蟷螂拳から私の武術ライフが始まったと言う事を懐かしく思い出しました)

2011年11月1日火曜日

Mentor

 氣が付けばこのブログも始めてから一年以上経つのだが、元々はHTMLを使ったホームページだった。コンセプトはNYで日本の企業に勤める武道好きの日々。日々の出来事を色々と書いていたのだが、当時、よく登場していたのが私のNY時代の上司だった。

NY時代の上司は、私と歳はそれほど変わらないのだが、とにかく頭が切れる人だ。物静かな外見の下にマグマのようなパッションを持つ人で、自分にも他人にも厳しい。フェアでありながら切り捨てる時は全く情け容赦が無い。20代半ばで赴任してから10年間、鍛えられた。罵倒された回数は数知れず、褒められた記憶は無い。帰国後、上司が本社宛ての月報で私の事を褒めていたと他部署の同僚から聞いて笑い飛ばしたぐらいである。

上司はファミリーマン、私は武道と、仕事後に飲みに行くなんて事も日本人サラリーマンにしては驚くほど少なかったが、家に呼んでもらった事もあるし、同時多発テロを始め、色々な経験を共にさせてもらった。3月の地震直後に出張で上司が日本に来た時は飲みに行ったし、5月末にNYに遊びに行った時は家族で挨拶を兼ねて事務所を訪れた。武道用語で言えば師に当たる人だが、ビジネス用語で言えばメンターが相応しいだろうか。面と向かっては絶対に言わないけれど。

ビジネスツールとして使っているLinkedIn。NY時代の人脈を中心に、Facebookをやっていない、あるいはFacebookで繋がる程では無いが人脈として維持したい人々とネットワークが一通り出来上がった。転職ツールとして知られているが、用途はそれだけでは無い。欧米のように人の出入りが激しい世界でビジネスの人脈管理に非常に役に立つ。ビジネスツールなので写真や自分の職歴などもきちんと記載しておく。他の人達のプロフィールと比べて足りないのがRecommendation、推薦文だった。大きく活躍している人は大抵、数名が推薦文を寄せている。

自分のプロフィールを充実させる為に推薦文を誰に書いてもらうのが適切かと考えて、無謀にもNY時代の上司に依頼する事にした。黙殺されるかと思いきや、添削が出来るようにとメールでレスが届き、内容は読んでいて赤面するような推薦文だった。自分の知らない英単語が入っている辺りにさりげなく実力の差を思い知らされつつ、内容に感動。褒めない人にこれだけ書いてもらえたら充分である。


無謀にも追加で一部表現を更に加えてもらいましたが


お陰で推薦文を読むと何か凄い活躍をしていた氣にさせられます

(上司からは「効果があったら知らせるように」とコメントが、さてどうなる事やら)

2011年10月31日月曜日

学園祭

 日曜日は大学の学園祭だった。私の大学生時代はずいぶんと昔の事だが、2日間の学園祭の内、合氣道部で1日は出店、1日は演武会と言うスケジュールだったと記憶している。演武会と言うと体育館でやったり、外で畳を敷いてやったりするのが多いが、私の母校では芝生のキャンパスで行うのがお約束。道着や袴も演武会後は緑になって大学らしさを醸し出していた。

当初は他の予定があって行けないはずだったのだが、当日になって頑張れば行けそうな事が分かった。が、自宅から大学は電車3本にバスに乗らなくてはいけない距離。しかも夜は別な用事があったので、学園祭に家族で行っても帰りは妻子とは別行動になる。泣く泣く、大学に行くのは諦めた。代わりに近所を散策していたら地元の大学が学園祭をやっており、覗いたら合氣道の演武会がちょうど終わる所。面白い偶然である。キックミットがあったので本当に合氣道だったのか微妙に疑問が無くも無いが。

日中、家族で近所を散策しているとメールが届いた。見ると同学年の親友夫妻が家族連れで演武会を見ている写真。彼等が行っているとは思わなかった。もう一年半近く会っていないし、彼等が行っていると知っていたらもう少しスケジュールを調整したのにと思ったが後の祭り。地元の大学で妥協したよとレスを送ると数分でレスが届いた、「女子大の学園祭に行くとは何事か」、と。


ツッコミ所はそこじゃないだろ


大体、女子大ですら無かった氣がするのですが

(機会があればまた母校にも寄ってみたいと思います、出来れば家族で)

2011年10月25日火曜日

同調空氣 - 無言圧力

 他に適切な言葉があるか分らないのだが、これらは私が海外の友人に日本を説明する際に使う言葉。日本と言う場を覆う空氣についてだ。「赤信号、皆で渡れば怖く無い」、のスピリットだろうか。別に良い、悪いでは無い。

3年前の帰任の際、10年の海外経験後の帰国は相応のカルチャーショックがあるだろうと身構えていたが、実際はそうでも無かった。肩透かしを喰らった氣分だったが、数ヵ月後に稽古の関係でNYに戻ってJFK空港に降り立った時、味わった強烈な開放感は忘れられない。自分がそれまで無意識の内に日本の空氣を読んで同調しようとしていた事に初めて氣が付いた瞬間だった。無意識の内に入り込んで来るこの空氣。これは結構怖い事だ。それ以来、意識的に空氣を読まないようにしている。

NYは自己主張した者勝ちだ。ファッションも生き方も本人がそれで良いと思っていれば誰も干渉しない。自分で納得していれば良いと言う心地良さがある。もちろん逆の面もあり、常に何かしら自己主張している必要があるのでくたびれる。たまに一時帰国すると日本が素晴らしく感じられるのはそこ。そしてしばらく滞在すると逆にうんざりしてくるのもそこだった。なかなか上手くいかないものである。

先日、前の部署の上司と何故、日本の自殺率は高いのかと言う話になった。年間3万人。世界でトップでは無いが、トップ10には入っている。定期的に電車が人身事故でストップする事を思えばそれは納得だ。上司のコメントは皆、真面目過ぎるのでは無いかと言うもの。私はと言えば、この周りとの同調を強要する無言の空氣が思い浮かんだ。日本のこの空氣は同調出来ない人間を弾く。弾かれる事に免疫が無いと日本の社会で生きていくのはかなりキツイだろうと言うのが私の個人的な感想。想像だが、この感覚は日本の社会の外に出た、あるいはイジメなどで疎外された経験が無いと分からないのかもしれない。

元上司に伝わったのだろうかと考えつつ、会社近くの赤信号の交差点に辿り着いた。車が来ていなければ私は躊躇無く渡る。「渡りますか?」、と尋ねると、「皆、待っているのだから待とうよ」、との回答。


それだよ


面倒臭いなーと思いながら一緒に信号が変わるのを待ちました

(しかし、コイツは知らない間に蝕んでくるのが厄介です)

2011年10月24日月曜日

専属通訳

 以前の部署の取引先のCEOが来日する、しかもそのCEOは来年で退任する事を決めており、今回のチャンスを逃したら挨拶する機会は無いかもしれない。前の部署の上司にコンタクトして来日スケジュールを確認したのはそんな事情からだった。前の部署では先方が来日する際に成田空港からアテンドしたり、社長との会食の場で通訳をしたり、一年半前は社長に同行する形でアメリカの先方を訪問した事もある。人間的に非常に魅力のある人で、組織のトップはこのように行動するのかと色々と学ばせてもらえる人だった。

先方の来日は日本でのセミナー絡み。私は関係ないので来日当日に、前の上司と一緒に夕食を共にする事になった。結局、おエライさんの指示でセミナーにも参加する事に。昼過ぎにセミナー会場で受付を済ませると若い社員から社長が私の事を探しているらしいと聞いた。会場で見つけた社長は開口一番、「お前、俺の専属通訳なのにどこにいたんだ?」。いや、業務系統が違うのだし、全く初耳ですがと思う間もなく、その夜の会食とその翌日の会食も参加する事になった。瞬時に3晩続けての会食である。

この展開の利点があるとすれば通訳と言う事でCEOの人ともう少し話す機会を得られる事か。久しぶりにトップ同士プラスおエライさん達の会食の場に顔を出す。帰国してからこんな場が数え切れないぐらいあった氣がする。行きつけのレストランの一つでお店の人に「お久しぶりですね」と声をかけられるのはご愛敬か。通常だと食後、私がタクシーで取引先をホテルまで送るのだが、今回は先方が数名いた事もあってハイヤー。レストランの前で挨拶をして別れを告げた。


そしてレストラン内にCEOの忘れ物を発見


結局、前の上司と二人でタクシーに乗って忘れ物を配送、その後、また一杯となりました

(以前はこんな終電直結号な夜が定期的にあったなと思い出しました・・・色々と話せて有益でしたが)

2011年10月18日火曜日

英語の効率的学習方法

 アメリカ人の友人が来日しており、帰国当日の今朝、ホテルで会って朝食を共にした。短期間の来日でお互いに時間を合わせる事が出来ず、最終手段として平日に朝食を。Breakfast Meetingと言うのはいかにもアメリカ的だ、仕事の案件では無いけれど。

朝食は共通の日本人の友人と3人で。アメリカ人の友人は日本に住んでいた事もあり、日本語も達者。会話は英語と日本語が適度に混ざったものになった。どんな流れでその話になったのか分らないがどのようにして英語力をアップさせるべきかと言う話になった。

一般的に言えば私は英語が出来る方に分類されるだろう。ネイティブでは無いが話すのも、聞くのも、書くのも特に困らない。ただ、やはり自分より外国語としての英語が出来る人は身の周りに何人もいる訳で彼等と自分との差をどのように埋められるのかと言うのは時々考える課題だ。映画を観たり、本を読んだり、ネイティブの友人と接したりする中で氣になる単語や言い回しを覚える事にしている。

印象に残ったのが友人の若かりし日の経験談。SAT(アメリカの大学進学適性試験)を受けたら成績が酷く、家庭教師を付けて勉強し直したらしい。やった事は約半年で英単語の語彙を5,000増やした事。SATの成績は急上昇したそうだ。単純計算で一週間に約200強の単語か。何だか漢字の勉強を思い出すようなエピソードだった。一定の量をこなして初めて質的転換が生じると言うのは別に武道の専売特許では無い。

そんな今日、私の中で氣になった英語はvicareous(他人の気持ちになって感じる)、moat(堀)、ephemeral(はかない)、そしてoligarchy(寡頭政治国)。最初の単語は友人の発言から、残りの3つはたまたま読んだ英語のビジネス記事から。


覚えていられるだろうか・・・


日常的に使えば残るのですが、仕事で使うような語彙でも無いし

(語学は貴重なスキルなので、コツコツ伸ばすべく努力あるのみ)

2011年10月16日日曜日

ユーモアのセンス

コネチカット州へようこそ、ジョージW.ブッシュの生まれた州  お詫びします 


このセンス素晴らしい


本当にこんな看板が存在するのか疑ってしまうほどです

2011年10月12日水曜日

The Avengers 公式予告編

 昨夜、更新をしてから、こちらがアップされている事に氣が付いた。Facebookには昨夜の段階で投稿したのだが、こちらにも。




早速、iPod Touchでエンドレスリピート


来年の5月公開が楽しみです、まずは今週公開の「Captain America」で予習かな


(昨夜は再生回数が360回だったのに既に16万を越えています、凄い注目度)

2011年10月11日火曜日

実りのある稽古

 私が情熱を燃やす趣味と言えば武芸な訳だが、では具体的に何かと問われると真面目に答えるのが難しい。習慣的に合氣道と答えているが帰国以来、道場に属していないので、あまり定期的に稽古をしているとは言い難い。セミプロの友人との自主稽古と、NYを訪れる際に昔の古巣である道場に顔を出すぐらいだろうか。最近では道着に袴姿になるのは月一程度。これで果たして趣味として成立しているのか突っ込まれれば微妙な所である。

以前にも述べたが今年の3月、震災の直前にネットでNY時代から親しくさせて頂いていた沖縄の手の使い手の方の一般講習会に参加させてもらう機会があった。それまでは文章と動画だけでの接点だったが、実際に稽古に触れて、古流の教えが脈々と生きている武芸がきちんと現存している事を嬉しく思った。最近は週末、月に数回の割合でそちらの自主稽古会に出席している。先日は沖縄出張があったのを良い事に沖縄で仕事後に稽古をする楽しみもあった。

節操が無いと言われればそれまでなのだが、私がこれまで縁があり師と仰がせてもらっている方々からは一様に広く学ぶようにと言われてきた。武芸の世界では珍しい事だが、「他流に首を突っ込んだら破門」と言う扱いを受けた事は無い。もちろんだからと言って大々的に他流を学んでいる事をアナウンスするのはNG。そこは嗜みと言うものである。

この3連休は関東講習会だった。当初は1日のみの参加予定が嫁さんの厚意で急遽2日参加出来る事に。弟子向け、会員向け、一般参加者向けとあったが私は後者2つに参加した。立ち方、押し合い、投げ合い、武器、ミット打ちに約束組手、あっと言う間に数時間が過ぎる。このカリキュラムの密度の濃さは本当に大したものだ。訊くと弟子向けの稽古はさらに濃いらしい。面白そうだ。2日間、実に楽しい時間を過ごした。


審査も受けてしまったり


全くそのつもりは無かったのですが、成り行きで、お陰様で初級です

(帰国以来、黒帯より白帯を締めている回数の方が圧倒的に多い氣がします)

2011年10月6日木曜日

Rest in Peace

 私はアップル信者では無い。使っているアップル製品と言えば2008年に帰国した際に買ったiPod Touchぐらいだ(iPhoneやiPadは仕事で触れている程度)。それでもSteve Jobsの訃報はショックだった。彼のプレゼンなど色々と仕事の過程で勉強した事もあるが、私が大好きなのは2005年のスタンフォード大学での彼のスピーチだ。


スピーチの原文はこちら。この伝説的スピーチを知ったのは帰国してからだが、それ以来、日常の仕事や生活に埋没しそうになる度にこのスピーチの文章を読んでは自分の原点を見失わないように努力してきた。この文章を何度読んだか分からない。動画で観たのは久しぶりだ。

最後のStay hungry, stay foolishも良いが、私が好きなのはその前の部分。"Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma — which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary."。

今日は改めてこの部分を自分に言い聞かせるとしよう。Thank you Steve, please rest in peace.


