2011年1月6日木曜日

表情

 その昔、NYで約2年間生活した後、親友の結婚式に参列する為に初めて一時帰国をして一週間ほど滞在した際は、最後の方になって両親に、「ようやく日本人らしい顔付になった」、と言われたものだった。特に自覚はしていなかったが一人で異国の地で生活する過程で表情が厳しくなっていたのかもしれない。最後に実感したのは昨年3月に出張でNYを訪れた時だが、あの街の空氣と空港に降りた際に感じるピリピリとした身の引き締まる感じと言うのは日本では味わった事は無い。

関連して思い出すのが嫁さんと付き合うようになった頃。私と嫁さんはほとんどずっと遠距離だったのだが出会ったのはNY。何かの折にアメリカ人の親友に彼女が出来たと言う話をした時、「すぐに分かったよ。最近、道場に入って来る時に発散させている空氣が違うし」、と指摘された事があった。それまでどれだけ殺伐とした空氣で道場を訪れていたのか知る由も無いが、殺氣と言うのか、動物的な勘と言うのか、そのようなものが弱くなった氣がして先輩に相談した事もあった。先輩の答えは、「そんな事より相手を"守る"事に氣をつかえ」、だったと記憶している。

そんな先輩はNYの街中を嫁さんと3人で歩いていると自然に嫁さんが2人の間に来るようにしたりと実践の人。私は恥ずかしながらまだその域に達していないが、子供を抱っこ紐で抱いて初めて外出した時、自分でも驚くぐらいに周りに氣を張っている事に氣が付いた。当たり前だが、今でも、子供を抱いて人混みの中に出かける時は氣を遣う。多分、無意識のレベルで守ろうとしているのだろう。

家族3人で迎えた初めての正月。嫁さんの実家で家族の集合写真の他に親子3人の写真を撮ってもらった。その写真を見て嫁さんが一言、「こんなに優しそうな表情、NY時代は見た事が無かったね」。


 ・・・そうかもしれない


個人的にはまるで自覚が無いのですが、他の家族のメンバーからも同様の指摘があるのでそれが正しいのでしょう

(確かにここ数年でずいぶんと角が取れた氣はしますが、その是非はいかに)

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