2011年10月25日火曜日

同調空氣 - 無言圧力

 他に適切な言葉があるか分らないのだが、これらは私が海外の友人に日本を説明する際に使う言葉。日本と言う場を覆う空氣についてだ。「赤信号、皆で渡れば怖く無い」、のスピリットだろうか。別に良い、悪いでは無い。

3年前の帰任の際、10年の海外経験後の帰国は相応のカルチャーショックがあるだろうと身構えていたが、実際はそうでも無かった。肩透かしを喰らった氣分だったが、数ヵ月後に稽古の関係でNYに戻ってJFK空港に降り立った時、味わった強烈な開放感は忘れられない。自分がそれまで無意識の内に日本の空氣を読んで同調しようとしていた事に初めて氣が付いた瞬間だった。無意識の内に入り込んで来るこの空氣。これは結構怖い事だ。それ以来、意識的に空氣を読まないようにしている。

NYは自己主張した者勝ちだ。ファッションも生き方も本人がそれで良いと思っていれば誰も干渉しない。自分で納得していれば良いと言う心地良さがある。もちろん逆の面もあり、常に何かしら自己主張している必要があるのでくたびれる。たまに一時帰国すると日本が素晴らしく感じられるのはそこ。そしてしばらく滞在すると逆にうんざりしてくるのもそこだった。なかなか上手くいかないものである。

先日、前の部署の上司と何故、日本の自殺率は高いのかと言う話になった。年間3万人。世界でトップでは無いが、トップ10には入っている。定期的に電車が人身事故でストップする事を思えばそれは納得だ。上司のコメントは皆、真面目過ぎるのでは無いかと言うもの。私はと言えば、この周りとの同調を強要する無言の空氣が思い浮かんだ。日本のこの空氣は同調出来ない人間を弾く。弾かれる事に免疫が無いと日本の社会で生きていくのはかなりキツイだろうと言うのが私の個人的な感想。想像だが、この感覚は日本の社会の外に出た、あるいはイジメなどで疎外された経験が無いと分からないのかもしれない。

元上司に伝わったのだろうかと考えつつ、会社近くの赤信号の交差点に辿り着いた。車が来ていなければ私は躊躇無く渡る。「渡りますか?」、と尋ねると、「皆、待っているのだから待とうよ」、との回答。


それだよ


面倒臭いなーと思いながら一緒に信号が変わるのを待ちました

(しかし、コイツは知らない間に蝕んでくるのが厄介です)

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