2010年12月13日月曜日

日本文化

 NY時代のアメリカ人の部下からメールが届いたのはアメリカがちょうど感謝祭に入ろうとする最後の方の週だった。端的に言えば退職の挨拶、日本語で言うと短い間でしたがお世話になりました的な趣旨のメールだ。

その彼は私がNY時代に最後に採用したアメリカ人社員。採用したのは2008年の春頃だったろうか。私の帰任は決まっていたがまだ公に出来ず、長年一緒に働いてきたアメリカ人の同僚と空いてしまったポジションを埋めるべく人材派遣会社に連絡して次から次へと面接をしていた事を思い出す。日本語不要なポジションなのに、何故か日本語が流暢な候補が何名も残り、最終的に彼を採用した。比較的若く、ウィットに富んだキャラ。私の中では、そんな彼とした仕事より、彼と飲んだ記憶の方が鮮明だ。その頃、他部署を含め、日本人のような激しい飲み方をするアメリカ人が他にもおり、彼等の歓迎会の後、3人で酔ったままタイムズスクエアを歩いていたのは良い思い出だ。彼等の飲みっぷりには日本人社員の方が引いていた。

結局、彼がNY事務所で働いた期間は約2年半。悪くない。日本語も出来たので本社の関連部署もやり取りが楽だったろう。聞くと次の仕事の研修で12月の大半は東京にいるとの事。ならばとプライベートアドレスを交換し、飲もうと言う事になった。

最初はNY組だけを念頭に置いていたが声をかけてみれば関連部署の人間も含めて賑やかな人数。彼の希望で場所は焼肉。会社は遠くないのだが、研修はサービス残業が連日との事で時間は20時に設定。蓋を開けてみれば私は幹事であるにも関わらず職場を抜け出せず遅刻。アメリカ人の元部下からからは20時少し前に、「ようやく会社を出ました」、とのメールがある始末だった。何とか焼肉屋に着いて、先に始めるかと話している最中に新たな着信。駅に着いたとの事で迎えに行くと人混みの中に見馴れた顔が。しかし、空氣がずいぶんと違う。










 じゃぱにーずさらりーまん かよ!







と思わず言いたくなるぐらい醸し出している空氣が疲労したさらりーまん

(取り敢えず酒を飲ましたら元氣になったので良かったです、ますますさらりーまんみたいだ)

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