P.S:今日は方々でRIPと言う表現を目にしました。Rest in Peaceの略なのだなぁーと氣付いて、また英語の雑学が増えました

2011年10月4日火曜日

SNSの用途

 こちらの記事によるとこの一年で日本国内のFacebookのユーザー数が前年の5.6倍、1,083万人に達したそうだ。映画「Social Network」も一役買ったのだろうか。実名登録が原則なので日本では流行しないのではと散々言われてきたがなかなかの伸び率である。個人的な実感としても最近の友人リクエストは日本国内の関係者が圧倒的に多い。アメリカの道場関係者、海外の仕事関係者、学生時代の友人、会社関係者、日本国内の道場関係者、ネットワークは様々。あまり大した事は投稿しないが、それでも投稿する際には相応に氣を遣う。今までは海外の友人仲間向けのコメントだったので英語だったが最近は英語と日本語と併記している。

以前にも書いたが最初に接したSNSはMixi。招待制で始めて、どのようにネットワークを広げたら良いのか分らず試行錯誤したのも遠い昔。NY時代、Mixiで出来た縁で先日の沖縄出張の際は現地で稽古にも行けたりするのであるから武道関係の人脈の広がりはとても興味深い。以前はMixiでも日記を書いていたが最近はコミュを見る程度のアクセスとなった。Twitterは当初実名でやっていたが会社の関係者が散見するに当たって今のアカウントに移行。電車での通勤時にニュースを拾うのに主に使っている。最近始めたLinkedInはビジネス向けのSNS。こちらも実名登録。NY時代の取引先を中心にこちらのネットワークも相応に育っている。アメリカの場合、転職が当たり前で名刺交換も日本のように必須では無いので、ビジネスの人脈維持と言う意味ではずっと便利だ。アクセス回数は週に一回程度だろうか。

そして最近一般公開されたGoogle+。これまでニュースサイトでその性能については読んでいたが、ある日、Googleカレンダーを開くと左上に表示があり一般公開された事を知った。早速、開いてみる。SNSの基本的アイデアは共有だが、Google+の特徴は様々なサークル(グループ)を作り、誰に何を公開するか決めるのを直観的に出来る事だと聞く。10名以上のグループが出来ればその利便性が実感出来るとの説明だった。


そんなに集まらないし

家族と友人のグループを作ったのですが、まだ良さを実感するにはサイズが小さい氣が

(SNSもいずれ用途に合わせて使い分けるようになるのかもしれません)

2011年10月3日月曜日

The Wild Geese


邦題、「ワイルド・ギース」。1978年のイギリス映画。中高生の頃にテレビの洋画で放送されていたのを数回観た記憶がある。細かな事は覚えていなかったのだが、近所のレンタルDVD屋で発掘良品としてジャケットを見た時、最初に甦ったのは面白い映画だったと言う印象だった。数本置いてあったのだが初期の頃は常に貸し出し中。ようやく借りる事が出来た。

物語はアフリカの某国で捕まっている同国の元大統領を救出する為に集められた傭兵部隊の活躍を描いたもの。雇われる過程から主人公4名の各キャラの描き方、訓練に現地潜入と細かに描かれる。要所、要所の描き方が70年代の映画である事を思い出させるが(爆発シーンなど)、今、観ても充分面白かった。

個人的に傑作だったのは一緒に観ていた嫁さんの、「この人、昔の007に似ていない?」、と言う発言。うん、その人は3代目ジェームズ・ボンドのロジャー・ムーアその人だから(ちなみに劇中、父子の関係で人間味を見せるRichard Harrisはハリー・ポッターシリーズ初期のダンブルドア)。何と言うか、他の3人と比べて妙に若い。主役4名の内、唯一まだ生きていると言うのも頷ける。


この映画の制作中に50になっていたそうですが

そう言えばRoger Moore Bondの一作目は1973年公開、あの時点で45だったそうで

(1985年のMoore Bond最終作、「美しき獲物達」、が私が映画館で観た初ボンドでした・・・今となっては遠い昔)

2011年9月29日木曜日

グリーン・ランタン

 私は基本的にアメコミの映画版は好きである。Batman、Superman、Spiderman、大半のものは映画館で観てきた。スーパーヒーロの描かれ方としてはDC Comic(Superman、Batman、Green Lantern)よりはMarvel Comic派(Spiderman、Fantastic Four、Hulk、Iron Man、X-Men等々)か。後者の方が一般社会の中で特殊能力を持ってしまったが故の差別や悩みなどが描かれている感があるからだが、2008年のDark Knightは本当に名作だとも思う。時代的に最近は明るいトーンよりダークなトーンが主流なのだろうなとも思う。

そんな中、Marvel Comicのヒーロものの優れたマーケティングはそれぞれが独立した作品でありながら、エンドクレジットの後に他の作品へ繋がる予告編のようなヒントを交える事。Iron Manの一作目にはAvengersの長官のSamuel L.Jacksonが、二作目にはThorのハンマーが、HulkにはIron ManのTony Starkが登場したりするのがその一例。残念ながらThorは時間の都合が付かず映画館に行けなかったが来月公開のCaptain Americaは観たいと思っているし、来年公開予定のアンサンブル映画、「The Avengers」、は本当に楽しみだ。

先日、観に行った「Green Lantern」はDC Comicのヒーロ。珍しくマンガも読んだ事の無い状態。どうしても観たいと言う程では無かったが、自分のiPodには予告編が入っているし、家族でNYに遊びに行った時に街中で盛んに宣伝していたので氣にはなっていた。ある夜、嫁さんも子供も寝たので近所の映画館のレイトショーへ。レイトショーなら映画代も安く済むのでお得だ、たとえ3Dで追加チャージが取られても。チケットを買って席を指定するとかなりガラガラ、実際に映画館に入ってもそんな状態だった。邦画の予告編を経て、いよいよ本編。



日本語吹き替えでした


当然字幕だろうと思い込んでいて全く氣付いていませんでした orz ...

(強い違和感と共に脳内で日本語を英語に置き換えて観ようとするカオス体験となりました)

2011年9月26日月曜日

英語と態度

 「ところで英語は出来ますか?」。こんな質問がメールで届いたのは家族で北海道を旅行中の9月の前半だった。差出人は沖縄の営業担当。どうやら訪問先の得意先担当者が日本語を話さないとの事で急遽問合せとなったらしい。こんな事を聞かれるのも本当に久しぶりだなと思いつつ、NYで10年仕事をして来たので英語での売込は問題無いと回答した。

関東を台風が直撃したシルバーウィーク、私は仕事で沖縄にいた。初めての土地。ワクワクする。仕事なので日中は営業担当者と車で得意先をまわって商品説明だが、それでも南国の独特な空氣を堪能出来た。昔、稽古の関係で師の家に居候していたハワイを思い出す。かりゆしウェアがアロハシャツを思い出させたのかもしれない。北海道が日本国内のヨーロッパだとすれば沖縄は南国リゾートか。ネクタイもジャケットも無しで得意先を訪問してプレゼンやセミナーを行っていた。

2泊3日の出張だったのだが、最終日が英語の日。当初は得意先1名のはずが、そこで30分ほど説明をしたら、その上司が更に話しを聞きたいとの事で再アポ。午前、午後と英語で商品やサービスについて説明をする事となった。展開次第では自分が通訳を務めて営業担当に振ろうかと思ったが、蓋を開けてみれば私が一人で話す展開に。終了後、フライトの変更はしなくても済みそうだったのでそのまま営業担当者の車で那覇へと向かった。車中の同僚のコメント。


「英語で話している方がずっと自然ですね」

 
 あぁ、まぁ、日本語と英語だと話している言語によって自然と態度も変わりますしね

(考えてみると英語での社会人生活の方が日本語のそれより圧倒的に長い事を思い出した次第です)

2011年9月20日火曜日

出張

 明け方の5時前に起き、外が薄っすらと明るくなりそうな頃に家を出た。空港行きのバスに乗り羽田空港を目指す。ここ2ヵ月程度の間にずいぶんと羽田に用事があるものだ。札幌、広島に続き今回は沖縄。また未踏の地である。フライト時間が2時間半と言う辺りに多少の距離を感じなくも無い。飛行機の中、ビジネスモードの人間はごくわずかで出張用の資料を読んでいる自分は浮いている感が無くも無い。ジャケットもネクタイも無いのがせめてもの救いか。

今回の旅は2泊3日。那覇空港で地元の営業担当者にピックアップしてもらい早速得意先を巡る。初めての沖縄の印象は昔、何度も師匠を訪ねて行ったハワイを思い出す。南国だ。日中はびっくりするぐらい暑かったが太陽が沈むと涼しくなるのには驚いた。とは言え2週間前は家族と北海道にいた。短期間に日本を縦断している事も我ながら驚きだ。今回は通常の1泊2日の出張よりは荷物が多め。1泊多いからと言う理由ももちろんある。


後、道着を持参しているから


今宵は会社の関係者と飲み会でしたが、明日の仕事後は稽古です




 (こんな出張ならいつでも来たいものです、まずは明日の仕事をクリアしてからですが)

2011年9月14日水曜日

虚勢とはったり

 大学2年生の冬頃、3年生から幹部として合氣道部を引っ張って行くとの事で全2年生が順次に主座を取ると言うイベントがあった。その時、印象に残ったのが一年上の副将の「主座なんて虚勢とはったりだよ」と言う言葉。もちろん虚勢とはったりで物事を通す為には相応の知識と基礎が必要な訳だが、人前に立つ際の心得としてはなかなか言い得て妙。あれから20年近く経とうとしている今でも覚えている。

人前に立って指導する、あるいは話しをする際に大切な事は自信が無いように見えない事だ。相手はその稽古の流れ、あるいは商品の説明を聞こうとしているのだから、その際に場の空氣を作る人間が自信無くしどろもどろでは逆効果。合氣道の指導に置いてはそれで全く問題無かったし、帰国後、得意先や取引先の前でプレゼンをしたり、セミナーや司会役として数十人、数百人を前に話しをする機会が多くあったが、その際も落ち着いた空氣を醸し出しながら自信を持って話す事の大切さは実感してきている。

最近、業務分担に変更があり、自分の担当のエリアを一まわり年下の女性社員に引き継ぐ作業を行っている。元々、営業出身なので得意先をまわって商品説明をするのは得意かと思いきや、苦手との事。私が得意先で説明をする際、同行して感じを掴んでもらう事にしている。先日も40分の講習会があり、簡単な資料を持参しつつ、参加者の反応や与えられた時間をチェックしながら、緩急を付けて商品説明を行った。終了後、「XXXをXXXのように説明するのですね、メモを取りました」との部下のコメントに、「え、あれはその場の思い付き」、と答えた所、不評。もらったコメントが。


トウヤさんみたいに心臓が鉄で出来ている訳じゃないんです

いや、鉄では出来ていないよ、毛が生えていると言われる事はあるけれど

(早く技を盗んで大きく成長してくれないかなと期待しています)

2011年9月12日月曜日

空港

 1歳の子連れ北海道旅行を無事に終え、充実した時間を過ごす事が出来た。羽田空港までのバス、フライト、新千歳空港から札幌市内までの電車の中など、それぞれ課題はあったのだが、何とか大騒ぎにもならずにクリア。NY旅行の時は飛行機に大して反応していなかった子供が今回は羽田空港で飛行機を見て大興奮していたのは非常に興味深い。

成田空港も羽田空港もターミナル近くに子供の遊べる空間があり、そこで赤ん坊から子供まで結構遊んでいる。飛行機の中で身動きが取れなくなる事を思えば、乗る直前に子供を騒がせておくのは必要だ。飛行機の中で氣を紛らわせる玩具、交渉出来るなら座席の位置、色々と事前に戦略を練る事が必要である。一緒にいる大人が飛行機の娯楽(映画、音楽、飲食)を楽しめる可能性は非常に低い。子供がどのタイミングで寝るかがポイントだろうか。

北海道滞在最終日、フライトは13時過ぎだったが、早朝の札幌にいてもあまりする事が無いので、子供が朝寝をしているタイミングを活かして新千歳空港に向かった。逆に空港は賑わっておりレストランもお土産屋も営業しているし、子連れ用のトイレも充実しているのでポイントが高い。チェックインした後、3時間もあるのは通常の旅だったら考えられないが、子連れはOKである。食事をして、オシメを換え、ドラえもんパークを訪れればあっと言う間。博物館は有料だが、隣の子供用パークは無料。子供は大はしゃぎ。

新千歳空港、空港内の娯楽施設の充実ぶりは空港と言うより、ショッピングモールである。フライトの案内が無ければ空港にいる事を忘れてしまいそうな勢い。不思議なのが2ヵ月前、仕事で札幌に来ていた時はここまで空港が充実しているようには感じられなかった事。



まぁ一人ではこんな子連れコーナーに来る訳が無いのですが


そんなこんなで無事に帰宅、帰宅した夜は子供と一緒に意識が飛んでいました

(休暇明けで会社に戻ると仕事の違和感と子供がいない違和感のダブルパンチ状態)

2011年9月5日月曜日

台風12号

 マンハッタンの南の地域の一部にハリケーンの影響で避難勧告が出て、地下鉄やバスも止まったと言うニュースを見ていたのは一週間ほど前だっただろうか。氣が付けば日本も台風12号の話題で持ち切りだった。

先週の金土は関西出張予定だった。元々、土曜日にセミナーの依頼があり、その為だけに行くのも出張費用が勿体無いからと金曜は京都や大阪の得意先訪問を予定していたのだが、木曜午後になって土曜の得意先からドタキャン依頼。私の一泊二日は急遽日帰り出張となった。暴風雨の中、京都、大阪と仕事をこなし帰りの新幹線に乗ったら新大阪で足止めを喰らい帰宅が遅れたのも今となっては遠い昔の事のようである。

土曜日は仕事がキャンセルとなったので、代わりに古流の自主稽古会に出席。稽古の最後に偶然現れた人がとんでもない達人で日本と言う国の奥深さを久しぶりに実感した。一見、ただの中年のオヤジなのに、あの動きは反則だ。きちんと観察すれば背中の筋肉の付き方や拳の状態が常人と異なる事は分かるのだが、人の良さそうな関西弁でニコニコと話しつつやる事は一撃必殺と言う組み合わせはなかなか。台風の影響で人がほとんど集まらないのではと言われていた自主稽古会に顔を出せた幸運に感謝。

そして今週は夏休み。嫁さん、子供と札幌に来ている。13時間のNYフライトと比べれば1時間半の北海道フライトは簡単だ。とは言え、5月の時はハイハイしかしていなかった子供が今や歩きまわっている。機動力の差が未知数だったが何とか無事に到着。しかし、肝心の札幌は強風に大雨、子連れで動き回るにはイマイチの天候だ。天氣予報によると、台風は温帯低氣圧に変わったものの、明日は昭和56年に匹敵する大雨警報が出ているとの事。

ガッデム

何だかここ数日間、ずっと台風12号に振り回されている氣が

(久しぶりに子連れでレストランに入り、食事の戦場ぶりを思い出しました、運が良ければ味わえる・・・みたいな)

2011年8月22日月曜日

大自然 第二弾

初日:
薄暗くなろうとする夕方にそれはまるで氣が付かれる事無く、足元に忍び寄る。酔った頭には足首に小さなポツポツがある事など分からない。

2日目午前:
起床と共に足元に痒みを感じる。見ると赤いポツポツが左右の足首に点々と。数えると右足に8つ、左足に5つある。意外にむずむずする。ブヨでは無いかと言う声に強めのムヒを塗った。そう言えば前日は半ズボンにサンダル姿で家族で花火をした。嫁さんの足も私ほどでは無いが噛まれている様子。子供が無事なのは何より。

2日目午後:
クーラーの効いた帰りの電車から乗り換えで暑いホームに降りた瞬間に両足の悶絶するような痒みに襲われる。思わず乳母車の取っ手に爪を立てる。これは強烈だ。しかし、乗り換え時間はわずか。荷物を抱え何とか電車を乗り換える。

2日目夜:
最後の電車の乗り換えまで間があるので夕食を食べてから帰る事に。しかし、それ以上に夫婦揃って足の痒みが耐え難い。駅周辺の薬局に行き、ステロイドの入った薬を購入。デパートで患部に塗って一息をつく。ネットで調べた限りではブヨの患部は腫れあがり、掻く事が最大のタブーらしい。塗り薬が効きめが弱い時は氷で冷やすか。痛みの方がまだマシだ。

3日目:
痒みと鈍痛が交互に襲って来る夜を経て起きる。右足は腫れあがっている。涼しい場所で裸足でいれば耐えられない事は無いが、今日から出社。靴下を履き、革靴を履いて家を出る。擦れるその瞬間が拷問だ。思わず歯を食いしばり、意識を膝下から切り離すよう努力する。クーラーの効いた場所で大人しくすれば大丈夫なはず。社内でも極力、デスクから動かないよう務める。席を立つのは猛烈な痒みを伴うからだ。トイレの個室で両足に薬を塗る。もしかして麻薬の禁断症状とはこんな状態を指すのではと言う思いが頭をよぎる。ゆとりが無い。嫁さんは皮膚科に行って薬をもらった。量がわずかなので私は市販の塗り薬で耐える事にする。

4日目:
起きると右足に鈍痛。普通に体重をかける事が出来ず足を引きずるようにして洗面所へ。今日もまた靴下に皮靴かと思うと暗澹たる思いに駆られる。

5日目:
右足は相変わらず腫れあがっているし、両足の噛まれた痕はプチホラー状態。これが虫に噛まれた痕ではなく伝染病だったら末期症状だろう。虫刺されには耐性のある私だが、こんなに引きずるのは初めてだ。しかし、心なしか痒みと鈍痛は弱くなっている氣が。これなら週末の合氣道の稽古も行けるかもしれない。

