2011年10月31日月曜日

学園祭

 日曜日は大学の学園祭だった。私の大学生時代はずいぶんと昔の事だが、2日間の学園祭の内、合氣道部で1日は出店、1日は演武会と言うスケジュールだったと記憶している。演武会と言うと体育館でやったり、外で畳を敷いてやったりするのが多いが、私の母校では芝生のキャンパスで行うのがお約束。道着や袴も演武会後は緑になって大学らしさを醸し出していた。

当初は他の予定があって行けないはずだったのだが、当日になって頑張れば行けそうな事が分かった。が、自宅から大学は電車3本にバスに乗らなくてはいけない距離。しかも夜は別な用事があったので、学園祭に家族で行っても帰りは妻子とは別行動になる。泣く泣く、大学に行くのは諦めた。代わりに近所を散策していたら地元の大学が学園祭をやっており、覗いたら合氣道の演武会がちょうど終わる所。面白い偶然である。キックミットがあったので本当に合氣道だったのか微妙に疑問が無くも無いが。

日中、家族で近所を散策しているとメールが届いた。見ると同学年の親友夫妻が家族連れで演武会を見ている写真。彼等が行っているとは思わなかった。もう一年半近く会っていないし、彼等が行っていると知っていたらもう少しスケジュールを調整したのにと思ったが後の祭り。地元の大学で妥協したよとレスを送ると数分でレスが届いた、「女子大の学園祭に行くとは何事か」、と。


ツッコミ所はそこじゃないだろ


大体、女子大ですら無かった氣がするのですが

(機会があればまた母校にも寄ってみたいと思います、出来れば家族で)

2011年10月25日火曜日

同調空氣 - 無言圧力

 他に適切な言葉があるか分らないのだが、これらは私が海外の友人に日本を説明する際に使う言葉。日本と言う場を覆う空氣についてだ。「赤信号、皆で渡れば怖く無い」、のスピリットだろうか。別に良い、悪いでは無い。

3年前の帰任の際、10年の海外経験後の帰国は相応のカルチャーショックがあるだろうと身構えていたが、実際はそうでも無かった。肩透かしを喰らった氣分だったが、数ヵ月後に稽古の関係でNYに戻ってJFK空港に降り立った時、味わった強烈な開放感は忘れられない。自分がそれまで無意識の内に日本の空氣を読んで同調しようとしていた事に初めて氣が付いた瞬間だった。無意識の内に入り込んで来るこの空氣。これは結構怖い事だ。それ以来、意識的に空氣を読まないようにしている。

NYは自己主張した者勝ちだ。ファッションも生き方も本人がそれで良いと思っていれば誰も干渉しない。自分で納得していれば良いと言う心地良さがある。もちろん逆の面もあり、常に何かしら自己主張している必要があるのでくたびれる。たまに一時帰国すると日本が素晴らしく感じられるのはそこ。そしてしばらく滞在すると逆にうんざりしてくるのもそこだった。なかなか上手くいかないものである。

先日、前の部署の上司と何故、日本の自殺率は高いのかと言う話になった。年間3万人。世界でトップでは無いが、トップ10には入っている。定期的に電車が人身事故でストップする事を思えばそれは納得だ。上司のコメントは皆、真面目過ぎるのでは無いかと言うもの。私はと言えば、この周りとの同調を強要する無言の空氣が思い浮かんだ。日本のこの空氣は同調出来ない人間を弾く。弾かれる事に免疫が無いと日本の社会で生きていくのはかなりキツイだろうと言うのが私の個人的な感想。想像だが、この感覚は日本の社会の外に出た、あるいはイジメなどで疎外された経験が無いと分からないのかもしれない。

元上司に伝わったのだろうかと考えつつ、会社近くの赤信号の交差点に辿り着いた。車が来ていなければ私は躊躇無く渡る。「渡りますか?」、と尋ねると、「皆、待っているのだから待とうよ」、との回答。


