2011年2月9日水曜日

合氣道

 先日、セミプロの友人に誘われて久しぶりに合氣道の自主稽古に参加した。どのぐらい久しぶりかと言うと前回、稽古をしたのがいつだったのか正確に思い出せないぐらい。以前の自分の生活からはまるで考えられない状態だ。あの頃は一時帰国などで一週間、稽古が出来ない状態が続くとそれだけで氣分が悪くなるぐらい身体を定期的に動かすのが当たり前の状態だったが、今となっては昔の話である。

稽古のコンセプトは身体を動かしつつもマニアックに。友人の発見をベースに細かい身体操作を練って行った。人間の身体は細かな感覚の集合体として成立している。よって、接点の圧力を変える事無く身体の内面の方向性を変えると、傍目には自分から倒れてしまっているように見えたり、よく分らないような現象も生じる。身体を動かす事に関してはかかり方を指定しての自由技。NY時代の茶目っ氣を加えたのはそれを座技でもやった辺りか。以前は自身の鍛練も兼ねて若い後輩達とやっていたのだが、やはりしんどい。とは言え良い汗をかく事が出来た。

帰国以来、正式に道場に所属していないので、稽古をするとなると公共の体育館を使う事がほとんどなのだが、個人解放の時間帯に稽古をすると様々な流儀の人達が色々な稽古をしていて面白い。先日も空手、柔道、総合格闘技などのメジャー系はもちろん、大きな集団としてはカポエイラがいて、ここは女性が多い事もあって遠目にもアクロバティックに華やかだった。服装もカジュアルだし、ダンサーの集団のようにも見えるぐらい。もう一つ近くにいたがっしりとした男性の集団で、準備体操は延々と受身を取っていた。


プロレスでした


なるほどねーと思いつつ畳の上で観るプロレスは妙に新鮮でした

(取り敢えず合氣道はカポエイラの華やかさやプロレスの派手さは持ち合わせていない事はよく分りました)

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