6日目:
足は腫れているし、噛まれた痕も痛々しいが鈍痛と痒みは引いた。週末だし、今日はサンダルだ。久しぶりに友人と合氣道の自主稽古。激しい運動とその血の流れでまた痒くなるかもしれないが、こればかりは試してみないと分からない。結果は吉。延々と投げ合う過程で後半は立ち上がるのもしんどかったが、足元に氣を取られる事は無かった。稽古後、久しぶりに一杯飲みに。稽古後の生ビールの美味さは格別だ。


足元が疼きましたが


あ、アルコールのせいか・・・・

取り敢えず完治するまでは要断酒かブヨ恐るべし、本当、子供が噛まれなくて良かった


2011年8月19日金曜日

大自然

 会社が節電の名の元に月曜を社員の有給休暇を使った強制的休みにしてしまったので、翌日の火曜日も休んで家族でのんびりする事にした。行き先は両親がいるプチ田舎。帰国以来、定期的に遊びに行っているが今回は子供が歩けるようになっているので更に遊びの幅が広がるだろうと言うのが今回の目論見だ。

親の方で色々と計画しており、孫の為のプール、花火、そして庭の木に吊るす縄梯子を使ったブランコなどイベントは盛りだくさんだった。プールを膨らますのは一作業だったが、子供の喜びっぷりを見たら用意周到な親に感謝せざるを得ない。庭の木に縄梯子を吊るすのも脚立があれば訳無い。吊るされた縄梯子で早速、木に登ってしまう自分は三つ子の魂、百までと言った辺りだろうか。梯子のトップから木の枝に登って景色を楽しんだ。

トラブルが生じたのはそうやって数回上った後。カメラで上からのショットを捉えようと登り、バランスを整える為に上の枝に左手をかけた所、人差し指に焼けるような痛みを感じた。思わず手を振ると右膝の上に緑色の親指サイズの物体が落ちて来た。毛虫と認識するのと足に激痛が走るのと同時、払い落した時は既に遅く、左手と右膝が見る見る腫れてきた。悔しいので木の上から嫁さんと子供の写真を撮ってから下に降りる。ヒリヒリとした熱と痛さに強めのムヒを塗った。これまで数え切れないほど木登りをしてきたが毛虫をヒットしたのは今回が初めて。痛みと腫れが引くのに数時間かかった。


子供を喜ばすのも楽じゃないです


そんな子供は虫に刺される事無く、無事にブランコをして動画にも収まりました

(調子に乗って木登りをしていなければこんな目には合わなかったと言うもっともな指摘は聞こえない方向で)

2011年8月9日火曜日

交流と将来と

 帰国してから社内の若い社員の研修などに関わる機会が増えた。新入社員に自分が所属している部署の業務の説明をする事から始まり、1年次研修や2年次研修などである。自分自身の立場が中間管理職だからなのかもしれない。自分が新入社員の頃は今の自分の年齢、役職の人間はかなり年配に見えたものだが、若い社員から見ると今の自分はどう映るのだろうと氣にならなくも無い。

そんな今日の午前中は大学生インターンを相手にした業務説明だった。このイベントも3度目か。前日に過去のプレゼン資料を幾つか編集し、iPadに入れて会議室を訪れる。女子大生3人を相手に私の関わっている業務について説明。適宜、質疑応答を交え、あっさりと所要時間をクリアした。仕事絡みの質問が中心だったが、最後にどんな時に仕事のやりがいを感じるかと訊かれた時は少し驚いた。そう言えば私も遠い昔、就職活動の最中にそんな質問をした事を覚えている。自分の最近の体験の中から事例を語ると納得してくれた様子。特にこの業種への就職を勧めるつもりも無いが、社会人がパッションを持って仕事に取り組んでいる事は伝わったかと思う。嫁さんには笑い飛ばされそうだけど。

そう言えばこんな事もあった。こちらに書いたかどうか記憶が曖昧なのだが、5月に他の部署と共同でイベントに関わっていた際、他部署の入社2年ぐらいの若い男性社員と一緒に仕事をする機会があった。何かの折に私が海外生活が長いと言う話になり、海外について色々と質問されたので自分の分かる範囲で答えた。聞くと彼は海外赴任をしたいとの事。彼の関連部署なら常に海外部員を求めているはず、人事や該当役員に話しを通しておけばすぐに叶うよと伝えておいた。20代独身で今は彼女もいないと言う。海外赴任して彼女を作るのは、日本にいる時と比べて相応の甲斐性と努力が必要になるだろうが、行きたいなら行くべきだろう。彼と仕事をしたのは時間にして数時間だ、先日、発令が出ており9月からアジアに赴任とあった。希望が叶った様子、頑張って欲しいものだ。


NYエリアにも発令が


アジア地域からNYの他部署へ異動になる人間がいるような

(で、私がまた海外に出る為には誰に話を通せば良いのだろう・・・・ふぅー)

2011年8月8日月曜日

打ち合い

 週末の土曜日に久しぶりに今年に入ってから縁の出来た他流儀の古流の自主稽古会に参加させてもらった。自主稽古会は毎週末開催されているのだが、さすがに毎週の参加は難しい。午前中は私が子供の面倒を見て嫁さんが外出、午後は代わりに私の時間と言う事で道着をカバンに詰めて家を出た。

体育館に着くと先に来ていたのは先輩が2人のみ。3人で稽古を始めている内に他の人達も集まってきた。稽古は押し合いや相撲のような内容もあれば、互いに組んで特定の個所を鍛える鍛練法もあるし、打撃に投げ、武器もある。初心者としては軽く消化不良を覚える量だが、そこはコツコツと。

個人的にはこの稽古体系は非常に理に叶っていて面白いと思う。キツイ稽古方法は打ち合いだ。一定の型でどの程度の打撃力が出来ているのか互いに打ち合って確認すると言うもの。打つ場所は腹。私が過去に経験した中国武術などでは、試し合いの打ち合いの際は危険なので打つ場所を変えると言う事がされていた。ロシアのシステマでも互いに浸透する打撃で試し合う事はされている。結局の所、技として効く打撃を練る為にはどこかで打たれる、打つ経験は必須。そして人間、誰もすき好んで打たれる人はいない。ここがジレンマ。組手で殴られるのと、自分の意志で立っている状態で打ち込まれるのとではずいぶんと印象が違うものだ。一概には言えないかも知れないが個人的には前者の方が楽。

そんな打ち合いの稽古も今回が2回目。今回は人数も集まっているので様々な人と組んで、稽古する。上手い人の動きは無駄が無く、打撃もズシンと浸透する。軽く悶絶しながらタイムアウトをお願いするぐらい。

そんな稽古を土曜の午後に行ったお陰で久しぶりに体力は限界まで消耗。電車の中で坐ったら自分の駅で降りるのがキツイぐらいだった。シャワーを浴びると腹や腕に延々と痣がある。翌朝は筋肉痛で布団から出るのがしんどい。起きている子供を嫁さんが相手してくれている事に感謝である。そんな日曜日に嫁さんに前日の稽古の事を報告、腕の痣を見せる。


良かったねーと言う満面の笑み

前はいつもそうだったものね、との指摘にそうだっけと首を捻ったり

(まぁ合氣道だけではなかなかこうならないのは確か)




2011年8月3日水曜日

氣まぐれ

思い返せばずいぶんと前の事のように感じられるのだが、5月の中旬に会社のパソコンからメールが消滅した。使っていたのはOutlook Express。仕事中に何だか動作が重いなと思っていたら、受信トレイから過去半年分の業務メールが消えてしまった。

呆然。

検索して調べた所、この種の現象はOutlook Expressではあるらしいと言う事が分かった。色々と過去のデータのリカバリーを図ったのだが上手く行かず、結局、半年分の業務データとお別れをする破目になった。

意外だったのは、その頃、かなり忙しかったにも関わらず消滅した過去メールにあまり足を引っ張られなかった事。そもそも多忙だったので感情的に大騒ぎする氣にもならなかったのかもしれないが、蓋を開けてみれば何とかなった。重要なメールには誰かしらCCが入っていたのも大きかったかもしれない。

ちなみにほとんどの人にはこの現象を信じてもらえなかった。

あれから2ヶ月。7月は北海道に関西、北九州と出張の多い月だった。それがようやく一段落。今週は今の所、事務所内だ。コツコツと溜まった仕事を片付けるかと思っていた矢先。


1ヵ月半分のメールが消滅



・・・一体、何の嫌がらせか。取り敢えずThunderbirdを使い始めました

(自宅でも社内でも無意識に何か放出しているのではとの疑念が上がっています)

2011年7月27日水曜日

The Avengers

The Avengers。Marvel Comicのスーパーヒーロー達が一同に集う2012年公開予定の究極の映画だが、Marvelシリーズの最新作であるCaptain Americaの最後で予告編が流れたようだ。Captain America、Iron Man、Thorを始め、Black WidowやHawk Eyeの姿も垣間見える。




これは期待せざるを得ない


今年もそうですが、2012年もヒーロー映画には事欠かない氣がします

2011年7月26日火曜日

リブート

先週、Twitterでも呟いたが早くも来年夏公開予定のスパイダーマン新作の予告編が登場した。The Amazing Spiderman。その数日前まで同時期に公開予定のバットマンの完結編、The Dark Knight Risesの予告編に驚いていたのに油断も隙も無い。



スパイダーマンの舞台はNY。前回のシリーズはマンハッタンを舞台にしつつ微妙にデフォルメしてあったが(タイムズスクエアや市内の高架線を走る電車など)、今度のはどうなのだろう。地下鉄の天井にくっつくピーターの映像は懐かしいNYの地下鉄そのものだ。しかし、もうリブートか。前3部作についてはNYでそれぞれ予告編から熱中して何度も予告編を観た記憶がある。特に一作目。摩天楼の間を飛び回るスパイダーマンとその音楽にはドキドキしたものだ。




10年前とは・・・


ついこの間のような氣がしてならないのですが・・・

(何はともあれ、来年の夏もヒーロものの大作と楽しみには事欠かない予感)

2011年7月21日木曜日

求めよ されば与えられん

 既にずいぶん前の事のように感じられるが、先週、大阪・名古屋と出張でまわる機会があった。扱い商品についてのセミナーがあり、米国から取引先が来日した他、私自身は講師として赴いたものである。大阪と言えば一ヶ月前、NYから戻ってすぐに週末出張があった。その時に偶然の成り行きで大阪の油そばも制覇する事が出来たのだが、今、思い返すと仕事の記憶より食の記憶が色濃く残っている。

セミナーは午後一。昼に着くならまた油そばをと考えてしまったのは自分的には当然の成り行きか。同じ大阪、梅田駅の近くだしと思っていたのだが、地図を見ると方向が逆。寄って食べられない事は無いが、それから新しい場所へ行くには時間的に少々リスキー。自分が人前で話すのに迷って遅刻したとなれば洒落にならない。今回は諦めるのが大人の嗜みかと思いながら大阪駅で降りた。

地図を片手にセミナー会場のビルを見つける。まだ時間はあるが、この炎天下、駅の反対側まで食べに行くのはさすがにしんどい。取り敢えず近くで何か食べようと周りを散策した。ビルの後ろに山頭火が。ここも悪くは無いが、自宅の近くにもあるし、他に店が無ければここにしようともう少し歩く。通りの向こうに九州ラーメンの看板が。どんなものだろうと思ってメニューを見るとスープを使わないラーメンが人氣との説明が。


油そばでした


前回、行った亀王の支店でした

(これを運命と呼ばずして何と呼ぶべきか、取り敢えず冷やし油そばを食べてセミナーに臨みました)

2011年7月15日金曜日

打ち合わせ

 今週はアメリカから取引先が来日しており、その絡みもあって通常業務から離れた所で様々なイベントの予定が入っている。会社で扱っている取引先の商品について色々と変更があり、それについての講習会を行うとの事で、先週は取引先の日本支社と札幌に出張、今週は大阪、名古屋と出張が続いた。

そんな今日は講習会の合間、アメリカの取引先との打ち合わせがあった。夜は会食だったので、その前の午後を打ち合わせに当てる。こちらからの参加者は直属の上司と私、部下1名の3名の予定だったのだが、別な緊急案件が生じ、上司は不参加。私と部下の2名で先方2名との打ち合わせとなった。

先方の日本支社を訪問する直前、部下から、「上司がいないと言う事は今日の打ち合わせは通訳無しの英語のみですか?」、と質問が。そう言えば考えてもいなかったが、先方はアメリカ人1名、日本人1名。こちらは日本人2名。日本人3名共、海外生活経験者で特にビジネス英語には困らない。上司も英語が出来ない訳では無いが、通常だと先方が氣を利かせて適宜通訳してくれる。二重チェックで誤解が無いメリットがあるとは言え同じ話を2回聞かなくてはならないと言うデメリットもある。「英語だけなんて勘弁して下さいよ」、とクレームする部下に笑顔で「3時間の打ち合わせ時間が通訳無しなら1時間半で済むから良いじゃないか」、と言って取引先を訪れた。


 蓋を開ければ3時間以上の打ち合わせ


お互い予定していた以上に議題が盛り上がり氣が付けば時間オーバー




 (結果、会食に遅れ上司やおエライさん、社長まで待たせました)

2011年7月11日月曜日

指導者講習会

 先月、NYを訪問した際、着いた初日に師を始めとする道場の仲間に歓迎会を開いてもらった。師がそのような場に顔を出すのは珍しい事なので夫婦で参加された時はびっくりした。お陰様で久しぶりにゆっくりとお話をする機会があったのだが、その際の話題の一つが7月の指導者講習会だった。

指導者講習会は初めての試みで稽古仲間の友人が師を何年もかけて口説いていた内容だった。道場での通常の指導や、支部でのセミナーだけでなく、有段者を対象に特別に専用のセミナーを行うと言うもの。場所もマンハッタンの道場では無く、友人の道場で金土日の週末を使って行うと言うものらしい。食事の席で、「皆の質問に答えられるように、稽古後の懇親会もいつものパーティーではなく、セミナーだよ」、と仰っていたのが記憶に新しい。

7月のいつだっけと思っていたら後輩がFacebookに写真をアップしていた。先週末だったか。多数の友人仲間が友人の道場に集っている。具体的にどのような稽古が行われたのか分らないが、ほんの一ヶ月前にいた場所に強い懐かしさを感じる。だからと言う訳でも無いのだが、日曜の夜は身体を動かした後、久しぶりにラスベガスのAiki ExpoのDVDを観返した。行ったのはついこの間のような氣がするが、あれはもう8年も前の事。現在、日本でお世話になっている他流儀の師と出会ったのもこの時だ。この時は師の合氣道の稽古を中心に、空いている時間、様々な他流儀のセミナーに顔を出して多大な刺激を受けた事が懐かしく思い出される。日本だったらあり得ないイベントだ。何だか珍しくNYの合氣道の事を考えた週末。


夢にまで出ました


また近い内に稽古の機会を持たないとなぁー

(指導者講習会に出たいと思いつつ、今の自分では恥ずかしくて出席出来ない可能性も・・・)

2011年7月4日月曜日

アクシデント

 子供がヨチヨチ歩きをしている事に感動していたのが2週間前だったろうか。日に日に歩ける距離が長くなっている事に驚かされる。氣が付いたらほとんどハイハイしている時間が無くなっていた。毎日のように出来るようになる事が増え、本人は非常に楽しそうである。親が同じ部屋にいれば一人で何かを持ちながら部屋の中を延々と歩き続けている。転ぶ回数もどんどん減っているようだ。

トラブルが生じたのはそんな最中。家族で食事中に子供が力み始めた。ウンチか。取り敢えず自分達の分を食べ終えてからオシメを交換するかと子供を椅子から降ろす。また嬉しそうに歩きまわり、自分の布団の所に座ったり、かと思えばまた移動したりと忙しい。嫁さんが先に食事を終え、子供の布団の所を見ると茶色の染みが。