それだよ


面倒臭いなーと思いながら一緒に信号が変わるのを待ちました

(しかし、コイツは知らない間に蝕んでくるのが厄介です)

2011年10月24日月曜日

専属通訳

 以前の部署の取引先のCEOが来日する、しかもそのCEOは来年で退任する事を決めており、今回のチャンスを逃したら挨拶する機会は無いかもしれない。前の部署の上司にコンタクトして来日スケジュールを確認したのはそんな事情からだった。前の部署では先方が来日する際に成田空港からアテンドしたり、社長との会食の場で通訳をしたり、一年半前は社長に同行する形でアメリカの先方を訪問した事もある。人間的に非常に魅力のある人で、組織のトップはこのように行動するのかと色々と学ばせてもらえる人だった。

先方の来日は日本でのセミナー絡み。私は関係ないので来日当日に、前の上司と一緒に夕食を共にする事になった。結局、おエライさんの指示でセミナーにも参加する事に。昼過ぎにセミナー会場で受付を済ませると若い社員から社長が私の事を探しているらしいと聞いた。会場で見つけた社長は開口一番、「お前、俺の専属通訳なのにどこにいたんだ?」。いや、業務系統が違うのだし、全く初耳ですがと思う間もなく、その夜の会食とその翌日の会食も参加する事になった。瞬時に3晩続けての会食である。

この展開の利点があるとすれば通訳と言う事でCEOの人ともう少し話す機会を得られる事か。久しぶりにトップ同士プラスおエライさん達の会食の場に顔を出す。帰国してからこんな場が数え切れないぐらいあった氣がする。行きつけのレストランの一つでお店の人に「お久しぶりですね」と声をかけられるのはご愛敬か。通常だと食後、私がタクシーで取引先をホテルまで送るのだが、今回は先方が数名いた事もあってハイヤー。レストランの前で挨拶をして別れを告げた。


そしてレストラン内にCEOの忘れ物を発見


結局、前の上司と二人でタクシーに乗って忘れ物を配送、その後、また一杯となりました

(以前はこんな終電直結号な夜が定期的にあったなと思い出しました・・・色々と話せて有益でしたが)

2011年10月18日火曜日

英語の効率的学習方法

 アメリカ人の友人が来日しており、帰国当日の今朝、ホテルで会って朝食を共にした。短期間の来日でお互いに時間を合わせる事が出来ず、最終手段として平日に朝食を。Breakfast Meetingと言うのはいかにもアメリカ的だ、仕事の案件では無いけれど。

朝食は共通の日本人の友人と3人で。アメリカ人の友人は日本に住んでいた事もあり、日本語も達者。会話は英語と日本語が適度に混ざったものになった。どんな流れでその話になったのか分らないがどのようにして英語力をアップさせるべきかと言う話になった。

一般的に言えば私は英語が出来る方に分類されるだろう。ネイティブでは無いが話すのも、聞くのも、書くのも特に困らない。ただ、やはり自分より外国語としての英語が出来る人は身の周りに何人もいる訳で彼等と自分との差をどのように埋められるのかと言うのは時々考える課題だ。映画を観たり、本を読んだり、ネイティブの友人と接したりする中で氣になる単語や言い回しを覚える事にしている。

印象に残ったのが友人の若かりし日の経験談。SAT(アメリカの大学進学適性試験)を受けたら成績が酷く、家庭教師を付けて勉強し直したらしい。やった事は約半年で英単語の語彙を5,000増やした事。SATの成績は急上昇したそうだ。単純計算で一週間に約200強の単語か。何だか漢字の勉強を思い出すようなエピソードだった。一定の量をこなして初めて質的転換が生じると言うのは別に武道の専売特許では無い。

そんな今日、私の中で氣になった英語はvicareous(他人の気持ちになって感じる)、moat(堀)、ephemeral(はかない)、そしてoligarchy(寡頭政治国)。最初の単語は友人の発言から、残りの3つはたまたま読んだ英語のビジネス記事から。