漏れたかと思うのと子供が小さな段差の所で転ぶのと同じタイミングだった。面白いものでヨチヨチ歩きをしている息子は転ぶ時は必ず手を出す。本能的に受身を取っているのかと感心する箇所だ。その時も膝、手の順番で転んだ。すぐに泣きだしたので心配は要らないだろう。それよりもウンチを撒き散らされても困る。私も食卓を離れ、嫁さんと子供の元へ。嫁さんが布団の所にいるのでまずはうつ伏せで泣いている子供を抱きかかえる。

口から流血

ドロリとした子供の血が自分の手にかかる。口の中からだ。歯を折ったか?との思いと共に泣き方から激痛よりも驚きだろうと判断する。嫁さんに声をかける為に子供を抱いたまま嫁さんの方を向いて嫁さん驚愕。ウンチの染みを片付けようと言う最中に子供を見たら口元が真赤になっているのだから当然か。

まずは口をチェックと言う事で水に濡らしたガーゼで口元を拭く。なかなか血が止まらないが子供は泣いているものの大騒ぎはしていない。きっと口の中を切っただけだからと言っている内に上唇がどんどん膨れ上がり自分の仮説を裏付ける。血が止まり、オシメを取り換えるとそこには違う惨状が。これはシャワーが先かと子供を風呂場に連れて行き、洗って戻る。既に息子は上機嫌。薬の蓋をかじったり元氣なものである。ニコニコしている状態を利用して口の中を夫婦でチェック。

前歯にヒビが

腫れた上唇に隠された上の前歯の一本の下の部分に真横に線が入っている。夫婦で一瞬固まった。明日の朝一に病院か。永久歯じゃないとは言え、何て事だ。しかし、コイツ、歯が折れているのに痛くないのか、機嫌は良いぞ。


薬の蓋のシールでした


次に見たら消えていて嫁さんが口の中を調べて取り出しに成功

(こうして親子共々、逞しくなっていくのでしょう。子供は上機嫌なまま眠り、親はプチ疲労感と共に夜を迎えたのでした)

2011年6月29日水曜日

フラッシュバック

 真夏日和の中、上司と二人、得意先を訪問すると現地担当の営業は以前、アメリカ西海岸で営業をしていた同僚だった。そう言えば帰任するらしいと言う噂は聞いていた。久しぶりですねと言う挨拶が自然と口から出る。どうやら帰国して約2週間、時差ボケが直る間も無く怒涛の引き継ぎの真っ只中との事だった。

訊くと丸5年のアメリカ滞在だったらしい。その同僚は西海岸をベースにアメリカ国内の得意先巡りや日本から訪れた得意先のアテンドをしていた。以前、彼がマンハッタンの得意先を訪問していた際、イベント用の素材を届ける必要があり、誰かが借りたミニバンのレンタカーを運転して素材を届けた記憶が何となくある。一年の3分の1が出張。さすがに疲れるようになり本人の希望で帰任したと聞いた。私のように本人の意思はおろか、直属の上司まで直前まで知らされなかった人事で帰任するのとは大きな違いだ。

しかし帰国して2週間だとまだ住む所が決まったか否かと言う辺りか。船便は言うに及ばず航空便の荷物だって届くか疑わしい状態だろう。ウィークリーマンションに住みながらようやく住む所を見付けたとのコメントに自分の3年前を思い出す。帰国した翌日に会社に顔を出し、週末は家電製品のチェックや不動産巡りをしたような氣がする。インターネットが開通するまで、帰宅後は携帯からメールをチェックするしか無く面倒だった事。そして何よりも会社名が同じだけで、帰国とは言え、まるで海外の地に転職したような氣分だった事を思い出した。


勝手にシンパシー


同僚は私より上のベテラン社員なので大きなお世話だとは思いますが

(同僚の後任は英語があまり出来ない状態で赴任したとか・・・大丈夫なのか?)

2011年6月28日火曜日

LinkedIn

 私にとってこれまでSNSと言えばMixi、Facebook、Twitterの3点だった。始めたのはMixiが最初、NY時代に友人の奥さんに誘われての事だった。FacebookはNY時代のタイ人の後輩に誘われて。Twitterは会社の同僚に誘われてだったと記憶している。アクセス頻度で言うとTwitter、Facebook、Mixiだろうか。Twitterは情報集め、Facebookは友人仲間の近況チェック、Mixiはたまに覗くと言う感じだ。

LinkedInについてはこれまでの誘いはあったのだが、特に用途らしい用途も無く放置してあった。だから今回、誘われて始めたのも氣まぐれと言えば氣まぐれだ。アメリカ時代の取引先などFacebookはやっていなくてもLinkedInをやっている人がいるのは以前から知っていた。Facebookは友人仲間がベースなのに対し、LinkedInはビジネスが中心か。個人の履歴書も掲載出来るようだが、まだ始めて数日。そこまではしていない。正確には使い勝手を把握していないと言う所だろうか。

驚いたのは会社の人間が結構いると言う事。NY時代のアメリカ人の同僚はもちろんの事、NY時代の上司までいた。最初に登録する段階でメーラーに含まれているアドレスから既存のLinkedInアカウントをチェック出来るのだが、そこに上司の名前を見た時は驚いた。取り敢えず上司ならお知らせメールが出ても良いかとチェックしたら数時間後には承認メールが。さすがの速さである。他にも転職サイトだろうと不評を買っていたと聞いていた本社のおエライさんの名前が表示されたりしたのだが、そこにメールが行ってしまうと色々と面倒臭そうなので、そっちのチェックは取り敢えず外しておいた。

SNSはネットワークが出来上がらないとあまり面白くは無い。すなわち最初の内は知り合いの数が増えず、広がらないのでアクセスしても刺激に欠ける。そう言う意味ではMixiもFacebookも始めた頃はかなり細々としていた事を思い出す。そしてLinkedIn。コンタクト先の検索結果を見たら意外とNYの合氣道仲間が多い。そこへも金曜日にお知らせメールを出した所、土曜の朝には多数の承認メールが届いた。それについての友人のコメント。


だってNYでの本業でしょ


あ、まあ、そうね

(取り敢えずネットワークの日本人比率はとっても低いです、しかしどう活用したものか)

2011年6月20日月曜日

歩く型

 子供が歩いたと嫁さんからメールで連絡があったのはちょうど一週間前、14日の事だった。この場合の歩くは自力で歩く事を指す。伝え歩きは結構やっていたし、NYへ向かう行きの飛行機の中では親の指を掴んで機内の通路を延々と歩いていた。あの行きのフライト、通路を何往復したかは記憶が曖昧である。

以前も書いたような氣がするのだが、子供の日々の進化を見るのは型稽古に通ずるものがある。毎日、毎日、何かを一生懸命に挑戦しつつ失敗する。ある日、何かをきっかけにそれが出来るようになる。最初の内はぎごちないその動きが徐々に洗練され、その内に、前から当たり前のように出来ていたかのように動きだす。物を掴む、ハイハイ、一つ一つが時間をかけて出来上がる。これは稽古で技を練るのと全く同じようなプロセスだなと思わなくもない。周りにその技が出来る人がいて、その姿を真似てコツを身に付けて行く過程で技が出来る。技が出来るようになれば、昔から出来ていたかのように見えるものである。兄弟のいる子供の方が早いのは身近に例がいるからだろう。

子供が初めて掴まり立ちをした時も、ハイハイをした時も、そして自分の足だけで立った時も幸いにその場に居合わせる事が出来た。「昨日まで出来なかったのに」、と思う間もなくその後は加速度的に上手くなっていく。実に面白い。

子供が歩く姿を目にする事無く、平日はあっという間に過ぎた。ヨチヨチ歩きをしているのなんて一瞬なんだからと言う親からのメールにちょっと焦燥感。そんな週末の日曜日は嫁さんが用事があり、私は久しぶりに子供と二人きりだった。母親が出かける姿を目にしていたせいか最初は散々泣かれ、そのパワーに一氣に憔悴するも、色々と氣を紛らわして場をもたす。

歩いた。

ほんの2、3歩だが確かに歩いた。感動。バランスを取りながら足を動かす。そんな当たり前の事が初めての時はとても難しいのだなと言う事が良く分かる。こっちが大喜びしているせいか、子供も嬉しそう。この小さな一歩がいずれは大きな一歩へとつながるのだろうと完全に親バカ全開。


仁王立ち姿でスティックも振るし


子供の近くで何となくカリスティックを振っていたらかなり刺激になってしまった様子

(取り敢えず棒系のものは何でも好きなようで、持った状態で転ばないで欲しいと思う親心、そう言えば子供が歩く姿を初めて見た日曜は父の日でした)

2011年6月16日木曜日

優しさ

 飲んでいて危ないもの、それはフローズン・マルガリータでは無いかと言う思いを今回のNY旅行で抱いた。メキシコ料理で出て来るパンチ力の強烈な飲み物である。口当たりが良いのでクイクイ飲むと椅子から立てなくなったり、記憶を失う事がある。

NY旅行の一週間の内、合氣道の稽古に行く機会は2回あった。2度目の時は挨拶も兼ねて嫁さんと子供も道場に。稽古仲間や師も喜んでくれて、同じく立ち寄った師の奥さんとも色々とお話をする事が出来た。

稽古後、嫁さんと子供の事があるので居候先に一緒に帰るかと思っていると先輩が、「お前の家族は俺が車で送ってやるからお前は仲間と一杯やって行け」、と声をかけてくれた。さすが先輩、言う事が違う。先輩からは子供の誕生日プレゼントをもらったり元々、頭が上がらないぐらいお世話になっているのだが、更に世話になる事になった。

残った私はまずは後輩達が買ってきたビールを道場で飲む。ビンビールが一通り空になった所で行きつけのメキシコ料理に。実はその日のランチをそこでしていたのだが、美味しいので氣にしない。数名でテーブルを囲み、料理を食べている過程で飲んでいたのがフローズン・マルガリータである。美味い。

暗転。

氣が付くと閉店で出る事になっていた。そう言えば自分の支払はどうしたのだっけと思いながらマンハッタンの夜道を仲間と散策。順次、仲間と別れつつ、幸い長い付き合いの二人が同じ地下鉄と方面で彼等に挟まれるように来た電車に座った。私が一番年下なのだが、一応先輩。雑談に華が咲く。

暗転。

氣が付くと日本人の後輩が下りる所。「日本に戻ってからなまってますよ」、と言う厳しい指摘を笑顔でかわしつつ、また次の機会を楽しみに別れる。次に氣が付くと降りる駅が迫っていた。数駅前に降りたはずの仲間はまだ一緒にいる。「お前、乗り過ごしそうだし、夜中に散策するのは俺達の習慣じゃないか」、とのコメントに改めて友人の優しさを感じる。そう言えば渡米した最初の年、チャイナタウンで道場のクリスマスパーティーがあり、その後、道がよく分かっていなかった私と延々と地下鉄の駅まで一緒に歩いてくれた事があった。氣が付けばお互いに一児の父。あの頃はこんな風にまた夜道を歩くとは思ってもいなかった。縁に感謝しつつ無事に居候先に戻った。

暗転。

次に氣が付いた時は居候先のリビングのカウチで服を着たまま寝ていた。


子供を抱いた状態で


嫁さんやホストの証言によると、寝付きそうだった子供を頼まれて預かりカウチに座ったとか・・・全く記憶に無いのですが、写真が残っているのできっとそう言う事なのでしょう

(日本でもこんな風に飲まないのに、NYでそれをやる辺り我ながらなかなか呆れるものがあります)

2011年6月11日土曜日

油そば

 今週末は梅田出張。NYから戻って最初の週末が出張と言うじゃぱにーずさらりーまんに戻される為の強制リハビリのようなスケジュールだ。実際の所は出張が大変と言うより、子供の時差ぼけが日本時間に戻るまでの数日間、連日、朝の2時や3時に起こされる事の方が辛かったと言って良い。ようやく朝の5時と言う比較的耐えられなくも無い時間帯になった所で私は新幹線に乗って関西方面へ。

いつも付き合いのあるこの方のツイートを読んだのはそんな昨日の夜中の事。梅田で油そばを食べたと言うコメントに思わず、自分もこの週末は梅田ですよとコメントしてしまう。見事なのはそのレスで、特に尋ねた訳でも無いのに油そばの店の場所を教えてくれた。感謝である。ここから先は時の運。出張先で会社の人達が氣を利かせて飲みに行こうと言う話になれば流れるだろうし、一人なら場所を教えて行けば良い。







仕事の後、関西地区の責任者に挨拶をすると、「今夜は先約が入っていて本当に申し訳無い」、と挨拶された。それは構わないけど、土地勘が無いので肝心の油そばの店の場所がイマイチよく分からない。iPhone片手に、「この辺りに油そばのお店があると聞いたのですけど」、と尋ねると、「あぁ、それは亀王やな」、と快く途中まで道案内までしてくれた。


そんな有名なお店だったのか


取り敢えず1.5玉で美味しく頂きました、さりげなく東西制覇?



(昔ならためらわずに2玉頼んでいたかと思うと我ながら歳を感じます、足りなくて餃子とライスを追加したのですけど)

2011年6月9日木曜日

意味深

 以前、旧サイトで言及した事があるが、私が履いている革靴はアメリカの某ブランドものだ。履くようになったのは会社の帰り道にウィンドウで見た靴が氣にいったからと言う他愛の無いものだが、それ以来、そこの革靴を愛用している。日本では専門店で修理してもらって履いているぐらいである。

その修理した靴が2足、渡米前にお亡くなりに。何度も修理していたのが原因かもしれないが方や穴が空き、方やNY旅行の前日に帰宅して靴を脱いだら底が抜けてしまった。

タイミング的にはこれほど象徴的な事も無い。だからと言う訳では無いが、今回の旅行のミッションの一つには靴の買い物もあった。タイトなスケジュールの中、嫁さんと別行動で行き付けのお店に寄った。

店内をざっと見て回り、欲しい靴を決め、足のサイズを測ってもらい靴を買う。アシストしてくれたのは私より氣持ち年上のアジア系の男性で軽く雑談をしつつ、最後は握手をして店を出た。翌日、スーツケースに荷物を詰めていると見慣れぬレシートが。レシートを買い物バッグに入れるのはよくある事だが、私のものでは無い。何だろうと思って裏を見ると男性の名前と電話番号のメモが。


・・・そう言う意味だろうか?


そう言えば妻子がいるとは言わなかったしなぁー

(ゲイに人氣がありそうと嫁さん他に指摘された事はあるのですが実際にモーションをかけられたのは初めてかもしれません)

2011年6月5日日曜日

想定外

 2008年の夏に帰任となって以来、NYへ戻る機会は4回あった。3度は他流儀の師のセミナー、1度は出張である。今回の旅はどれにも該当しない家族旅行。昨年、子供が生まれた際、NYの合氣道の師を始め、先輩や友人達など様々な方々からお祝いを頂いたので挨拶を兼ねて訪れる事にした次第。仕事的には新サービス開始の直後であり、限り無く刺されんばかりの勢いだったが、決行した者勝ちである。

とは言え、かなり本業が忙しかったので今回の旅行は子供のパスポート申請を始め、バシネットを含めたフライトの席の手配、お土産その他、全て嫁さんに任せきりだった。嫁さんの手配が無ければ、これほどスムースにはいかなかっただろう。深く感謝である。

最大の懸念事項は13時間と言う東京-NY間のフライトだった。子供は1歳で高速ハイハイ真っ盛り。飛行機の中で大人しくしている訳が無い。飛行機に乗る直前までターミナルのキッズルームで子供を遊ばせて少しでも体力を消耗させる事にした。

結果的には子供が寝ていたのは4、5時間と言ったところだろうか。東京-NY間のフライトで映画も観ず、音楽も聞かず、機内誌を読まなければパソコンにも触れなかったのは初めてかもしれない。ハイハイする子供を追いながら延々と機内を移動し、こんなに様々なCAと話したのも初めての事だった。

この先はこの日の出来事に直結するのだが、友人宅に到着し、40分ほど仮眠を取らせてもらって合氣道の稽古に赴き、稽古後は師や仲間と飲んで夜中近い帰宅となった。サイトを更新し、満ち足りた氣分で布団に入ったのが午前1時頃だったろうか。


1時間後に子供に起こされ朝まで


フライトの事ばかり心配して子供の時差ぼけを全く考慮していませんでした

(お陰様で無事に帰国しましたが、今宵、子供が何時に起きるのかは考えないようにしています)

2011年6月2日木曜日

濃密な時間

 一週間の滞在で訪れているNYも残り時間いよいよわずか。毎日がかなり密度の濃い時間でデジカメの写真を見返すと、昨日の事も遠い昔の事のように感じられる。子供を連れての海外旅行と言う未知の体験をクリア、これでまた経験値が上がった。

想定外だったのは時間。こればかりはどうにもならない。睡眠時間を可能な限り削っているがやはり限界があり、時々、プッツリとスイッチが切れる。


たった今のように


文章の途中で意識を失って40分ほど経っていたような・・・


(遊ぶ事に関しては妥協はしません)

2011年5月28日土曜日

古巣

 NYに戻って来た。前日まで追い立てられるように仕事をし、睡眠時間はわずか。朝の5時に起き、寝たままの子供を連れて夫婦共々バスに乗り空港へ。13時間近いフライトを経て、一年ぶりに馴れ親しんだ土地に舞い戻る。

NY。

10年住んだ街だ。ここに戻ってこの街の空氣に触れないと身体の中で軸がぶれてしまう。空港で今回、居候させてもらう友人夫妻に迎えに来てもらい、まずは一呼吸。夜はマンハッタンの道場へと向かった。金曜の夜は上級者稽古。時差ぼけでどれだけ頭がクラクラしようと、これに出ないで私のNYは始まらない。

稽古はとんでもない賑わいぶりだった。聞くと皆、私が一年ぶりに参加するとの事で顔を出してくれたらしい。そんな全員と組んで稽古をする事が出来なかったのが心残りと言えば心残りである、稽古後のディナーはいつもの行き付けの場所。先輩が手配してくれていたのは知っていたが師が夫婦で参加されるのは知らなかった。


感動


稽古をして酒を飲んで、送ってもらって帰宅。この充足感は何にも変えられません。

 手に身に覚えのない痣があるのもお約束と言う事で

2011年5月24日火曜日

近況

 過去ログをチェックすると久しく書いていなかった事に氣付く。帰国してから生活がかなり変わり、稽古の量からサイトの更新までその影響を被っている訳だが、別に存在を忘れている訳では無い。日々、様々なイベントがあり、スケジュール表は程よく予定で一杯だ。お陰で時間が経つのも早く、セミプロの友人に合氣道の稽古を付けてもらったのもずいぶんと前の事だと感じつつ、2週間前である。

その間の事は適宜Twitterで呟いていた訳だが、端的に言うと、会社で昨年から関わっていた新規プロジェクトがついに正式に始まる事になり、プロモーションを担当している身としては右へ左へと走りまわっていた次第。柄にも無くじゃぱにーずさらりーまんのような立ち振舞いをしていたのである。本来なら昨年秋から始まるはずが肩透かしを喰らい、諸々の事情を経て今回開始。サービス開始前日、私はプロモーション会場の設営で終電を逃したのだが、聞けば本社にいたグループも全員午前様。一人は最初から泊まる前提で来ていたらしい。

そんな訳で先週はプロモーション会場で結構な時間を過ごした。実際のサービス以上にその場の空氣とダイナミックスを味わう事は大切だろうと思ったのである。社内、社外、お客さん、数えきれないほどの人達と話せたのでは考える。会場でのアテンドはチームのメンバーのシフトを組んで対応。ドタバタしていた。

そんな中、印象に残ったのが同僚のコメント、「昔、赴任してきた時は"アメリカの人なんだな"と言う印象だったけど最近はすっかり馴染んでいますよ」。うーんと首を捻りたくなる所に若い社員からも、「昔、初めて仕事でご一緒した時、何かの言動で"あ、向うの人なんだなー"って思ったのですけど、最近は全然無いですね」との追い打ちが。



全く心外であります

どうもじゃぱにーずさらりーまんのウィルスに最近汚染されたようで対応に四苦八苦しています

(部下を置いてでも帰る、これこそがアメリカ式スタイルだったのに)

2011年5月15日日曜日

Star Wars DVDカバー

 今更と言う声もあるかもしれないが、Twitterで教えてもらったニュース。今年9月発売予定のStar Wars、ブルーレイ版のカバーイメージが発表されたらしい。










泣ける


特にComplete SetでAnakinとLukeが一緒に写っている絵はグッと来ます


(そんな訳で9月が楽しみです、予約はしていませんが)

2011年5月6日金曜日

チューバッカ

NY時代のアメリカ人の同僚からメールが届いた。件名は、「お前の犬かい?」。添付されていたのはこんな写真。


素敵過ぎる

誰の犬だか知りませんが、持ち主のセンスの素晴らしさに脱帽です

ちなみに昔はこんな形で本物と写真を撮る機会がありました。6年前と言う事実に呆然


2011年5月3日火曜日

一年

 君に出会って一年。カレンダーには印を付けていたのだけど、一年と思うと改めてびっくりだ。この日を迎えるまで現実味が無かったのかもしれない。前日まで嫁さんと映画館に行っていた事、病院の待合室で嫁さんのご家族と待ち続けた事、廊下の向こうから泣き声が聞こえてきた事、一つ一つが今、振り返るとフラッシュバックのように蘇る。

GWだった事もあり、病院にはずいぶんと通ったし、仕事の後に嫁さんの実家にもずいぶんと頻繁に通った。私が久しぶりの一人暮らしをしても問題無いようにと嫁さんが大量におかずを作って冷凍してくれていたのに、蓋を開ければ嫁さんの実家でずっとご馳走になっていた。目も見えず、首も据わらず、ミルクとオシメがエンドレス。それが今や、伝え歩きをして、大人が食べるものを食べたがり、色々と自己主張。いつの間にと思うけれど、朝、起きた時に君が全身から発散させるエネルギーと楽しさはまるで見飽きる事が無い。

生まれて来てくれてありがとう。色々と頭をよぎる事はあるのだけど、シンプルにまとめればこれかな。

そして誕生日おめでとう。

これからも数えきれないぐらい、家族で楽しい経験を積んで人生を歩んで行けたらと思う。バトンは君の手にあるのだから。









(今回の話に特にオチはありません・・・子供を寝かしつけていたら一緒に落ちてしまって氣が付いたらこんな時間だったと言うのはここだけの話)

2011年4月27日水曜日

 誰にも邪魔される事無く、好きなだけ寝る。最後にこんな事があったのはいつだったろうか。NYにいた頃は週末、起きたら午後だったなんて事は珍しくなかったが、今となっては遠い昔の事だ。平日は目覚ましが、週末は子供が私を起こす。子供が比較的遅い時間まで寝ている事を幸運と思うべきかもしれない。

日曜日は沖縄古流の他流儀の稽古だった。先生とはミクシィで既に長い付き合い。先月、一般公開セミナーがあり参加して初めて挨拶をして稽古する事が出来た。その数日後に震災が起きたので既にあれも遠い昔の事に感じられる。

その先生がまた東京に寄ると言う情報を入手、稽古会に参加させてもらえる事になった。一般公開のセミナーは万人向けに柔らかい系の技をやったが、今度のは普通の生徒向けとの事。午後に稽古で夜は懇親会との事で楽しみにしていた。で、直前になってフライトの関係で稽古が早朝に。

正確には9時からなので早朝では無いが、家からの距離を考えると平日の通勤時よりも早い電車に乗らなくてはならない。平日のようにまだ寝ている妻子を残して家を後にした。

稽古は2時間半程度だったろうか。非常に充実していた。立ち方から始り、押し合い、投げ合い、型に約束組手と盛りだくさんだった。少人数だった事もあってか先生に何度も技をかけてもらえる
幸運もあった。なるほど、この稽古法は古く、そして合理的だ。一人で練る稽古の他、対人稽古もきちんと積めばきっと立ち方や姿勢が変わり、色々な変化が生じるのは分かった。短い時間で消化するには多過ぎるぐらいのカリキュラム、汗を流しながら稽古をしているとあっと言う間に終了となった。

稽古後は近所の定食屋でランチ。感想を問われたので、とても合理的だと思う旨、伝えると驚かれた。これは今後も時間を作ってぜひ稽古をしたいもの。合氣道他、また色々と兼ね合いが悩む所だが、機会が目の前に訪れたら手にするしかない。色々と必要に応じて調整しよう。

そんな充実した時間の後は家族の元へ。朝が早かった代わりに家族と過ごす時間がきちんとあるのは嬉しい。充実した稽古に家族との時間、実に満ち足りた日曜日だった。


筋肉痛と疲労感がとんでもないですが


稽古の最中は平氣だったのですが、帰り道辺りから全身がうずきだし今に到ります。

(この感触も懐かしいのですが、まさかここまで身体がなまっているとは不覚です)

2011年4月19日火曜日

師匠

 久しぶりに合氣道関係の友人と飲む機会があり、色々と盛り上がったのだがその内の話題の一つが師匠だった。武道を志す者にとって師の存在は避けては通れないものだ。師を持たないで一定以上のレベルに達するのは至難の業だと言って良い。武道の場に限らず、ビジネスの場における上司、様々な状況におけるメンターなど、教え導いてくれる存在としての師と言うのが話題の一つだった。

これが最初から最後まで一人の師の下で一つの武芸を学んできたと言うのであれば話は単純だ。が、友人も私も合氣道に限っても複数の師に学んでいる。私の場合、合氣道の師匠と言えばニューヨークで10年間お世話になった方だが、学生時代に基盤を築いてくれた先生は他に2名いる。片や先生、片や師匠、この違いは何なのか。

私が思うに師匠と呼ぶのはその人の教えが自身のコアとなる価値観にまで影響を及ぼすような人の事だ。そこには必然的に畏敬の念が生ずる。以前にも話題にした事だが、私の場合、師と呼ぶ人は3名。大学時代に私の武芸に対する考え方を根底から覆した中国武術の師、NY時代の合氣道の師、そして帰国する前に不思議な形で縁の出来た他武芸の師だ。他にも高校時代に初めて道場の扉をくぐり、蟷螂拳を教えてくれた街道場の先生や、アメリカ時代の数年間学んでいたJKDの先生もいらっしゃる。これに様々なセミナーで教えて頂いた回数を足したら収拾がつかないだろう。

あるレベルから先について師を持つ事の重要性は自身の基軸となる技や哲学に関わって来るのかなとも思った。自分はどの武芸の門人なのかと言う自覚と言っても良い。これが無いと技や流儀のコレクションになってしまい、コレクションとしての価値はともかく技の深さを体得するのは難しい。残念ながらこのようなコレクターの人達にも数多く会ってきた。

難しいのは友人のケースにせよ私のケースにせよ、コアとなる武芸のレベルを上げる為に他の武芸を研究する事は多々あると言う事。それが推奨されている事かと言うとまた難しい所だが、少なくても一つの道場で一つの価値観で純粋培養されるよりは良いかなと個人的には考える。先生との縁、相性、自身の時間や能力など、武芸を学んで行く過程で様々な要素が影響してくるし、何と言っても世界は広い。価値観も当然多様である。

友人は自身の合氣道の位置付けで色々と考える所がある様子。他の流儀に接する機会がある中で師匠と言うキーワードが氣になっている様子だった。私は基本が雑食。そしてこの話題は、こうして素面になってから考えなおしても「これが正解」と言う答えは無い。強いて言えば、私の場合、「天命に沿って歩む者は必要な時に必要な師に出会う」、と言う言葉を信条としている事か。これまで歩んできた自身の人生を振り返ってそう思う。



出展はマンガですけど


私が高校生の頃に読んでいた「拳児」で台湾の蘇崑崙が主人公に言うセリフでした

(そう言えばNYで蘇崑崙のモデルとなった先生の道場に行って稽古した事があったなぁーとここまで来て思い出したり)




(もし良ければ下のリアクションの「いいね!」をクリックして下さい)

2011年4月11日月曜日

もうすぐ一年

今朝方、子供を着替えさせながら、もしかして息子の方が父親よりも服が多いのではと言う事実に氣が付いてびっくり。嫁さんにその事を指摘すると、「だって彼は可愛いから色々といただいているじゃない」、とのコメント。うーん、私にはチャームが足りないと?

そんな彼は軽く風邪氣味で鼻水が出ている。これをティッシュで拭こうとすると泣くだけでなく、強硬な抵抗にあう。前回、風邪を引いていた時はもっと簡単に抑えて鼻を拭けたのだが、今は身体をよじる、人の手を掴んで払いのける、何でもありである。その代わり、親の服に顔をこすり付けて鼻を拭くのは好き。お陰で抱っこする度に服には子供の鼻水が。ただでさえ服が少ないのに。

子供が産まれたのは昨年の5月。もうすぐ一歳だと思うと信じられない思い。何だか色々な事があったような、無かったような。ここ数日、伝え歩きを横向きにするようになったので歩くのもそう遠く無いかもしれない。彼のマイブームの一つは本。本棚の本を片っ端から取り出して、ブックカバーや表紙を外して散乱させる事だ。片付けると嬉しそうにやって来てまた散らかす。我が家のシヴァ神である。ただ週末、観察していたら本の中身をめくっている様子。定期的にめくる本を決まっており、一つはビジネス書、もう一つは「働きマン」シリーズ。両方共、嫁さんの持ち物だ。


お前には少し早いのではないかい?