覚えていられるだろうか・・・


日常的に使えば残るのですが、仕事で使うような語彙でも無いし

(語学は貴重なスキルなので、コツコツ伸ばすべく努力あるのみ)

2011年10月16日日曜日

ユーモアのセンス

コネチカット州へようこそ、ジョージW.ブッシュの生まれた州  お詫びします 


このセンス素晴らしい


本当にこんな看板が存在するのか疑ってしまうほどです

2011年10月12日水曜日

The Avengers 公式予告編

 昨夜、更新をしてから、こちらがアップされている事に氣が付いた。Facebookには昨夜の段階で投稿したのだが、こちらにも。




早速、iPod Touchでエンドレスリピート


来年の5月公開が楽しみです、まずは今週公開の「Captain America」で予習かな


(昨夜は再生回数が360回だったのに既に16万を越えています、凄い注目度)

2011年10月11日火曜日

実りのある稽古

 私が情熱を燃やす趣味と言えば武芸な訳だが、では具体的に何かと問われると真面目に答えるのが難しい。習慣的に合氣道と答えているが帰国以来、道場に属していないので、あまり定期的に稽古をしているとは言い難い。セミプロの友人との自主稽古と、NYを訪れる際に昔の古巣である道場に顔を出すぐらいだろうか。最近では道着に袴姿になるのは月一程度。これで果たして趣味として成立しているのか突っ込まれれば微妙な所である。

以前にも述べたが今年の3月、震災の直前にネットでNY時代から親しくさせて頂いていた沖縄の手の使い手の方の一般講習会に参加させてもらう機会があった。それまでは文章と動画だけでの接点だったが、実際に稽古に触れて、古流の教えが脈々と生きている武芸がきちんと現存している事を嬉しく思った。最近は週末、月に数回の割合でそちらの自主稽古会に出席している。先日は沖縄出張があったのを良い事に沖縄で仕事後に稽古をする楽しみもあった。

節操が無いと言われればそれまでなのだが、私がこれまで縁があり師と仰がせてもらっている方々からは一様に広く学ぶようにと言われてきた。武芸の世界では珍しい事だが、「他流に首を突っ込んだら破門」と言う扱いを受けた事は無い。もちろんだからと言って大々的に他流を学んでいる事をアナウンスするのはNG。そこは嗜みと言うものである。

この3連休は関東講習会だった。当初は1日のみの参加予定が嫁さんの厚意で急遽2日参加出来る事に。弟子向け、会員向け、一般参加者向けとあったが私は後者2つに参加した。立ち方、押し合い、投げ合い、武器、ミット打ちに約束組手、あっと言う間に数時間が過ぎる。このカリキュラムの密度の濃さは本当に大したものだ。訊くと弟子向けの稽古はさらに濃いらしい。面白そうだ。2日間、実に楽しい時間を過ごした。


審査も受けてしまったり


全くそのつもりは無かったのですが、成り行きで、お陰様で初級です

(帰国以来、黒帯より白帯を締めている回数の方が圧倒的に多い氣がします)

2011年10月6日木曜日

Rest in Peace

 私はアップル信者では無い。使っているアップル製品と言えば2008年に帰国した際に買ったiPod Touchぐらいだ(iPhoneやiPadは仕事で触れている程度)。それでもSteve Jobsの訃報はショックだった。彼のプレゼンなど色々と仕事の過程で勉強した事もあるが、私が大好きなのは2005年のスタンフォード大学での彼のスピーチだ。


スピーチの原文はこちら。この伝説的スピーチを知ったのは帰国してからだが、それ以来、日常の仕事や生活に埋没しそうになる度にこのスピーチの文章を読んでは自分の原点を見失わないように努力してきた。この文章を何度読んだか分からない。動画で観たのは久しぶりだ。

最後のStay hungry, stay foolishも良いが、私が好きなのはその前の部分。"Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma — which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary."。

今日は改めてこの部分を自分に言い聞かせるとしよう。Thank you Steve, please rest in peace.