何が面白いのだろうと思いつつ、絵本の読み聞かせも楽しんでいるようです


(ちなみに彼が触れた大人の本は漏れなく、古本屋にも持っていけない状態になる運命に)

(内容が良ければぜひ下のリアクションボタンの「いいね」にチェッ クを入れてみて下さい)

2011年4月7日木曜日

続 情報リテラシー

 少し前に水とヨウ素について言及した投稿は意外とヒットがあり、時事ネタだった事もあってかこのブログの規模にしては検索して辿り着いた人も多かったようである。原発と放射能に関しては色々な人々が色々な事を言うのでなかなか複雑だが、私自身としては極力複数のソースに当たりながら、自分で判断するしか無いと考えている。日本のどこに住んでいるのか、子供がいるのか否か、様々な条件によって判断は異なるだろう。安全なのか、安全でないのか、日本政府や東電の発表はお世辞にも分り易いとは言い難い。

震災直後と比べると手元に届く混乱ネタもずいぶんと減った感があるが、数日前に知り合い経由で低線量率放射線療法の権威が発表する衝撃の事実がまわってきた時は本氣なのか笑いが取りたかったのか判断に苦しんだ。後者だと思いたい。

これは極端な例だとしても2日前には放射性物質の拡散についてMLがまわって来たし、色々と皆さん思う所があるのだろう。風向きによっては用の無い人は外出を控えるようにとアドバイスがあった。MLで転送を禁じて情報の是非については各自の判断に任せると書かれていたのは前回、ヨウ素の話が来た時に私が噛みついたからかと思わなくもない。

この話も既に収束に向かいつつあるかと思うが、事の出だしは4月2日の朝日の放射性物質予測、公表自粛を 気象学会要請に戸惑う会員の記事では無いかと思う。4日になって読売の日本で公表されない気象庁の放射性物質拡散予測が掲載され、そこで「ドイツやノルウェーなど欧州の一部の国の気象機関は日本の気象庁などの観測データに基づいて独自に予測し、放射性物質が拡散する様子を連日、天気予報サイトで公開している」と書かれた事が一氣に読み手の不安を煽ったのでは無いだろうか。文脈的に日本政府や東電が何かを隠しているのではと推測したくなるのも無理は無い。

で、ネットの一部で政府の陰謀論が声高に叫ばれる中、6日には放射性物質拡散予測、またはシミュレーションの解釈を間違えるとデマのもとのような投稿があり、ドイツ気象局 (DWD)による粒子分布シミュレーションの日本語訳、も出て来て、なるほどそう言う事かとソフトランディング。読売でも指示されて…気象庁、ようやく拡散予測を公開と記事が載っていた。例によって、それぞれが個人の責任で判断して行くしか無いのだろうなと改めて思った次第。


そんな訳でMLは無視


最近、解除したいなと思いつつ、人付き合いのしがらみもあって行動に移せないのが悩み所です

関連情報として面白かった記事には発生から2日後に発覚したチェルノブイリ原発事故なんてものがありました。

2011年4月4日月曜日

アート

 オリジナルがどこだったか記憶が曖昧なのだが、2001年の同時多発テロの後、アメコミのヒーロー達が現場に駆け付ける作品があった。以前、アメリカの書店で偶然見つけ、立ち読みをした程度なのでどんな話だったのか覚えていないのだが、崩壊したツインタワーを前に呆然自失するスパイダーマンの絵は印象に残っている。





そんな中、偶然、見付けた絵はこちら。元のリンクではこれが絵葉書でその売上が義援金になっているとの事だったが何故かアクセスが上手く行かなかった。でも氣持ちは伝わって来る。クライストチャーチの地震と日本の津波被害に対して支援を求める帝国軍、ストームトルーパー達のポスター。






頑張れ








ニュージランドのクライストチャーチでの地震が既に遠い昔の事のように感じられる事に驚きを禁じ得ません



(リアクションボタンを追加してみました。内容が良ければぜひ「いいね」にチェックを入れてみて下さい)

2011年4月1日金曜日

ライバル心

 先週、世間が東京都内の水道水のヨウ素で盛り上がった日に大学時代の他校の合氣道部の友人からメールがあった。内容は水の件、どうするのかと言うストレートなもの。自宅の水道水がどの浄水場から来ているのか確認してやっていくしかあるまいと応えた。そう言えば彼の所はヨウ素の数値が高いエリアだったかと思って尋ねるとそうではないとの答え。妻子は既に西に避難させているとの事だった。子供は私の所より3ヵ月ぐらい下だったと記憶している。

彼と私は共に同じ代で大学の合氣道部の主将を務めていた。合同稽古や出稽古で交流があった他に、かなり武芸に関して熱意があったと言う所でも共通項があった。何度か話題にしたような記憶もあるが、稽古と飲み会の後に、お互いの技の発見を試そうと言う事で小さな公園で組手を始め、そこで二人の時間を過ごしていたカップルを退散させてしまった過去や、私の渡米前の壮行会で他のメンバー共に盛り上がりチーマー狩に行きそうになった過去がある。

昨年、彼の所に子供が生まれてから会っていなかったので簡単な近況交換をしていると、まだ座り始めたばかりの息子とペットボトルを使ってチャンバラをしている写真が送られてきた。何と言う英才教育。さすが大きくなったら決闘させようと言ってくるだけある。私の所はどうなのかと問われて、鍛練法を公開する訳にはいかないと返した。そして昨夜、ツイッターでも呟いたように帰宅したら私のパンチミットと竹刀が部屋に転がっていた。嫁さんが子供と遊んでいたらしい。具体的に何をして遊んでいたのか分らないが、そんな事を一週間ぶりに友人宛てに連絡した。即レス。


 ((((;゜Д゜))))ガクガクブルブル


取り敢えず一勝か、情報戦から

(お陰様で子供は今日も元氣です)

2011年3月31日木曜日

計画

 今、関わっている仕事が一段落したらまた海外に出たいなと考えている。考えてみると最後に飛行機に乗ってから既に一年、いい加減、日本の外の空氣が吸いたい今日この頃。そんな話を同僚にしたら、もう帰って来ないつもりですかみたいな誤解を受けたが、旅行である。震災以来、嫁さんと私の知り合いの範疇ではNY、マイアミ、フランス、ドイツ、台湾から家族で避難しておいでとのオファーを受けているが当面はまだエクソダスは考えていない。とは言え、子供のパスポートは取らないといけないので、その手続きは進めなくてはいけない。

考えている行き先はNY。昨年、子供が生まれた時に合氣道の師を始め、先輩や稽古仲間から様々なお祝いを頂いているので、皆に挨拶が出来たらと考えている。季節的に他流儀の師のセミナーと重なりそうなのだが、今回は家族旅行なので時期もずらしてセミナーは欠席。NYは嫁さんも住んでいた街だから特に困らないだろうが、家族旅行の途中で私が武道セミナー通訳として出かけて丸2日間留守にしたら、私自身が帰る場所を無くしてしまうのは火を見るより明らかである。

難点は休暇か。直属の上司には既に話を通し済みだが、問題が一つ。私が昨年の秋から関わっている社内の新規プロジェクトがあるのだが、それの開始が遅れに遅れ、今度こそはと思っては肩透かしを喰らうような状態が続いている事。責任者は昨年、共に出張に行ったスーパー理詰めのおエライさん。何度目の正直か、今度の予定は堅そうだが、実際はその瞬間まで分らない。とは言え、様子を見ていたらいつになるのか分らないので旅行は決行するつもり。一応、既に上司には話を通してある旨、述べておエライさんにも休暇予定を一報した。回答は「状況が流動的だが、上司が良いと言うなら考えがあるのだろう」と言うもの。


突き放されたか


空氣を読んでばかりいるのは柄じゃないので計画を進める予定

 (このご時世、流動的なのは仕事の状況だけではないですから)

2011年3月28日月曜日

飲み

 NY時代の上司が出張で日本を訪れると言う事で2009年に帰任した他部署の同僚に仕切ってもらう形で飲みに行った。香港と東京が出張先、本社での打ち合わせは今日と明日の二日間である。当初の予定では出張で立ち寄るので歓迎会の類は固辞、だから時間も作れるはずとの話だったが、氣が付けばおエライさん達に拉致される事になってしまい、それならばと日曜の夜に集う事にした。

上司と最後に会ったのは昨年3月に私がアメリカに出張した時以来か。10年間、共に働いた仲、上司の滞米期間は既に15年になっている。他部署の同僚の滞米期間は2~3年か。彼が赴任して来た頃の事は昔サイトでネタにしたのではないかと思う。どんな事を書いたのかは記憶が曖昧だけど。

他にもNY組には声をかけていたのだが揃ったのはこの3人。コテコテの居酒屋が良いと言う上司の希望でその辺りの店に。集まった時間が早かったせいか一次会が終わって9時前。ならばと二次会まで行き、氣が付けば11時をまわってから駅に向かって3人で歩いていた。新宿駅の改札で切符を買いに行く上司の姿を待ちながら同僚と雑談していると上司の姿が消えていた。10メートルも離れていない距離にいたのにどこへ行ったのか。同僚が上司の携帯にかけるものの繋がらない。ほんの一瞬、目を離した隙に元上司の姿はいなくなっていた。しばし同僚とどうしたものかと目を合せ、肩をすくめる。


まあ、いいか


大人だしホテルまで勝手に帰れるだろうと言う事で同僚とも解散

(そんな上司とは自分の電車乗り場へと歩いている最中に再会しました、何たる偶然)

2011年3月25日金曜日

情報リテラシー

(4/6:リンクを一つ追加しました)

今回の震災に関して言うと私の主な情報源はNHK、BBC、NYタイムズ、ネット上の新聞記事、そしてTwitterだ(順不同)。情報は玉石混淆で日々、どの情報を信頼してどう判断するか試されている感が無くもない。

デマや一定の情報を元に注意を促すような(正確には不安を煽るような)メールも届く。基本的に私は拡散しない派なので前者なら指摘するし、後者なら適当に流すのだが、昨夜、ヨウ素のメールがメーリングリストで届いた時は固まった。内容は厚生労働省が3月17日に飲料水の放射線摂取制限を緩和した、緩和された基準値は世界のそれと比べると酷い、メディアはこの事を報じていない、緩和された直後からヨウ素のニュースが各地の浄水場から届くのはタイミングが良過ぎないか、と言ったもの。こんな情報も合わせて載っていた。

世界の水道水放射線基準値 

●世界の基準値 
WHO基準      1ベクレル(Bq/L) 
ドイツガス水道協会 0.5ベクレル(Bq/L) 
アメリカの法令基準 0.111ベクレル(Bq/L) 

●3/17までの日本の基準値 
ヨウ素 I-131 10ベクレル(Bq/L)  
セシウムCs-137 10ベクレル(Bq/L ) 
出典は下記です。203-204ページ、表9-3参照 
http://whqlibdoc.who.int/publications/2004/9241546387_jpn.pdf 

●3/17以降・現在の日本の暫定基準値 
・ヨウ素(I-131)131  300ベクレル(Bq/L) 
飲料水 300 Bq/kg 

(実際のメールには他にも情報が掲載されているのだが、ここでは割愛)

子供は10ヵ月、ヨウ素の話は神経質にならざるを得ないニュースだ。幸い我が家はヨウ素が発見された地域には該当せず(3月25日の段階では)、我が家に届く水の浄水場の数値も普通と嫁さんが調査済みだったが、こんなメールが届けば心中穏やかではいられない。この話が本当なら日本のメディアが報じないと言うのは100歩譲るとして欧米のメディアは自国民を守らなくてはいけないから絶対に騒ぐだろう。ソースは何だろうかと調べてみた。

このサイトの指示に従い、「水道水放射線基準値」、をGoogleで検索。リアルタイムで発生時期を調べると23日を境に急激に話題になっていた。更に探って行くとここが発生源では無いだろうかと言う事が分かった。

次にWHOである。サイトをチェックすると24日に更新された日本での水の状況についてがあった。英語の内容だが、簡単に言えばヨウ素131の基準(大人300ベクレル、乳児100ベクレル)は緊急時用として設定されている数値であるが、胸部レントゲン写真一回分の放射線量に該当。通常時の基準値である10ベクレルはNY-ロンドン間のフライトでさらされる放射能の量に匹敵するが、これは緊急時に参考データとするべきでは無い。IAEAが介入するレベルは3000ベクレル。
(→4/6追加WHOの発表の正式な日本語訳はこちら


なるほど。


見るとメールに添付されていた出典のページは間違っていたし(203-204ページに該当データが載っていたのは和訳版では無く英語のオリジナル、和訳は230-231ページだった)、色々とツッコミ所のある内容だった。そんな経緯もあり、朝からいつもなら読むだけのメーリングリストに柄にも無くレスを書いた。

それだけの話だが、一つ自分の中で発見だったのは何故この話題に激しく反応したのかと言う事。やはり対象が自分の子供だったからだろう。自分一人の話だったら大して氣にもしない事が妻子が関わって来るとまるで違うのだなと言うのは発見だった。これからも情報は極力ソースを確認して当たっていく事にしよう。


ちなみにWHOのソースを調べたのは全て嫁さんです


朝、出かけにメールの内容を渡したら会社に到着するまでにソースサイトを一通りチェック、感謝です


(とは言え、子供のパスポートも申請するかと考えている今日この頃)

2011年3月23日水曜日

問い合わせ

 Twitterでも軽く呟いたが週末にFacebookを通して私の古巣であるNYの道場について質問が来た。趣旨は合氣道を始めようと思っているが、他の流派と何が違うのかと言うもの。見ると共通の知り合いに道場の稽古仲間が1名。何故、既に帰国してFacebook上の道場ページでも責任者として記載されていない私に質問が来るのだろうと思いつつ、簡単に回答した。

そして今日、先方から回答と共に別な質問があった。これから大学なのだが合氣道を学ぶ事でより良い学生になったかと質問だった。私がプロフィール上に大学のOB稽古の写真を載せていたのを見たのかもしれない。勉学か、これは難しい。私が学生の本分が勉強である事を実感したのは大学生になってからだが、それと合氣道は直接関係は無い。ただし合氣道を学ぶ事でよりまともな人間になったのは間違い無い。先輩、同学年の仲間、後輩、様々な人々との出会いが私に影響を及ぼしたし、何よりも合氣道の「争わざるの理」の考え方は社会に出て、渡米してからも大いに役立った。

もちろんその範疇に収まりきらないものが私の中にあるからこそ、昔も今も他の武芸に関わっていると言う事実はあるものの、合氣道を稽古する際に感じる楽しさに偽りは無い。心身の操作と術を磨くと言う意味でも合氣道は進めば進む程、面白い。問合せに対してはこんな後半の事は書かず、単純に自分にとってポジティブな影響があった事、社会に出てから仕事などの実践の場で役に立った事を答えた。ここから先は追加で質問が来ない限り、彼次第だろう。後で道場の幹部にでも近く体験参加があるかもしれない旨、連絡しておこう。最後にNYの道場を訪れたのはちょうど一年前の出張の時。こんな形でまた関わるとは意外である。


まぁ道場サイトのトップで投げられているのはまだ私ですが


プロのカメラマンの友人がサイト用に撮影をしたのですが、あれは何年前の事か・・・

2011年3月22日火曜日

近所付き合い

 震災から一週間半、海外の友人達の心配メールもそろそろ一段落と言う所だ。嫁さんの所には台湾とアメリカのマイアミからはそれぞれ「家族3人なら普通に過ごせるからいつでも来なさい」とオファーもあったらしい。東京は大きな被害にあってはいないと言う事を何度英語で書いた事か。色々と予断の許さない状況ではあるが、私の住むエリアと通勤圏内では計画停電とそれにまつわる電車の本数制限や、スーパーの空の棚がむしろ面倒と言うぐらい。

場所によって状況は異なるようだが、我が家の近くで言うと近所のスーパーやコンビニで全滅しているのはミルク、トイレットペーパー、ティッシュ、ラーメン・焼きそばの類、オシメその他と言った所だろうか。供給が追い付いていないのか、何なのか。他の物は普通にあるのに、そのコーナーだけ空となっているのは妙な感じである。震災直後の週末、駅前を始め近所のスーパーを4店まわって、子供用のオシメが見つからなかった時は本当に驚いた。その後、平日の仕事帰りに偶然買う事が出来て本当に感謝である。

しばらくすれば供給が始まるだろうと思いながら日々を過ごしていたのが牛乳。帰りにスーパーを覗いても棚は空っぽのままだ。無くなっても不便なだけで、生活の根幹が揺るがされると言う訳では無いが、ちょっと困っていた。そんな週末、家の近くのパン屋にブランチ用のパンを買いに行った。ジュースは売っているが牛乳は無い。店長と挨拶して、雑談する過程で、「ここも牛乳は無いのですね」、と言った所、「実はね」、との答え。店頭に出さずに知り合いに用に取っておいたと言う牛乳を一本分けてもらった。


近所付き合いって大切ですね


これで取り敢えず一週間強は何とかなる見込み

2011年3月18日金曜日

買い占めするならカネ送れ

追記:コメント欄で情報を頂きましたが、YouTubeの動画は既に削除されてしまったようなので、ニコニコ動画へのリンクが載っているこちらをご紹介します


Twitterでも呟いたが、こんな動画を見つけた。元はこちららしい。








噴いた

ドイツ語が実際に何を言っているかはともかく、この字幕とメッセージは実に素晴らしい出来です

 (色々と更新するタイミングを逸していたのですが、まずはこの辺りから)

2011年3月9日水曜日

家族の形

 昨日、Twitterでも少し呟いたのだが、この「イクメン」どころの騒ぎじゃない時代が来ますの日記が私個人としては色々とツボだった。内容は日本国内の消費市場が縮小するにつれ、今後、企業はより海外に出て行くだろうし、それに伴い海外赴任のスタイルも変わっていくのではないかと言うもの。数年程度の特別待遇的な駐在からもっと海外で腰を落ち着けた長期滞在型に変わり、それに伴い、結婚生活や子育てのスタイルも変わっていくのではとの内容である。

日記では10年後と言う話だったが、これは我が家に結構当てはまる。私は3、4年と言う話でNY赴任が決まり、結果的に10年過ごす事になった。これは私が帰国を望まなかったからで、強制的に帰任命令が出なかったら今も向こうで稽古三昧にマイペースに暮らしている可能性は高い。嫁さんとはNYで出会ったが、付き会っている間も結婚後も主に日本-アメリカ間の遠距離だった。嫁さんの仕事は海外営業だったのと、彼女の上司が理解のある人でヨーロッパに出張後、NYに立ち寄らせてくれたりと色々とウルトラCな便宜を図ってくれたので年に数回会いながら、過ごしていた次第。とは言え、いずれは子供も欲しい、結婚してから一緒に暮らす手段は無いものかと模索していたら私が帰国する破目になり丸く納まった。

ただNY時代に思いを馳せると1年弱の短期とは言え、大学の合氣道の仲間と後輩の女性がそれぞれ赴任していた事はあったし、他の友人でも奥さんの仕事との関係でアメリカ国内で別居婚や、時には片方が海外赴任と言うケースも見て来た。NYで初めて出会った嫁さんの友人夫婦は現在、香港で生活していたりする。

結局の所、それぞれの育ちや暮らしの中で自分が置かれている状況を基準として物を見るので、私からすればリンク先の日記の内容は10年後の世界では無く、むしろ今、この瞬間の話に感じる。でもTwitterで人々の感想を追うと、「考えられない」、と言うコメントもありなかなか興味深い。日記はイクメンのあり方にも言及されているが、夫婦共働きだったら嫁さんが海外赴任、旦那と子供がそれにどう対応するかと言う事も充分にあり得る。我が家に置き換えて考えるとシンプル。


嫁さんへのオファーが良ければあまり迷わず付いて行くかと


行き先にもよりますが、面白そうだし、子供も世界を肌で実感した方がずっと良いはず

(そんな私もまた機会があれば海外に出て行きたいところです)

2011年3月7日月曜日

出会いと稽古

 私がインターネットで自ら情報発信をするようになったのは武道への思いを誰かと共有したいと言う氣持ちがあったからだが、そのお陰で今でも多数の方々と流儀に関係無く親しくさせて頂いている。こちらの方はその中でも最も古い付き合いだと言っても良い。初期の頃は武道系のサイトに投稿し、その後、自分でサイトを持ち、依然として続けているのだから我ながら懲りないものである。最近だと初めてお会いしたのはこちらの方か。縁とは面白いものである。

その後、ネット環境も変化しMixiやTwitter、そしてFacebookと色々と広がっているが、そんな中でも一人、機会があればずっとお会いしたいと思っていた方がいた。文章に触れたのはNY時代、Mixiで。日記を読んですぐに、あまりメインストリームに出て来ない本物の伝承者の人だろうと氣が付いた。言葉の節々にそのような人特有の空氣を感じたと言えば良いのだろうか。そんな方が東京に出て来て講習会をすると聞いたら予定を調整して参加するのも当然だ。流儀は私が学んでいるものと関係が無いのはご愛敬。

稽古は3時間。間合を主題に立ち方から始り、押し合い、投げ、そして型にその応用と体験出来るよう幅広いメニューだった。どの技でも先生が直に技をかけてくれた他、休憩時間にも更に体感させてもらえたのは非常な刺激となった。ケガをしないよう優しくゆっくりと技をかけてもらったが、身体が技をかけられている事に氣が付かない技法と言うのは非常に危ない。やられているのだが、いつやられているのか身体の反応が追い付かないのである。だから相手がその氣でやれば受身も取れない。普通の速度でかけられたら結構大変な事になるだろう。これだけ古いものが、稽古法と共に今の時代でも残っているのはちょっと感動である。様々な生徒の方々と組んで稽古をさせてもらった。これは面白い。家の事情があって懇親会には出ずに帰宅したのだが、技の一つ一つにワクワク感のある稽古会だった。





本日、筋肉痛なのはお約束


まぁ背中だけなんですが、右手は痣になっているし・・・いつついたのだろう

(手の痣がスーツのシャツ越に見えるのがチャームポイントです)

2011年3月3日木曜日

本棚

 少し前に電子書籍の話をした所、こちらの方が取り上げてくれてスマートフォンから本棚の話になった。確かに内田樹の「街場のメディア論」でも電子書籍の事について言及されており、同じように、電子書籍は本の持つ公的な一面、すなわち本棚としての一面が生かされないのではと書かれていた事を思い出した。

確かに考えてみれば本棚と言うのはその持ち主の個性が色濃く反映される場所である。大学教授の研究室はその典型的な例だろう。誰かの家に遊びに行った時、そこに書棚があればどんな本が並んでいるのか好奇心が刺激されると言うものだ。

そんな私のNY時代の本棚は居間と寝室にそれぞれあった。人が遊びに来た時に目にする居間の本棚には哲学書やビジネス書が日本語、英語とそれぞれ並び、寝室の本棚にはマンガや武道書、そしてスターウォーズの小説がぎっしりと詰まっていたものだ。両方の本棚の存在を知る親しい友人に、「建前と本音が分かり易いよ」、と言われたものである。それも今となっては昔の事、帰国するに当たり、ずいぶんと古本屋に持って行ったり、友人にあげたりした。


今の本棚はアイデンティティ不明です


嫁さんの本と私の本が所狭しと並んでいて何が何だか、あまり本を増やさないようにしているのですけど

(マニアックな武術書は棚の中で我ながら存在を忘れてしまいそうです)

2011年2月28日月曜日

成長

 手元の記録をチェックする度に驚くのだが、子供が初めてつかまり立ちをしたのはまだ一ヶ月前の事。それから間も無くハイハイをするようになり、日々、子供の行動範囲は広がって行った。前にも書いたが、彼の身体機能の発展を見ていると、武道の技と一緒で一度出来るようになれば、それは当たり前となり、出来る事がどんどん増え、世界が広がっているのだろうなと感じる。

今、住んでいる所は両家の両親共にそれほど遠く無い。だからだろう。初孫の新たな達成を知るとそれぞれ遊びに来てくれる。微妙に人見知りをする年頃だった子供も最近はすっかり祖父母の存在に馴れ親しんでいるようだ。最近の大ヒットは名前を呼ぶと笑顔で手を上げる事。分っているのかいないのか、かなりの確率で名前を呼ぶと手を上げる。これが両家共に大ヒットで、定期的に子供の名前が連呼されている。

週末は家族と両親と小旅行、仕事の一部を持ち運ぶ破目になったが久しぶりにのんびりとしていた。特に何をする訳でも無く、ぶらぶらと。週明けにそのツケを払う事になるとは言え、たまにはこのような贅沢な時間も大切だ。そんな中、旅先で子供が階段でつかまり立ちをしているなと思っていたらハイハイで登り出した。


ち ょ っ と 待 て


上の階に母親がいたからだと思うのですが、あまりに予定外で皆、茫然

(何だか子供の中の時間が日に日に早くなっている氣が、振り落とされてしまいそう)

2011年2月23日水曜日

メイキング オブ リトル ベイダー

先日、紹介したアメリカのスーパーボウルで流れたダース・ベイダーを使ったフォルクスワーゲンのCMだが、改めてチェックしてみたら再生回数が3,175万回以上と言う軽く理解を超える回数になっていた。



それはそれとして、もう一つ見つけたのが、こちら。メイキングだ。




制作者の苦労と工夫がしのばれます


締めを見ると本当にメイキングだったのかと勘ぐってしまったり


(こっちの再生回数も186万回以上、少なくともCMへの投資代は回収した事でしょう)

2011年2月21日月曜日

電子書籍

 私が携帯電話に長い事、関心を持っていなかった事は過去に何度も話題にしている事だが、日本の満員列車の苦しみと2年半前の帰国の際、何よりも楽しみにしていたアメリカのテレビシリーズ、「BattleStar Galactica」、が最終シーズンの途中だったと言う苦しみが無かったら私がここまでiPod Touchを重宝している事もあり得なかった。そんな今は会社からiPhoneとGalaxy Sの端末を支給されており、本当、人生、どこで変化が生じるか分らない。

その延長にあるのが電子書籍。正確に言うとアマゾンのKindleアプリである。キンドル自体は友人が持っているのを見た事はあったが特に購買意欲を駆られた事は無かった。では何故アプリかと言えば、例によってStar Warsである。

最新シリーズは「The Fate of the Jedi」と言う。私が大学生の頃に出たThe Thrawn Triologyの頃は各小説が互いの設定を否定するようなバラバラな宇宙観に新刊を買っては失望したものだが、その後、1999年に始まったThe New Jedi Orderシリーズから大河ドラマ的な面白さを備えるようになった。ただ、その後2006年から始まった、「The Legacy of the Force」、シリーズは個人的に微妙な出来。特にメインキャラの一人であるJacen Soloが何故ダークサイドの道を選び、堕ちて行ったのか、その過程の描き方が物足りなかった。

だからと言う訳でも無いのだが、2009年から始まった最新シリーズについては今まで静観していた。理由の一つはハードカバー。高いし、場所を取るので、面白ければ良いが、そうで無い場合のコストパフォーマンスの悪さは耐え難い。が、ある日、本屋に行ったら最初の3作がペーパーバックで出ていた。戯れに一作目だけ買ったが、残りの2冊を買いに戻るのに大して時間はかからなかった。

そして電子書籍。

Outcast」、「Omen」、「Abyss」、と読んでその勢いで続編をと思ったらそこにハードカバーの壁があった。そこで検索してみるとKindle版が出ている。価格は半分以下。買わざるを得ない。

で、これが便利。

最初の頃こそちょっと違和感があったものの、個人的に重宝しているのはセットで付いてくるOxfordの英英辞典。今までだったら軽く読み飛ばしていた単語も軽いタッチで意味がチェック出来る。これは紙の本には無い便利さである。持ち運びの軽さは言うまでも無い。で、氣が付けば「Backlash」、と、「Allies」、を読み終え、次なる目標は昨年11月に刊行されたばかりの新作、「Vortex」、かと言う辺り。


落ち着け、自分


The Facebook Effect」とか読みたい本は他にもあるだろうに、Vortexを読んでしまったら5月の次回作まで待つしかないのだぞ・・・・

(ネットで検索したらこの方の記事ぐらいしか見つからなった訳ですが、日本国内ではほとんど誰も読んでいないのかも・・・)

2011年2月18日金曜日

身体で覚える

 子供がつかまり立ちをしたのは1月の終わり。あれから約2週間半。氣が付けば子供はハイハイするようになり、何事も無かったかのように家中を動きまわれるようになった。初めて本格的なハイハイで部屋の中を移動した時は明らかに本人も驚いている様子だったのに、翌日になればもう当たり前のように行っている。身体で覚えると言うのはこう言う事なのだろう。稽古である日、技が出来るようになるのと似ているかもしれない。出来るその瞬間までは難しいのだが、一回出来てしまえば、昔から当然のように出来ていた氣がするようなものだろうか。

帰宅すると子供はまだ起きていた。部屋でスーツから着替えていると居間の方から音が。廊下を見ると突き当たりの居間の所から子供が顔を出してこっちを見ている。目が合うとニコっと笑い廊下をバタバタと私の方に向かって来た。驚いている内に着替えている部屋の私の足元まで。こんな事は初めてである。


とろけるね


日々、出来る事の範囲が広がっているのが見ていて飽きません

 (私の足元に来た後、そのまま部屋の本棚に直行して本で遊びだしたのはご愛嬌)

2011年2月17日木曜日

マナー

 朝、満員列車に乗ってiPodでサントラを聞きながらStar Warsの新作の電子書籍を読んでいると、どこからともなくオペラの音楽が聞こえてきた。右隣の女性だろうか。私が聞いている音楽を凌駕するような音響で電車内で聞いているとは大したものである。騒々しい曲でないだけマシかと思って手元の本に意識を戻すと左から肩を触れられた。

見ると不機嫌そうな表情の年配サラリーマン男性が盛んに自分の耳に触れるジェスチャーをしている。イヤホンを外し、私の機械から音楽が漏れている訳では無いですよと簡単に説明した。一瞬きょとんとした表情の相手に多分、私の隣では無いですかと告げる。意味が伝わったのだろうか、サラリーマンは憮然とした表情のまま手にしていた紙の本に視線を戻した。そんなやり取りを察したのか、隣の女性はボリュームを下げているようだった。それでも音は相変わらず漏れていたのだけど。

そんな形で始まった一日、何かずっと腑に落ちないなと感じたまま一日が終わろうとしている。


オッサン、一言、私に謝っても良かったのではないかい?


降りる時に何も言わずに突き飛ばす人々は多いし、「日本人は礼儀正しい」、と言うイメージも誤解なのではと思う今日この頃

2011年2月15日火曜日

交流

事の出だしは暁さんに声をかけて頂いた事に始まる。暁さんとは過去に一時帰国した時に合氣道の稽古をしたり、帰国後に打撃主体の稽古会に呼んで頂いたり定期的に声をかけて頂いている。最後に一緒に稽古をしてからしばらく経っていたが、またネット仲間で集って稽古をしようと言う誘いに早速予定表をチェックした。空いていそうだ。

稽古内容は相撲。

相撲か・・・これは敷居が高い。相撲なんて子供の頃に父親と取って以来である。とは言え体育館は4時間取ってあるとの事、きっと他にも稽古内容は広がる事だろう。雪が延々と降る3連休の初日、道着をカバンに入れ家を出た。

特にどのぐらいの人が集まるかは聞いていなかったのだが、蓋を開けてみれば道場には9人、後の飲み会には更に2人加わっての総数11人に。ポニヨさんや、今回、初めて会う機会を得たらかんさんなど賑やかだった。皆、武道のバックグラウンドが異なるのでルールを決めての相撲は怪我をしないで楽しむにはちょうど良い。参加者の半分以上は既婚者だし、私を含め、子供がいる方もいる。盛り上がって暴走するのは避けるに越した事は無い。駅で皆と合流、早速、体育館へと向かった。4年前の一時帰国の際、ここで稽古をしたのだが、その事を指摘されるまですっかり忘れていた。着替えて道場へと足を踏み入れる。

寒い。

足の裏が痛くなるような寒さ。最近の都内の稽古では暖房が効いていたのもあり、すっかり油断していた。ここは外より氣持ち暖かい程度。そんな外は雪が降りしきり、まるで寒稽古である。周りの皆さんは道着の下にシャツなどを着ているが賢明だ。あまりの寒さに思わず靴下をまた履いてしまったが、途中で脱いで稽古を始めた。

稽古の前半は相撲ネタ。小さな土俵でバランスと駆け引きを中心とした練習をしたり、タオルを使った練習をしたり、最後には勝ち抜き戦で4対5に分かれたりして楽しんだ。後半は自由に。私は寝技をやったり、推手をしたり、打撃のスパーをしたり、合氣道の稽古をしたり盛りだくさんだった。なかなか一回の稽古でこれら全てをカバーするのは難しい。私が色々な事に首を突っ込んでいただけと言う話もあるけれど。寒さの関係で汗をかくと言う事は無かったが楽しい時間を過ごす事が出来た。


左足の指が二本、変色していましたけど


何だか痛いなーと思っていたのですが、帰宅してびっくりです

(「前はいつもそんな感じだったよね」、と言う嫁さんの指摘の他、筋肉痛と共に週末は過ごしていました)

2011年2月10日木曜日

スーパーボウル

NYに10年住んでいながらアメフトにはまる事はついに無かった私だが、アメリカ人との話題の際、スーパーボウルぐらいは分かっているに越した事は無い。その年のハーフタイムは誰が歌ったのか、あるいはCMで何が流れたかである。30秒、300万ドルと言う金額は伊達じゃない。

そんな中、この動画はとても面白い。今年のスーパーボウルで流れた61のCMを2分強にまとめたもの。




なかなか


先日、紹介したベイダーや後半になると映画が増えるのも面白いところ


(ついつい一つ一つをチェックしたくなります)