P.S:今日は方々でRIPと言う表現を目にしました。Rest in Peaceの略なのだなぁーと氣付いて、また英語の雑学が増えました

2011年10月4日火曜日

SNSの用途

 こちらの記事によるとこの一年で日本国内のFacebookのユーザー数が前年の5.6倍、1,083万人に達したそうだ。映画「Social Network」も一役買ったのだろうか。実名登録が原則なので日本では流行しないのではと散々言われてきたがなかなかの伸び率である。個人的な実感としても最近の友人リクエストは日本国内の関係者が圧倒的に多い。アメリカの道場関係者、海外の仕事関係者、学生時代の友人、会社関係者、日本国内の道場関係者、ネットワークは様々。あまり大した事は投稿しないが、それでも投稿する際には相応に氣を遣う。今までは海外の友人仲間向けのコメントだったので英語だったが最近は英語と日本語と併記している。

以前にも書いたが最初に接したSNSはMixi。招待制で始めて、どのようにネットワークを広げたら良いのか分らず試行錯誤したのも遠い昔。NY時代、Mixiで出来た縁で先日の沖縄出張の際は現地で稽古にも行けたりするのであるから武道関係の人脈の広がりはとても興味深い。以前はMixiでも日記を書いていたが最近はコミュを見る程度のアクセスとなった。Twitterは当初実名でやっていたが会社の関係者が散見するに当たって今のアカウントに移行。電車での通勤時にニュースを拾うのに主に使っている。最近始めたLinkedInはビジネス向けのSNS。こちらも実名登録。NY時代の取引先を中心にこちらのネットワークも相応に育っている。アメリカの場合、転職が当たり前で名刺交換も日本のように必須では無いので、ビジネスの人脈維持と言う意味ではずっと便利だ。アクセス回数は週に一回程度だろうか。

そして最近一般公開されたGoogle+。これまでニュースサイトでその性能については読んでいたが、ある日、Googleカレンダーを開くと左上に表示があり一般公開された事を知った。早速、開いてみる。SNSの基本的アイデアは共有だが、Google+の特徴は様々なサークル(グループ)を作り、誰に何を公開するか決めるのを直観的に出来る事だと聞く。10名以上のグループが出来ればその利便性が実感出来るとの説明だった。


そんなに集まらないし

家族と友人のグループを作ったのですが、まだ良さを実感するにはサイズが小さい氣が

(SNSもいずれ用途に合わせて使い分けるようになるのかもしれません)

2011年10月3日月曜日

The Wild Geese


邦題、「ワイルド・ギース」。1978年のイギリス映画。中高生の頃にテレビの洋画で放送されていたのを数回観た記憶がある。細かな事は覚えていなかったのだが、近所のレンタルDVD屋で発掘良品としてジャケットを見た時、最初に甦ったのは面白い映画だったと言う印象だった。数本置いてあったのだが初期の頃は常に貸し出し中。ようやく借りる事が出来た。

物語はアフリカの某国で捕まっている同国の元大統領を救出する為に集められた傭兵部隊の活躍を描いたもの。雇われる過程から主人公4名の各キャラの描き方、訓練に現地潜入と細かに描かれる。要所、要所の描き方が70年代の映画である事を思い出させるが(爆発シーンなど)、今、観ても充分面白かった。

個人的に傑作だったのは一緒に観ていた嫁さんの、「この人、昔の007に似ていない?」、と言う発言。うん、その人は3代目ジェームズ・ボンドのロジャー・ムーアその人だから(ちなみに劇中、父子の関係で人間味を見せるRichard Harrisはハリー・ポッターシリーズ初期のダンブルドア)。何と言うか、他の3人と比べて妙に若い。主役4名の内、唯一まだ生きていると言うのも頷ける。


この映画の制作中に50になっていたそうですが

そう言えばRoger Moore Bondの一作目は1973年公開、あの時点で45だったそうで

(1985年のMoore Bond最終作、「美しき獲物達」、が私が映画館で観た初ボンドでした・・・今となっては遠い昔)