2011年2月9日水曜日

合氣道

 先日、セミプロの友人に誘われて久しぶりに合氣道の自主稽古に参加した。どのぐらい久しぶりかと言うと前回、稽古をしたのがいつだったのか正確に思い出せないぐらい。以前の自分の生活からはまるで考えられない状態だ。あの頃は一時帰国などで一週間、稽古が出来ない状態が続くとそれだけで氣分が悪くなるぐらい身体を定期的に動かすのが当たり前の状態だったが、今となっては昔の話である。

稽古のコンセプトは身体を動かしつつもマニアックに。友人の発見をベースに細かい身体操作を練って行った。人間の身体は細かな感覚の集合体として成立している。よって、接点の圧力を変える事無く身体の内面の方向性を変えると、傍目には自分から倒れてしまっているように見えたり、よく分らないような現象も生じる。身体を動かす事に関してはかかり方を指定しての自由技。NY時代の茶目っ氣を加えたのはそれを座技でもやった辺りか。以前は自身の鍛練も兼ねて若い後輩達とやっていたのだが、やはりしんどい。とは言え良い汗をかく事が出来た。

帰国以来、正式に道場に所属していないので、稽古をするとなると公共の体育館を使う事がほとんどなのだが、個人解放の時間帯に稽古をすると様々な流儀の人達が色々な稽古をしていて面白い。先日も空手、柔道、総合格闘技などのメジャー系はもちろん、大きな集団としてはカポエイラがいて、ここは女性が多い事もあって遠目にもアクロバティックに華やかだった。服装もカジュアルだし、ダンサーの集団のようにも見えるぐらい。もう一つ近くにいたがっしりとした男性の集団で、準備体操は延々と受身を取っていた。


プロレスでした


なるほどねーと思いつつ畳の上で観るプロレスは妙に新鮮でした

(取り敢えず合氣道はカポエイラの華やかさやプロレスの派手さは持ち合わせていない事はよく分りました)

2011年2月7日月曜日

Social Network (ソーシャル・ネットワーク)

土曜日にSocial Networkを観た。元々、特に観ようと思っていた作品ではなかったのだが、仕事柄、SNS的な面にも多少首を突っ込んでいる事もあり観た。結果は二日経った今も映画の事を思うとある種の興奮感が胸の辺りにうずき、関連本を買って読むべきか迷っている状態。私の中ではかなりヒットした映画だった。

物語はFacebookの創立者Mark Zuckerbergがいかにして世界最大規模のSNSを立ち上げたかと言うもの。共同創立者のEduardo Saverin、そしてNapsterのSean Parkerを中心に物語は進む。とにかく会話量が多い映画だが、そこに加えて見事な編集でMarkのキャラを特徴付ける最初の会話のシーンからラストまでぐいぐいと引っ張る。



映画の見方は人それぞれだと思うが、この映画に共鳴出来るか否かは、アメリカ人の若者が持つ起業精神が何となく分かるかどうか、そして後半から役割が大きくなるNapsterのSean Parkerをどう捉えるかによって変わってくるのかと思う。他にもハーバード大学の持つ伝統とエリートの空氣や東海岸の空氣、それに対する西海岸の空氣の違いなども大きいだろう。

個人的にとても面白かったのはMarkのパートナーで共同創立者のEduardoが会社のCFOとして利益を上げる事の重要性を説いたり、ハーバードの学長が「ハーバードの卒業生は就職する側ではなく、仕事を作りだす側である」、と説く辺りがとてもツボだった。日本のトップ大学の卒業生は官僚-就職-起業の順番で社会に出て行くのに対し、アメリカのトップ大学の卒業生は起業-就職-官僚の順で社会に出るそうだが、映画の中のセリフは見事にその事を言っていたと思う。他にも訴訟で負けた事を指摘されたSeanが、「で、君はTower RecordでCD買うの?」、と切り返したり、ニヤッとさせられるやり取りには事欠かない。

いずれにせよ映画はアメリカの学生のパーティー(就職前にハワイの親友宅に居候していた時に誘われて行った事がある)や、NY時代の稽古仲間の持つ空氣(アーティストや手に職系の人がほとんどでさらりーまんは限り無く皆無)、を思い出させてくれて、そのような意味でも面白かった。

ちなみに会社のおエライさんも先日、この映画を観たそうで、飲み会の席で一緒になった時にFacebookについて色々と質問された。社内でFacebookをやっている人は少ないし、説明するのはやぶさかでは無い。質問に一つ一つ応えた。


とんでもなく時間がかかりました


SNSのネットワークが持つ価値やマーケティングなど、全く知らない人に説明するのは色々と大変です


(Sean Parkerもかなりドラマチックな人生を歩んで来たのだなぁーとこちらの記事を読んで思いました)

2011年2月4日金曜日

リトル・ベイダー

夜、帰宅すると息子がハイハイ出来るようになっていた。最近、わずかな距離なら何となく移動していたのだが、風呂上りに着替えさせた後、いきなり1メートル近く離れた所に転がっていたお氣に入りのオモチャを取りに動いたのである。本人も動ける事に氣が付いたのか、その後は大興奮で遊び続け、いつもなら寝る時間になっても上機嫌だった。

 昨日出来なかった事が今日出来る。子供の成長は本当に早い。こんな日もきっとすぐだろう。




なごむね

ちょっとこのCMを観てグッと来るものがありました

 (車のCMだと後半にならないと分からない辺りが実に素敵です)

2011年2月1日火曜日

The Karate Kid

方々で評判が良いので映画館で上映時に観損ねたジャッキー・チェンの「The Karate Kid」、をDVDで観た。オリジナルは1984年の作品。映画館で観た記憶があるし、実家を探せば当時のプログラムも出て来るような氣がするが、ロードショーでは無く、名画座で2本立てで上映されているのを観たと記憶している。2、3作目はロードショーで押さえ、4作目は未見。続編の出来はともかく、1作目は青春映画として良く出来ているし、武道を志す者への良い道標になっていると思う。多少、ファンタジーが入っていると思うけど。



リメイクは主人公を高校生から小学生(12歳だから中学生か?)にし、舞台を北京にしているが、物語の骨子は全く一緒である。ベースとなるのは新しい場所で馴染もうと努力する主人公の少年。氣になる女の子。イジメ。そしてアパートの管理人でもある師との出会いとその交流だ。クライマックスはトーナメントだが、その盛り上げ方まで一緒だったのは妙に懐かしかった。舞台がただの体育館では無く雷台だったのは中国故か、子供のトーナメントとは思えないマニアックぶりである。



主人公を師の故郷、異文化に置くと言う意味では新作はオリジナルの1、2をミックスさせているとも言える。主人公が通う学校は皆、英語を話しているから想像するに北京のインターナショナルスクール。主人公のDreがジャッキー・チェンに連れられて訪れる寺は道教色が全開だが、彼の練習方法は内家拳と言うよりは外家拳系である。オリジナルの「ワックスオン、ワックスオフ」、に該当する、「ジャケットを脱ぐ、着る、かける」、は良く出来ているなと思った他、2本の竹を使った練習方法の一部は推手っぽく面白かった。オリジナルのKarate Kidは空手を志す人達をたくさん生みだしたと聞くが、今度の作品は中国武術を志す人達を同じように生みだすのだろうか。ジャッキー・チェンがどこかのインタビューで以前の自分は生徒の立場だったのに今や師匠の立場で映画に出ているのが感慨深いと言っていたのも納得。


私もずいぶんと遠くへ来た感が


子供がいると自分の感情移入も少年から周りの大人へとシフトしている氣が

(映画を観ながら自分の過去の稽古や後輩の指導、色々とフラッシュバックがありました)

履歴書とレジュメ

 先日、軽く呟いたが、海外経験のある同僚が1月一杯で転職する。転職先は有名な大手外資、私のいる業界からは初めてではないだろうか。私の個人的な思い込みだが、私のいる会社では海外経験者の多くが転職しているので、その人が転職する事はあまり驚きでは無い。また一人、去って行くのかと言う感じである。そんな私はNY時代の上司から帰任したら一年以内で辞めると言われ続けていたが、氣が付けば2年半在籍。我ながら驚きである。当時の上司はもっと驚いている可能性大だけど。

履歴書について日本ではきちんとしたフォームがあってそれを埋めるのが今でも一般的だと思うのだが、アメリカではその限りでは無い。通常だとA4一枚程度に自身の目的、学歴、職歴、スキルなどを簡潔にまとめて提出する。とは言え、履歴書が会社にとっての第一印象に当たるのはどこもも一緒。NY時代は仕事柄、人の採用にも携わっていたのでレジュメは山のように見たし、面接もずいぶんとやったが、レジュメがいい加減な相手とはそもそも会わなかったし、やはりレジュメが第一歩である。

何でこんな話をしているかと言うと、数奇な縁で身近な知り合いのレジュメを添削する機会があったから。外資の人材派遣会社からコンタクトがあり、興味のありそうな内容だったらしいのだが、レジュメを送ってくれと言う箇所で相談があった。きっと日本の履歴書だと駄目だろう。コンセプトを説明したが、メールでメモ書きのようなレジュメをもらい、どこから添削したら良いのか一瞬考えた。自分の過去のレジュメを引っ張り出し、これを参考に何をどう書き変えるべきか細かく指導。どのような結果になるか今後の動向が楽しみである。

そんな同僚の転職先の話を聞きながら、直属の上司が一言。


 「トウヤ君ならヨダレが出そうなオファーじゃないの?」


 ・・・うーん、でもそこってかなり厳しいって話を聞いているしなぁー

(とは言うものの、久しぶりにレジュメ内容をアップデートするのも良いかもしれません)

2011年1月28日金曜日

つかまり立ち

 1月26日の夜、息子が初めてつかまり立ちをした。プラスティックの箱の近くに座らせてちょっと目を離した隙に立ち上がっていた。嫁さんに立たせたのかと質問されて初めてお互いに子供が勝手に立ち上がった事に氣が付いた次第。

親バカ以外の何物でも無いが、ついつい嬉しくてTwitterで呟いた他、MixiとFacebookでも呟いてしまった。前者2つは日本語、後者は英語である。お陰様でどこでも反応があった。Twitterは呟きが2件、Mixiはイイネが3件、コメントが1件。


Facebook、13イイネ、16コメント、1メール


凄いな、この反応・・・

(友達の数の関係かもしれませんが、先日、SW Clone Warsについて呟いた時は反応ゼロでした)

2011年1月26日水曜日

テレビシリーズ

我が家はほとんどテレビを観ない。テレビの主な機能と言えばDVDの再生だ。基本的に映画を借りて来て観るのだが、最近は観る内容が映画からテレビシリーズに変わりつつある。その最大の理由は時間。結局、子供の面倒を見ているとなかなかまとまった時間の捻出に四苦八苦するのである。

観る上での条件は極力1話完結である事。そんな訳で、「24」、や、「Lost」、は候補外。「24」、は以前、フライト内で数話観て中途半端な状態で終わった事があるし、「Lost」、はNY時代にアメリカ人の同僚に勧められて観て、「これは面白いがはまる時間的ゆとりは無い」、と判断して第一話でやめた事もあった。我が家が夫婦で続きが観たくてどうしようも無く夢中になったのは「BattleStar Galactica」、である。これはDVD Boxで持っている。

そんな条件で近所のレンタルショップでピックアップしたのが、「Lie to Me」。ワシントンDCを舞台に0.2秒の無意識の微表情の変化から相手の嘘を見抜くチームを主人公にしたシリーズだ。最初は私が夜中に一人で観ていたのだが、いつの間にか嫁さんと観るように。現在、第1シーズンを観終えた所。



近いコーナーにあり、超心理学と言う言葉に惹かれて借りてみたのが「The Mentalist」。カリフォルニアを舞台にCalifornia Bureau of Investigationの活躍を描く。ミソはそのチームにコンサルタントとして加わっているPatrick Jane。彼の洞察力が話のメインの魅力となっている。



そして最新は、「30 Rock」。これはアメリカのテレビネットワークNBCを舞台にした1話25分程度のコメディだ。30 RockはNY 30 Rockefeller Plazaと言う住所の略。アメリカでエミー賞を取っているだけあって氣軽に笑えてなかなか面白い。私個人のツボは、舞台が私のNY時代の事務所の目と鼻の先、徒歩30秒の距離にあると言う事。たまに外のショットが映るのだが、非常に懐かしい思いに駆られる。第1話で会社近くのレストランと言う事でAlfredoが登場するのだが、ここは私もビジネスでずいぶんと利用した記憶がある。近くに紀伊國屋書店もあって昼休みはよく寄っていた。最終的に移転してしまったけれど。


大きな地図で見る



ちなみに、こちらのシリーズ、私以上に嫁さんがツボのようなので我が家で今後シリーズを制覇する可能性大。敢えて言うならDVDに英語字幕が無いのが不満点。



結構、観ているな

向こうにいる時は、「30 Rock」、観てませんでしたし

(たまに、「Star Wars Clone Wars」、のSeason 2も観ています、観過ぎか)


2011年1月22日土曜日

Facebook

 最近のニュースによるとFacebookの登録件数が6億に達するらしい。前のサイトで5億を話題にしていたのはつい先日だったような氣がする事を思うとこの成長率は凄い事だ。日本での成長ぶりが他の各国と比較すると弱いのは、Mixiがあるから、実名登録だから、と色々言われているが、それでも最近はずいぶんと注目を集めている氣がする。2008年に帰国した時、アメリカの取引先の商品絡みでFacebookが話題に挙がり、何の事だか全く分かっていなかった上司や同僚達に説明していたのが遠い昔の事のようだ。

厳密に言うと私の業務と直接関係がある訳では無いのだが、最近はSNSとビジネス展開についてたまに調べている。実際、社内で関わっている商品についてはTwitterのアカウントを私が運営しているのだが、これもプライベートでやっている事が仕事にもつながってしまったケースと言えるかもしれない。業務用のTwitterはそれ程呟いていないのに、毎日チェックする度にフォロワーが増えていてびっくりする。本当に仕事で生かすには桁がもう一つか二つ、増えても良いと思うけれど。

個人的にはTwitterの方がFacebookより面白いが、身近な人、氣になる人の近況を追うのにアクセスすると言う意味ではどちらも変わらない。仕事用のiPhoneを持つようになり、どこからでも氣軽にアクセス出来るようなって非常に便利である。以前にも何度か書いた事だが、海外経験があり、海外に知り合いがいる人間にはFacebookはお勧めである。25年近く前の旧西ドイツ時代の通っていた小学校のクラスメートと巡り合うなんて体験、Facebookをやっていなかったら考えられない。ただ最近はどのような経緯か定期的に世界各地の合氣道関係者から友人リクエストが届き、私のネットワークのプロフィール上の写真は袴の人達がずいぶんと増えてきた。

今年のアカデミー賞候補としても名高いSocial Networkが日本で公開されたタイミングもあるのだろうか、最近はTwitterだけではなく、Facebookについてのビジネス書も目にするようになってきた。外資に勤めている友人はつい最近まで関心が無かったのに、ある日始めたらあっさりと私以上のネットワークが出来上がっていた。先週も同じ部署の同僚に、Twitterの業務アカウントをやるだけでなく、Facebookにファンページを作ってはと提案された。そう言えば、何年か前にNYの合氣道の後輩が道場のコミュページを作成していた事をフト思い出す。Twitterのアカウントを作成するのも総務との手続きが必要だった事を思うとFacebookのそれも手続きが面倒そうだ。「だってトウヤ君はやっているでしょ」、との質問にもしかして始めたのですかと尋ねると、「うーん、実名登録だしさー」、と煮え切らない答え。そんな同僚は始めていたらしい。いきなり小学校時代の知り合いからメールが来て驚いたとの事。探さないで欲しいと念を押されてしまった。


 まぁ会社関係者はねー



 私もアメリカの取引先やNY事務所の同僚達とは繋がりつつ、日本本社の人間だと見なかったフリをしてしまったり

(そんなカミングアウトをしてきた同僚の友人数はゼロ・・・それはSNSの意味が無いのでは?)